早めの夕飯を終えDVDの鑑賞を終えると、もう日が沈んで夜になっていた。
 今日は土曜日だ。土曜の夜はヴィランの活動が最も盛んになることを知っていたオールマイトは、ここから駅までの道を教えてくれればいいという名前の意見を押し切り、名前をきちんと自宅まで送り届けた。玄関の前で、名前がはにかみながら振り返る。

「ヤギさん、今日はご飯食べてくれてありがとう」
「礼を言うのはこっちさ。ありがとう、本当においしかった」

 名前が家に入るまで動かないとオールマイトが言ったことを思い出し、名前がバッグのなかへ手を入れ家の鍵を探す。そして青ざめた。
 オールマイトのすすめで一度バッグの中身をすべて出し、鍵がないことを改めて突きつけられた名前は、思わず地面に座り込んだ。

「ご両親は? まだ仕事かい?」
「お母さんは夜勤で、お父さんは飛び入りの仕事で出て行っちゃったみたい。朝、ふたりがいたから鍵はかけずに出てきて……」

 途方にくれる名前をこのままにはしておけない。立ち上がった名前に握りこぶしを作ってみせ、オールマイトは安心させるように笑った。

「もしかしたら私の家にあるかもしれない。行って見てくるよ」
「待って、わたしも行く。ここで待っててもやることないし」

 夜は危険だと自分で言ったことを思い出し、オールマイトは頷いてまた駅までの道を戻った。途中、名前が両親にメールを送ったが、帰れないという短いメールが一通返ってきただけだった。
 電車に揺られオールマイトのマンションへ着き、鍵がないと結論が出たころには、もう夜の九時半をすぎていた。

「ごめんねヤギさん、友達に泊めてもらえるか電話してくるね」
「ああ。せっかくなんだ、お茶でも飲んで帰ればいい」

 普段紅茶を飲まないオールマイトは、この日のために高い紅茶とミルクを用意していた。それをわざわざ言いはしないが、中途半端に残った紅茶を名前のために入れられることは嬉しかった。
 キッチンに立ったオールマイトは、ドアを閉めたすぐ向こうで名前が電話している声を聞いた。盗み聞きはよくない。ケトルに水を入れたらすぐにリビングへ移動しようと、できるだけ音を立てず動きはじめたオールマイトはすぐに動きを止めた。

「あっミチコ、いま大丈夫? え、まだ塾にいるの? 明日テストって……あんまり遅くならないうちに帰りなよ。用事? あー……えーと、明日でもいいことだから今はいいや。邪魔してごめん、勉強頑張って」

 名前の声だった。用事を告げないまま電話をきった名前は、ため息をついてすぐにまた電話をかけた。

「あっハサミ、いまいい? ハァ? 彼氏の家って……またわたしの家に泊まったことにしてるでしょ。ハサミの親に恨まれるのわたしなんだからね。いいよもう、どうせ何言っても今日はもう家に帰らないんでしょ。今度サーティワンおごって。ん、じゃあね」

 ハサミとは友人の名前なのだろうか。気になって仕方ないオールマイトの耳に、ためいき混じりの声が聞こえてくる。

「仕方ない、今夜は野宿か」

 野宿。野宿だと。
 そういえば今日名前は服を買ってお小遣いがなくなったと笑っていた。いくら安いホテルとはいえ、高校生である名前がぽんぽん出せる金額ではあるまい。オールマイトの頭が激しく回転する。

 そうだ、私が彼女のためにホテルの一室を取るのは? いや、それはだめだ。彼女は喜ぶどころか、どれだけ言っても固辞するだろう。
 じゃあこれはどうだ。私が陽気にアメリカンに言う。「ヘイ彼女、実は今夜ホテルを予約していてね。私は疲れているから、きみが行ってきなよ」
 できるか! できないよこんなの! こんなの私が彼女とそういう関係になりたいって言っているようなものじゃないか!
 仮に彼女が純粋に納得したとして、じゃあ今夜はホテルに行きますって、そう言うか? 答えはNOだ! 彼女なら、せっかくだからヤギさん行ってきなよ、と言って帰るだろう。
 せめてお金だけでも……いや、これをしたら友情は壊れる。私が昼食代を支払っているのは、行きたいところに彼女を付き合わせているということが前提にあるからだ。彼女が行きたいところに行った場合はそれぞれ自分のぶんだけ支払うし、ウインドウショッピングなどをして疲れてカフェに入ったときも、やっぱりそれぞれ支払う。今日だって私は彼女のために一円も出していない。
 彼女のかばんにこっそりお金を……警察に届けるか私のものか聞いてくるだろうな!
 彼女の家の窓をちみっとワン・フォー・オールで壊し、鍵を開け、窓の代金を置いて去る……? 強盗かよ!

 迷走するオールマイトの耳に、ケトルのお湯がわく音にまぎれて名前の足音が届いた。とっさにカップを用意し、お湯がわきそうだからキッチンに来たといわんばかりに立つ。ドアを開ける音に振り返って名前を見て、ミルクと砂糖を尋ねると、名前のほうから切り出した。

「ふたつともたっぷり。友達が泊めてくれるっていうから、お茶をいただいたら帰るね。友達が最寄駅まで迎えに来てくれるから、今度は駅までの見送りで大丈夫だよ」

 ――ああ、そうだ。名前はこういう人だった。
 名前を傷つけず、気づかせず、野宿をさせないとなると、オールマイトはもう一つの方法しか思いつかなかった。
 リビングのソファに座り、ふたりで紅茶とコーヒーを飲む。テレビもつけていないから、部屋の中は静かだった。

「急いで友達の家に行かなきゃいけないかい」
「えっ、と、そういうわけじゃないんだけど」
「実はすこしだけ電話が聞こえてしまったんだが、友達はまだ塾にいるんだろう?」
「あっ、え、と……うん、そう」
「なら、もう一本だけ映画を見ていかないか。40分程度で終わる短いものなんだ。君も駅で待ちぼうけより、ここで映画を見ているほうがいいだろう? もちろん、友達の塾が終わったなら途中で帰ればいい。ホットミルクをお供に、どうだい?」

 名前はしばし迷ったすえ頷いた。家に帰っても待っているのは野宿だ。それならオールマイトの言葉に甘えようと、どこかほっとしたように笑う名前の太ももが白くてまぶしくて、オールマイトはそっと視線をそらした。男の家に来るというのに、ミニスカートはいかんよミニスカートは……。
 ふたりで今日楽しかったことを話しながらお茶を飲み干し、シアタールームに移動する。ソファをくっつけて寝ころがれるようにしたオールマイトは、それをふたつ作り、あいだにローテーブルを置いた。名前にブランケットを渡し、ホットミルクを用意する。

「もう夜も遅いし疲れただろう。ゆっくり寝転びながら見ようじゃないか」

 オールマイトが取り出したのは、ネットでぼろくそに書かれているDVDだった。オールマイトは、寝つきが悪いときにはこれを見ながら眠る。要するに、ものすごくつまらなくてすぐ眠ってしまうのだ。
 案の定、映画が始まって40分ほどで名前はぐっすりと寝入ってしまった。徐々にボリュームを落としながらDVDを停止させ、部屋を薄暗い程度に明るくしてから、オールマイトはずり落ちかけていたブランケットをかけなおした。きわどいスカートが危ない。
 空になったマグカップをふたつ持ち、そうっと部屋を出る。

「おやすみ。いい夢を」



 名前が目を覚ましたのは、翌朝の7時だった。
 自然と起きたまどろみが心地よくて、ブランケットにくるまりながら寝返りをうつ。かぎなれない本革のにおいに鼻をひくつかせ、そういえばいつもと寝心地が違うと気づいて飛び起きる。起きて数秒でここがオールマイトの家だと気づいた名前は、急いでシアタールームを飛び出した。

「ああ、おはよう」
「ヤギさんごめん、昨日寝ちゃっていま起きて、本当にごめん! すぐ帰る!」

 服にはシワが寄り、髪は跳ねて、見るからに寝起きという名前を見て、オールマイトは水をケトルに入れてから歩みよった。跳ねた髪をちょっとだけつまんで直したが、またすぐに跳ねる。

「いいよ、私も昨日気付いたら寝ていたんだ。君が謝ることはない。引き止めたのは私だし、映画を見せたのも私だ」
「でも、ごめんなさい! こんなつもりじゃなかったのに……」

