「朝ですよ。起きてください」
「んー……」
「二度寝どころか三度寝していますね。もうすぐスヌーズも切れます。遅刻していいんですか?」
「……いま、何時?」
「8時13分です」
「っ遅刻!」
「だから言ったでしょう」



呆れたように言うのは、私の携帯電話であるFRーYR10。何度も起こしましたよ、という声を聞く余裕もなく、ばたばたと顔を洗って着替える。どうにもならない寝癖は、縛ってどうにかしてしまうことにした。鞄を持ってスニーカーに足を突っ込んで走り出す。



「いま8時23分です。このまま走れば28分の電車に間に合うでしょう」
「着くのは!?」
「最寄駅に8時47分着。そこから教室まで7分かかるので、授業開始までには着きます」
「わかった!」



焦らせるようにカウントダウンをしてくる携帯をすこしだけ睨んで、必死に走る。
私の走る速度から駅につく正確な時間を割り出している携帯電話は、竜持という。扱いにくくひねくれた性格ではあるが、辞書は豊富で便利な機能がたくさんある。セキュリティは完璧で、危ないアプリなんかはダウンロードしないでいてくれる。特に数学に関するものはトップクラスで、数式が一発で出てくるのはありがたい。大学で数学の授業はとってないけど。なんのために僕を買ったんですか、と呆れられたのはもう一年も前のことだ。高校のときは役立ったからいいのよ。



「電車が来る1分前です。いきなり止まらず、歩いて階段をあがってください。間に合いますので」
「わ、かった……」



荒い息で階段をのぼる姿は、さぞ体が弱いように見えるに違いない。ゆっくりと階段をあがって、電車が来るというアナウンスとともにホームへ足をかける。
やってきた電車に乗り込んで席に座って、ようやく体の力が抜けた。今日は絶対に遅刻できない授業がある日なのだ。
間に合いそうでよかったと、跳ね上がった前髪をなでつける。ふっと影がさして、目の前に立っている竜持の手が伸びてきた。そのまま髪が優しく整えられる。



「僕の持ち主なんですから、髪くらいちゃんとしてください」
「うん。起こしてくれてありがとうね」
「本当に、何度も起こしましたよ。目ざましを3分おきにセットしているくせに、よくぐーすかと眠れますね」
「布団が気持ちよくて……」
「昨日も言いましたよね、それ。遅刻しても知りませんよ」
「竜持がおこしてくれるから大丈夫!」
「僕に責任をなすりつけないでください」



つれない台詞と態度はいつものことだけど、これでも買った当初よりはかなり優しくなった。私から話しかけないと口を開くこともなかったし、なにか尋ねても最低限のことしか話さなかった。緑色の薄いボディに最新の機能を備えた竜持はそれなりに人気があったけど、それと同じくらい扱いにくいという声が多かった。



「そうだ名前さん、僕ほしいものがあるんです」
「竜持がそんなこと言うなんて珍しいね。電池の交換?」
「いえ、兄弟です」
「……兄弟?」
「僕たちは三つ子の悪魔というコンセプトで、同じ日に発売されました。虎太クンがiPod、凰壮クンがiPad、僕がiPhoneです」
「ああ、聞いたことあるかも」
「本当は僕がiPadになる予定だったんですけど、手違いがあったようで」



悪魔の三つ子って、どんなコンセプトだ。ツッコミたかったけどぐっと我慢する。その消費者がまさに自分なんだから、このツッコミはブーメランで自分に返ってくるだろう。最初の態度は悪魔っぽかった気がしないでもないし、そういうことなのかもしれない。



「でも名前さんは手持ちがありませんよね?」
「うん、親の脛かじってるし」
「ですよねえ……やっぱり僕が株で稼ぐしかないですね」
「株!?」
「虎太クンと凰壮クンを稼ぐくらいならすぐ出来ますよ。してもいいですか?」
「だ、駄目!竜持を信用してないわけじゃないけど、さすがにたくさん借金があったら困るし!返さないといけないし!」
「万が一マイナスになっても、10万以内で抑えるようにします。そのときは僕を売ってください」
「やだ!」



咄嗟にでた拒否の言葉に、竜持は驚いて目を開いたあとに笑った。おかしくてたまらないというようにくすくすと笑う顔をじとっと睨む。
なんでそこで竜持を売るという話になるんだ。確かに失敗したら責任を取らなくちゃいけないけど、それは持ち主である私の責任でもあるから、一人で身売りするようなことはしなくていいと思う。竜持を手放したくないし。



「名前さんは知らないだろうけど、いまの僕の状態ってすごくいいんです」
「電池の持ちがいいってこと?」
「なんですぐ電池の話になるんですか。違います、この状態ですよ。自分でいうのもなんですが、こんなに懐くのって珍しいんです。たぶん2、300台で1台くらいだと思いますよ、こんな性格になるのは」
「これですごくいいんだ」
「悪かったですね」
「ごめんごめん。それで?」
「僕を売れば10万にはなるでしょう。名前さんにだけリスクを負わせて僕はノーリスクだなんてごめんですから」
「だから株をしても大丈夫だって?」
「ええ。言っておきますが、自分から兄弟がほしいというのも稀なんです。気に入らない持ち主であれば、虎太クンや凰壮クンを買おうとしても全力で阻止しますからね」



あと一分でつきますよ、という言葉に頷く。株とかしたことないんだけど、竜持に任せて大丈夫なのかな。信用してないわけじゃないけど心配はしてるというか……でも竜持は兄弟がほしいんだよね。それに私のことを気に入ってるって、そう言ってる。
窓の外を流れる見慣れた景色に、ふうっと息を吐き出す。仕方ない、バイトで貯めたお金があるし、いざとなったらそれを使おう。これで虎太と凰壮と買えばいいんだろうけど、明らかに足りない。



「……仕方ないなあ。マイナスは3万までにしてよ」
「ありがとうございます」



笑った竜持の顔がすごく可愛くて、つられて笑う。ほかに竜持を使っている人は、こんな笑顔を見ることはないんだろうか。ちょっとだけ優越感にひたりながら、立ち上がってドアの前に陣取った。さあ、もうひと頑張りしないと。



「そうだ名前さん、今日は抜き打ちテストがありますよ。ノートと教科書があればできますから、教室についたら出そうなところを教えてあげます」
「え?何で知ってるの?」
「言ったでしょう?僕、すごくいい状態なんです」



にっこりと笑う竜持にそれ以上聞く余裕はない。ドアが開いたと同時にマラソンがスタートして、階段をこけないようにおりていく。横で竜持がまた残り時間をカウントするものだから、思わず頭を小突いた。
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -