一瞬で状況が判断出来なかった。征陸さんが槙島を押さえ込んでいて、宜野座さんがコンテナに押しつぶされそうになっていて、槙島は爆弾を投げている。槙島を捕まえろと叫ぶ宜野座さんの気持ちと、どうするべきか悩む征陸さんの気持ちが、遠くにいる私にも痛いほど伝わってきた。
私がここから走ってもおそらく間に合わない。爆弾を放置したら槙島は捕まえられるかもしれないけど、宜野座さんが爆発に巻き込まれる。考えるより早く気持ちが口から飛び出して、私の存在に気付いた三人が驚いてこっちを見た。



「征陸さん!爆弾を早くどこかに!」
「名字!それでは槙島が、」
「いいから!そんなのいいから、征陸さん!」
「う……おおおお!」



槙島を離して、征陸さんが走る。爆弾を義手で持って投げたのは、征陸さんの経験と判断というところだろう。少し離れたところで爆発した爆弾に征陸さんが倒れこんだ。必死に足を動かして二人のところへ行くあいだに、宜野座さんもコンテナから無理やり抜け出して征陸さんのもとへと駆け寄る。その隙に去った槙島のことなんて、頭にはなかった。

私がたどり着くまでに、征陸さんと宜野座さんが何か話しているのが耳に入った。親父、という悲痛な叫びに、乱れた心がさらに掻き回されたが、それを気にする前に走る。心臓が痛いよ、征陸さん。



「征陸さん!無事ですか!」
「は、はは……無事じゃ、ねえな……」
「傷は……そこまで深くないですよね。私には応急処置の知識がありません。宜野座さん、指示を。まずは征陸さんの手当てをします」
「親父!名字、親父が……!」
「しっかりしてください!」



左腕が使い物にならなくなった上司にビンタするなんて、きっと一生に一度しかないだろう。涙をぽろぽろと流していた宜野座さんの瞳が雫を量産するのをやめ、ふっと焦点があう。スーツを脱いでシャツを破り、宜野座さんの腕を思いきり縛って止血して、まっすぐ目を見て尋ねた。



「宜野座さん、応急処置の指示をしてくれますね?」
「あ……ああ……そう、だな」
「しっかりしてください。ここで泣いても征陸さんは助かりません。征陸さんを殺したいんですか」
「そんなわけないだろう!……まずは傷の確認だ」
「はい。宜野座さん、ドローンを呼んでください。それにヘリも数台。傷付いているのが二人だけとは考えられません」



上がキャミソールだけなんて、この際かまってはいられない。宜野座さんはようやく少し落ち着いたのか、私に指示を出しながらヘリや救護スタッフの応援を呼び、ずるずるになった自分の腕に構うことなく征陸さんの血を止めていた。



「俺は、いい……先に、伸元を……」
「馬鹿言わないでください。先に死にそうなほうから助けるのは当たり前です」
「親父、もうすぐヘリが来る。それまで死んでも生きろ」
「は、はは……」
「喋るだけで死にそうなのに笑わないでください」



了解したというように征陸さんの目がゆっくりと閉じていくのに一瞬ひやりとしたが、荒く苦しそうに上下する胸を見て、馬鹿な考えを頭から振り払った。ドローンも駆使した応急処置は終わったが、これ以上ここにいると本当に死んでしまう。ヘリが来るのは早くて一時間後かもしれない。
血だまりのなかで力なく横たわる征陸さんと、このままでは出血多量で死んでしまうかもしれない宜野座さんを見る。頭の中心だけ熱くて指先は冷えきっている荒れた感情が、ふっと湖のように凪いだ。スーツを羽織ってボタンを止めて、征陸さんを背負う。



「これからヘリまで向かいます。辛いでしょうが我慢してください。宜野座さんは自分で歩けますね。ナビをお願いします」
「無茶だ!女の力では、」
「征陸さんを死なせたくないんです。二人で、頑張りましょう?」
「嬢、ちゃん……」



これが火事場の馬鹿力というやつだろうか。背負っている征陸さんの体が驚くほど軽く感じられて、迷うことなく一歩踏み出した。ヘリが着陸した場所まで10分もあれば行けるだろう。応援のヘリを待ってなんかいられない。ドローンと宜野座さんを乗せて、一刻も早く病院へ運ばなければ。
呆気にとられていた宜野座さんは、私が数歩歩いたところでようやく立ち上がり、小走りで隣に来た。幸いにもそれほど負傷していない右手で征陸さんを支え、ヘリまでの最短ルートを指し示す。その瞳には、先程までと違い光が宿っていた。



