それは、ふたりが偶然出会ってから、二年が経とうとしているときだった。
 名前は高校三年生になり、オールマイトはヒーローを引退したものの、前よりは教師という職に慣れた毎日を送っていた。弟子は相変わらず泣き虫でつい心配してしまうこともあるが、自分の想像をこえて成長していくのは出会ったころから変わらず、ようやく彼の手を離してもいいのだと思いはじめていた。
 名前とオールマイトは、もう恒例となった「オールマイトの家でゲームをする」という休日をすごしていた。ふたりともゲームはほとんどしたことがなく、一年半前に、名作だというゲームを名前が友人から借りて始まったこののんびりした休日は、なかなかのお気に入りだった。
 レベル上げに飽きた名前がソファに寝転び、コントローラーを投げ出して、雑誌を読んでいたオールマイトを見上げた。

「ねえヤギさん、結婚しようよ」

 オールマイトの口から血が勢いよく吹き出る。それがわかっていたように名前はティッシュを渡した。薄いそれでは受け止めきれない血の量に焦りながら、それでも理由を聞こうと血をぬぐうオールマイトの気持ちがわかった名前は頷いた。

「このあいだ知らない人に告白されて」
「告白!?」
「それで付き合うことになったんだけど」
「付き合う!?」

 さきほどから次々と出てくる単語についていけないオールマイトは、ぜえぜえと息をきらせながら続きをうながした。

「同じ学校の人に告白されたんだ。悪いけど知らない人と付き合うことはできないって断ったら、知ってもらうためには告白するしかなかった、友達からでもいいから自分のこと知ってくださいって頼み込まれて、とりあえず友達からってことになったの」
「……なるほど」
「そのときヤギさんの顔が浮かんだんだけど、遊ぶ時間が減るわけじゃないからいいかと思ったんだ。それで放課後に一緒に帰ったら、いきなりキスされそうになって」
「キス!?」
「ぶっとばしてやったんだけどね。そしたら、付き合ってるからいいじゃないかとか、断られるのがわかってんだからキスくらい別にいいだろってわめかれて、もう一回ぶっとばして帰った。昨日のことなんだけど」
「昨日!?」

 名前が、自分が落ち着くのを待ってくれていることを感じながら、オールマイトは用意しておいたタオルで口元をぬぐった。
 名前はなにも考えず動く子ではない。自分の考えを言葉にするときは、すでに彼女のなかでは決定事項であり、これ以上ないほど考えたあとなのだ。

「……それで、どうしてそんな結論になったんだい」
「キスされそうになったとき、ヤギさんの顔が浮かんだの。一番親しい異性だからかと思ったけど、家に帰ってよく考えたら、わたし、ヤギさんのこと好きだったのよ。だから結婚しようと思って」
「ブッ飛んだな!?」
「そうでもないよ」

 名前はそれ以上困惑させることはせず、オールマイトが考え込めるように、彼の手から雑誌を抜きとって読みはじめた。それはいつもと同じ、リラックスして沈黙を苦と思わない顔だった。
 オールマイトは手で口を覆い、うなりながら考えはじめた。なぜ、突然結婚などと……恋人ならまだしも、いきなり結婚と言われてすぐ頷ける人間のほうが少ないに違いない。
 一瞬、彼女が受験などが嫌になって結婚に逃げ込もうとしたのかと思ったが、それは名前にたいしてあまりにも失礼だと、その考えを頭から押し出した。名前はそんなことを考える人間ではない。受験勉強はしっかりしていて、オールマイトの家へ遊びに来る半日が彼女にとってのささやかな休息だ。

 ふっと、オールマイトの頭が、真実に気がついた。
 恋人なら。もし名前が結婚ではなく、交際を申し込んできていたら?
 きっと断るだろう。私のようなおじさんと付き合うのではなく、未来が輝いていると確信をもっている、将来有望な若者と付き合うべきだ。そうして、断って、それでも引かない彼女に、きっと私は折れるのだろう。彼女の貴重な青春を消費していると自覚して、罪の意識に苛まれながら、それでも彼女を手放したくないと切望するだろう。
 つまり、私は、彼女を。

「……結婚したとして、どうする? 私はこどもをつくらないと決めている。理由は話せないが、もしこどもがうまれたとしても、私のような個性は決して持っていないだろう。むしろ無個性である可能性が高い。そんな私と結婚しても」
「えっヤギさんのこどもだったら無個性がいいと思うんだけど」
「えっ」

 名前が首をかしげる。

「ヤギさんのこどもがうまれて、その子が成長するころには、個性を使って悪いことをする人もいなくなって、ヒーローも個性を持て余してるといいと思ってるんだ。平和の象徴だったヒーローのこどもが、無個性で、誰に狙われることもなく、ヒーローに縛られることもなく、自分の人生を謳歌してたら、それってもう存在が平和の象徴みたいだよね。それって最高じゃない?」

 オールマイトは震えた。
 この、自分より年下の、まだ女性と呼ぶには早い友人は、なんて柔軟で素晴らしい発想をするのだろう。彼女の発想にはいつも驚かされるばかりで、自分のなかで知らないうちにそびえ立っていた壁をやすやすと壊していく。そうして、心地いい空間を作り上げるのだ。

「私、もうおじさんだよ。きみより早く死ぬよ」
「だから結婚するんでしょ。友達より恋人より夫婦のほうがたくさん楽しいことできるし、どうせ結婚するんなら早くしなくちゃ損でしょ? ヤギさんはきっと、あんまり長生きできないよね。だから、そのぶんたくさん楽しもう!」

 名前のひとみは、まっすぐで澄んでいた。好きな人が自分より早く死ぬことを受け止め、介護のことまで考え、それでも一緒にいたいと言う。
 オールマイトは笑った。

「HAHAHA! そうだ、私はたしかにあまり長くない! だから結婚するって?」
「うん。新婚旅行、10回はしようよ。眠る直前までお互いの顔を見ていよう。起きたらおはようって言って、毎朝一緒に朝ごはんを食べよう。毎日、その日あったことを話して、一緒におふろに入ろう。わたしはまだ愛とかわかってないけど、これだけは言えるよ。この気持ちはきっと愛まで育つから、ね、ヤギさんも愛してるって実感するまで、わたしのそばにいようよ」

 これ以上ないほどの愛の告白だった。
 オールマイトは笑った。声をあげて笑った。それからゆっくりと手をのばし、名前の頬をかすめるように撫で、愛しげに髪を梳いた。
 一体いつからだろう。出会った瞬間はそうではなかった。焼肉を食べはじめたときも、そうではなかった。たぶん、初めての休日のお誘いのときだ。ナンバーワンヒーローの弱点を知ってしまった興奮でも怯えでも優越感でもなく、挑むようにこちらへ踏み込んできた、あの目。

 彼女の名前は知っていた。けれど声に出して呼ぶどころか、心の中でさえ呼べなかった。彼女だとかきみだとか、そういったものでごまかして、どうして呼べなかったかって、そんなのは単純だ。

「名前」

 名前の体がびくりと動いた。ひとみも一緒に揺れ動いて、オールマイトだけを映し出す。それがどうしようもなく嬉しかった。

「そのお誘いは魅力的だが、不可能だ。わたしはもう、きみを愛しているみたいだからね」
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