 泣きそうな名前に、オールマイトはこの時のために考えていた言葉を舌に乗せた。

「今日の予定は?」
「え……特にない、けど」
「じゃあ、私に若者の休日というものを教えてくれないか。教師というのは本当に難しい職業で、私は失敗ばかりしているんだよ。若者たちが休日をどんなふうに過ごしているか知れば、すこしは生徒たちの心に近づけるかと思ってね。一日がかりの大仕事だ、頼まれてくれるかい?」

 オールマイトがウインクをすると、名前は泣きそうな顔をしてから笑った。オールマイトがこれ以上謝ってほしくはないことを察し、泣き言を言いそうになる口をぎゅっと閉じる。

「さあ、そうと決まれば、まずお風呂に入らないとね。お湯をためてあるから、ぜひ半身浴を楽しんでくれ。私のおすすめの入浴剤を入れてある。洗濯機の使い方はわかるかい? 洗剤と柔軟剤を入れておこう。小さいものなら、乾燥すればすぐに乾くよ。ああ、昨日買った服を着るのならそれもいい」

 オールマイトはそのまま流れるように名前を風呂場へ案内し、洗濯機の使い方を説明した。新品の歯ブラシとミネラルウォーターのペットボトルを渡し、ドライヤーをわかりやすいところに出し、浴室にあるものはすべて自由に使っていいと念を押してから、手をふって出て行った。
 ついていけていないのは、ひとり残された名前である。起きてから10分ほどのあいだの怒涛の展開についていけず、ふかふかのバスタオルを持ったままドアを見つめた。

 もしかしてヤギさんは女の人が泊まるという展開に慣れているのだろうかという名前の勘違いを聞けば、オールマイトは血を吐きながら否定しただろう。名前が起きる前に必死に考えた様々なことは、名前にとってはスマートすぎた。
 小さいものならすぐに乾くという言葉が、下着のことを指していると気づいたとき、名前はなんだか恥ずかしくなって急いでシャワーを浴びた。オールマイトのお気に入りの入浴剤は、さわやかな森の香りがした。

 いくら一番早いコースで回したとしても下着が乾くまでにはそれなりの時間がかかり、名前はそのあいだ半身浴を楽しんだ。家にひとりでいるとシャワーで済ませることが多く、お湯に浸かるのは久しぶりだった。
 湯上りの名前はリビングのドアを開けるとまずお礼を言い、とても気持ちが良かったと笑った。心臓がもたないのはオールマイトである。
 そもそもお風呂上がりの女性というものに慣れていないのに、こんなに近い距離で笑いかけられたらどこを見ればいいのかわからない。水をはじく肌からは湯気がでていて、自分と同じシャンプーやボディソープを使ったというのに甘い香りがする。
 名前が着ているのは、昨日購入したショートパンツとそれによく合うカットソーで、オールマイトは心の中で叫んだ。
 どうしてこの歳の子は自分の脚を出したがるんだ! だめだろう! こんなこと思うなんて、私は親か!
 名前に笑いかけ、オールマイトはベーコンエッグを作りはじめた。名前のお腹がなる。

「朝食にしよう。たまごは半熟で?」
「うん。ありがとう、ヤギさん」

 名前がお風呂に入っているあいだに急いでお気に入りのパン屋へ買いに走ったクロワッサンは焼きたてで、名前の好みに合わせた紅茶と混ざり合っていいにおいを漂わせる。ベーコンはすこしばかり焦げたが、それはご愛嬌。デザートにフルーツまでつけた朝食を見て、名前は喜びの声をあげた。

「すごい、おいしそう! 本当に食べていいの?」
「一日の元気は朝食からだぞ! 育ち盛りはたくさん食べないとな!」 
「ありがとうヤギさん!」

 ふたりで手を合わせて朝食を口に運び、なごやかな空気が流れる。高校生の食欲に目を見張りながら、合間にゆっくりとコーヒーをすするオールマイトは、ひとつの提案を口にした。

「昨晩のことは君も気に病んでいるかもしれないが、私もかなり気にしているんだ。嫁入り前の女の子が男の部屋に泊まっただなんて、どんなに君のご両親に謝っても許してもらえるものじゃない。もちろん、誰も知られずにいても、それでもしてはならないことに変わりはないんだ。今日のミッションはすべて君に任せるが、お金は半分ずつ出そう」

