シビュラが支配するこの社会において、少女はまさに救世主のような存在だった。サイコハザードの真逆ともいえる能力をもつ、少女と呼ぶにふさわしい年齢と外見。滅多に外に出ず運動もしないため、手足は細く肌は青白かった。いつまでたっても幼い言動はその能力を保つために必要なのだということは、シビュラシステムで解析せずとも感じとれることだった。

少女はよく刑事課一係の部屋へ遊びに来る。これは上から許可されていることだった。舌足らずな高い声が、静かな室内にやけに大きく響く。



「ねえしゅうちゃん、名前ね、あめ食べたの」
「へえ、何味?」
「あまくて赤くて、なんの味か忘れちゃって」
「この飴?貰っていーの?」
「うん」
「んじゃひとつ。んー……これ、苺だな」
「いちご」



初めて聞いた言葉のように、少女は赤い飴と単語を転がす。
名前は記憶したことをすぐに忘れてしまう脳を持っていた。生きるために必要である最低限のことは覚えているが、一週間以上していないことや、会っていない人物がいると忘れてしまう。色相は常にクリアカラー、犯罪係数は赤ん坊のように低い。無邪気で素直な名前の両手は、神の手と呼ばれていた。



「しゅうちゃん」
「ん?あー、駄目駄目!また係数吸い取ろうとしたっしょ!駄目って言ったでしょーが」
「名前知らなーい」
「駄目だって。それで怒られんの俺だもん」



名前は他人の犯罪係数を吸い取ることが出来た。ふれた両手から係数を吸い取り、自分のものにする。メンタルケアの一種という肩書きになってはいるが、その理屈は誰にも証明できない。ふれられた者の自己暗示なのか、シビュラシステムでも解析できない流れがあるのか。名前の中身が何にせよ、少女にふれられた者は犯罪係数がさがるということは事実だけだった。




名前のお気に入りは縢だった。最初は邪険に扱っていた縢も、いつまでたっても負の感情を理解せず、自分以上にシビュラとこの世界に囚われている名前を段々と受け入れていった。いまでは兄と妹のような関係である。
ふたりして間食をしながら、名前は縢が器用にクリアしていくゲーム画面を食い入るように見つめていた。このゲームを名前の前でプレイしたのは三日前だ。まだ覚えているだろうと考えた縢は、セーブしてタイトル画面に戻ってゲームを名前に差し出す。



「やる?」
「やる!」



しかし名前が最後にゲームをしたのは何週間も前だった。ボタンの意味や画面の説明をするだけでかなりの時間がすぎていくのを、部屋にいる面々は微笑ましく見守る。名前の相手をして色相をクリアカラーに保つのは、この空間にいる者の義務だ。
わけもわからずボタンを連打し偶然次のステージへ進めた名前は、赤ん坊のような笑顔を浮かべた。この世の悪も苦労もまだ何も知らない、不可能なんてないと信じている笑顔。ドミネーターで執行対象を排除したあとでも、この笑みさえ見れば浄化されるような感覚が部屋を支配する。名前は全員の妹だった。





「ねえ、しゅうちゃんは?」



名前の明るい声に、常守は涙をこらえて下を向いた。縢が死んだということをやっと受け入れたのも先程だというのに、この無邪気な質問は重すぎた。誰かが言わなければならない空気が一瞬にして流れるなか、口を開いたのは狡噛だった。言いにくい言葉を煙草の煙に溶かして、冷たいようで優しい声を名前に届ける。



「縢は死んだ」
「しんだ?しんだって何?」
「もう会えないんだ。縢には、もう二度と」
「……会えない?それがしんだってこと?」
「そうだ。縢の体はもうこの世界にはない。体がないということは会えないということだ。わかるか?」
「しゅうちゃんの体がないの?ないから会えなくて、それが、しんだ?」
「そうだ」



名前は泣かなかった。誰もが声をあげて泣くと思っていた場面で名前は泣かずにじっと縢の席を見つめ、赤い唇を開いた。いつもより低い声、それでも色相はクリアカラー。それに宜野座はわずかな恐怖を覚えた。これは無邪気なのではなく、感情がないだけではないのか。
名前はまるで望む人がそこにいるかのように話し始めた。声は軽い。



「しゅうちゃん、言ってたの。人はいつかまた会えるって。しゅうちゃんが消えても名前が消えても、また生まれ変わるんだって。生まれ変わって、また会うの。その約束を、したの。だから大丈夫」



征陸は目を見開いた。その約束の場面を、子供同士の可愛らしい約束だと見ていた記憶が蘇る。しかしそれは半年以上も前のことであり、一週間前のことを忘れてしまう名前にとって、その出来事を覚えていることは有り得ないことだった。
征陸は目を閉じる。いくら忘れてしまうとはいえ、記憶は思い出せないだけで完全に排除されてしまったわけではない。征陸は立ち上がって名前の横まで行き、頭をなでた。