・・・



火事場の馬鹿力が働いているうちに何とかたどり着いたヘリに、二人とドローンを乗せる。ヘリも自動で運転するようになっているから、二人きりでも病院へ行けるはずだ。征陸さんをおろしてヘリから飛び降りると、征陸さんが細い息の下でどこに行くのかと問うた。こんな時まで心配してくれるなんて、征陸さんが征陸さんすぎて何だか安心してしまう。



「槙島を追います。征陸さんと宜野座さんを殺しかけた罪を体で償ってもらわないと。二人とも、死なないでくださいね」



私の言葉に宜野座さんは一拍おいて、静かに頷いた。飛び立つヘリを確認することもせず、振り返ることもせずに走り出す。槙島だけは絶対に許さない。これで征陸さんが万が一、いや億が一死んだら拷問してやる。そんで私も後追い自殺をしてやるんだから。
物騒な考えをふつふつと煮えたぎらせながら走っていると、大きな音が外から響いた。慌てて外へ出る道を探して、暗い工場内から飛び出す。

道に倒れたトラックがもうもうと煙を上げているのが見えて、心臓が氷水をかけられたみたいに一瞬で冷えた。あの中に誰かが乗っていたら。想像するのも恐ろしい考えに、もつれそうな足を必死に動かす。しばらく人の姿を探して、畑のなかで倒れている朱ちゃんを見つけて慌てて駆け寄った。



「朱ちゃん!朱ちゃん、聞こえる!?」
「……名前、さん……槙、島が……狡噛さん、も……はや、く……」
「──わかった。私が戻ってくるまで、大丈夫ね?」
「はい……狡噛さ、んを……」
「了解」



ドミネーターを構えて、人が通ったあとと血のあとを追った。日が落ちる。夕暮れが、そよぐ穂を黄金に照らし出す。間に合うようにと走る足は、いつの間にか畑を抜けていた。早く、早く、山のなかに入ったら見失ってしまう。

永遠に続くと思える坂道を駆け上がっているとき、一発の銃声が響いた。ドミネーターなんかじゃない、生身の銃の音。
坂の最後の一歩を上がりきった先には、倒れて絶命している槙島と、煙草ではなく硝煙の香りをまとっている狡噛さんがいた。槙島をようやく殺したという余韻に浸っているのか、それともあっさりと過去を蹴散らすことが出来たのか。狡噛さんの表情からは内面を推測することさえ出来ず、大きく息を吸い込んだ。



「追いかけてきたのか」
「はい。この後はどうするんですか」
「さあな。戻っても、よくて一生施設暮らしだろうさ」
「朱ちゃん、狡噛さんが戻っても大丈夫だって言ってました。朱ちゃんの雰囲気が変わったから、何かあったんだろうとは思うけど」
「それでも戻る気はない」
「でしょうね」



私も、狡噛さんが生きて逃げ延びていてくれるほうが嬉しい。そういう意味を込めてドミネーターを下げたが、狡噛さんは銃を構えたままだった。さすが狡噛さん、槙島を殺したあとでも隙は見せないらしい。
狡噛さんがここで捕まったら、殺されるか一生白い室内に閉じ込められるだけで、もう執行官には戻れないだろう。でも、朱ちゃんは大丈夫だと言った。狡噛さんが戻ってきたら、今まで通り執行官をしていけると。私は朱ちゃんの言葉を、朱ちゃんを信じる。

一瞬だけ気を抜いて、どくどくと自己主張の激しい心臓と向き合った。ここからが勝負よ、私。大丈夫、きっとうまくいく。
狡噛さんに視線を向けてから、その後ろに何かがあるように目を見張ってみせる。まるで、そこにまだ死んでいなかった槙島がいるように。



「槙島……!」
「っ!?」



振り向いた狡噛さんが事態を把握するまでに、一秒もかからなかっただろう。しかし、その一秒未満にすぎない駆け引きが勝敗を決めた。見事に脊髄に吸い込まれていったパラライザーに、狡噛さんが崩れるように倒れ込む。
槙島の死体に寄り添うように横たわる狡噛さんは、良くも悪くも槙島の一番の理解者だったのだろう。だからこそ単独でここまで来れたのだ。

もう火事場の馬鹿力の効力はなくなっており、気を失った狡噛さんを運ぶことは出来なかった。仕方なく、死体と人殺しのそばに座り込んで空を見上げる。久々に見上げた空には、もう星が光っていた。



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