 両親に言うかは名前に任せるが、言うならばオールマイトは全力で謝罪に行くつもりだった。いくら名前を野宿させたくなかったとはいえ、襲ったと言われても仕方がない状況だったことは承知していた。
 名前が首を振る。フォークを置き、ティッシュで口をぬぐう。

「ヤギさんだけの責任じゃないよ。寝そうだと思ったときに起き上がれたのに、眠たくてそのまま寝ちゃったのはわたし。だから、この件はお互い悪かったで終わろうよ。今日はカラオケ、ゲーセン、ボーリングってたくさんやることあるんだから、ヤギさんはきちんとタオル持ってきてね。血、吐いちゃうかもしれないから」

 名前が茶目っ気たっぷりにウインクする。その言い方が、起きてきた名前をうまくなだめたオールマイトの言い方とそっくりで、わざとこういう言い方をしたのだと気づいたオールマイトは吹き出しながら頷いた。
 なんて心地いい関係だろう。いままで修行とヴィラン退治、そしてオール・フォー・ワンとの血みどろで悲しみと憎しみにあふれた戦いが日常だった。森の中を流れる澄み切った小川の横で一息つくようなさわやかな感覚は、きっと名前が相手だから感じられることなのだろうと、オールマイトは確信に似た予感をコーヒーに溶かして飲み込んだ。

 弱体化したとはいえ、自分はまだ体力があるほうだとオールマイトは思っていた。だが、名前の若さゆえの瞬発力と回復にはついていけず、名前の言うとおりタオルを持ってきてよかったと心から思った。
 カラオケでは歌える曲が少なく、ふたりで有名な曲やトトロなどを歌ったが、気分が乗ってきて思いきり声を出すと血も一緒に出た。ボーリングは想像以上に力の加減が難しく、最終的には名前と接戦し、熱くいい勝負になった。オールマイトは負けた。
 最後に寄ったゲームセンターではまずレースゲームをしたが、車や壁に追突し、激しくスピンしたあと間違えて逆走したりと、笑い声が絶えないままゴールをした。パンチマシンでは、マッスルフォームになりたがったオールマイトを名前がうまく意識をそらして連れ出し、マシンの寿命を伸ばした。エアホッケーでは白熱し、リズムゲームではことごとく失敗し、最後にプリクラを撮ったふたりは、出てきたプリクラを半分に切った。
 初めてプリクラを撮ったオールマイトのぎこちないピースと、慣れた名前のポーズの対比がいい思い出になりそうだ。名前がらくがきをしたものには「初プリ」「ヤギさんと」などという文字と、日付やハートのスタンプがうまく収まっていた。オールマイトがらくがきしたものには、力強く大きな文字で「私がきた!」と書かれており、それを見た名前は笑った。

「ヤギさん、すごい上手! わたし、これ手帳とスマホに貼るね!」

 有言実行、カバーを外した名前は、スマホの裏面をていねいに拭いてプリクラを貼り付けた。なるほど、と感心したオールマイトもスマホの裏側に貼った。スペースが余ったので、ついでだからと何枚か貼る。

「ヤギさん、スマホカバーはないの?」
「ああ、そういえばみんな使っているね。種類がありすぎてよくわからなくて、私は使ってないんだけど」
「それって大丈夫? プリクラ見えちゃうんじゃない?」
「これは私用のスマホだから大丈夫。仕事の依頼は事務所の電話にくるよ」

 それならばと頷いた名前は、ゲームセンターを出たところでオールマイトと向き合った。

「ヤギさん、昨日から本当にありがとう。すっごく楽しかった!」
「ああ、私も楽しかった。二日連続で遊ぶだなんて初めてだったし、今日は初めて尽くしで、とても新鮮だったよ」
「明るいから今日は送らなくても大丈夫だよ。じゃあねヤギさん、また今度!」
「ああ、また連絡するよ。気をつけて帰りなさい」

 また今度、という言葉はこれほど快いものだっただろうか。手を振ったオールマイトは、名前の後ろ姿をしばし見送ったあと、動き出す前にスマホに貼ったプリクラを見た。ふたりのあいだに浮かんでいるハートが、やけに心をくすぐった。
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