「そうだな。いつか会えるかもしれん。それまで生きるか」
「うん」



名前は征陸を見て、いつものように笑った。それが無邪気であるからこそ痛々しいと、弥生はその光景を見つめながら思う。だが、名前が死にたいと願ったり、負の感情で神の手が使えなくなったりしたら、困るどころの騒ぎではなくなってしまう。

生まれ変わりというものは、まだ解明されてはいない。その類の話も残されている。有り得ない話ではないのだ。ただそれが、限りなく低い可能性なだけで。




その日から名前は、一係に来るたびにいつものように尋ねるようになった。いつもの席に縢がいないと必ず尋ねる、名前の第一声。



「しゅうちゃんは?」
「まだ生まれ変わってないみたいだ。もう少し待て」
「ぎの、そればっかり言う。もうすこしってどのくらい?」
「わからん。輪廻転生はまだ解明されていない。次にいつ縢に会えるかは、縢にしかわからないことだ」
「そっか。しゅうちゃーん、名前はここだよー!早くこないとしゅうちゃんのお部屋は名前のお部屋になっちゃうよ!」



仮に生まれ変わったとしても、記憶はないだろう。それに赤ん坊として産まれてくるのだから、名前が望む年齢になるまでは20年ほどかかる。名前はそれを知らない。生まれ変わりとは、名前が知っている縢がそのまま現れることだと思っているのだ。誰もが名前が間違った知識を持っていると知りながら、誰も正そうとはしない。名前の神の両手は解明できないからこそ、何が原因で使えなくなるかわからなかった。

名前の両手を欲する人は、数え切れないほどいる。今は各業界のトップしか名前の元を訪ねることを許されていない。それでも客は途切れるどころか、順番だと長いあいだ待たされる。名前は使い捨てではない。今のところほかに類似のものは確認されていない、唯一無二の存在なのだ。



「ねえつくねちゃん、いつしゅうくん来るかなあ?」
「いつかなあ……というか、私つくねじゃないんだけど……」
「名前つくねだいすき!つくね、毎日食べてもいいよ!」
「好物が私の名前になってるってことは、嫌われてはないのかな……」
「名前がこんなに早く名前を覚えるなんて、常守監視官が初めてじゃないのか。ギノなんて半年もかかったぞ」
「名前がここに来るたびに会ってたのにね」



狡噛の真実と弥生のわずかに笑いを含んだ事実に、宜野座が怒る。それをきょとんと不思議そうに見た名前は、細い足を動かして宜野座の手を取った。慌てて手を振り払う宜野座に、名前は相変わらず不思議そうな顔で尋ねる。



「しゅうちゃんと一緒?だめ?」
「駄目だ!何度言ったらわかる!お前の両手は貴重なものだ。俺の係数を吸い取るんじゃない」
「名前、ぎのすき。だからさわるの」



一係にいる人物の係数をすぐに吸い取ろうとする名前は、何度言ってもそれを理解しなかった。理解しようともしない。飾り気のない言葉に、宜野座がぐっと言葉につまる。
名前は宜野座の言うことは理解できないものの、目の前の人物が怒っているように見えて渋々手を離した。実際は照れているのだが、それがわかっているのは名前以外の人物のみ。照れ隠しで宜野座の怒鳴り声が聞こえた瞬間、耐えきれないというように弥生がわずかに吹き出した。



「ねえやよい、しゅうちゃんはどこにいるの?生まれ変わるまでのあいだ、どこにいるの?さみしくないの?」
「私にはわからないけど、天国にいるんじゃないかしら。雲の上にある、とても大きな場所よ」
「くものうえ……ひろーい」
「ええ、そうね。そこで生まれ変わるのを、ゲームでもしながら待ってるんじゃない?」
「くもかあ……」



その日から名前は上を見上げることが多くなった。見上げても、無機質な天井しか見えない。それでも名前は、そこに縢がいるというように見上げ続けた。縢の座っていた椅子に腰掛けて、縢の自室で。





「神の手を持つ子供いるだろ?あいつ、仲良くしてた奴が死んで、生まれ変わるって信じてるらしいぜ」
「マジかよ。笑える」
「仲いいって、潜在犯だろ?死んでも代わりはいくらでもいるだろ」
「だよな。まあ変人同士、気があったんじゃねえの」



馬鹿にしたような笑い声が廊下まで響く。それを名前は微動だにせず聞いていた。名前はたしかに子供で忘れっぽいが、そこまで馬鹿ではない。言葉を自分なりに細かくして飲み込んだ結果、名前は理解した。しかし縢の言葉は絶対で、名前はそれを疑うことはしない。相反する言葉を問いかけて答えてくれる人物はもういない。
その日以降、名前の元気は目に見えてなくなっていった。縢の椅子に丸まって寝転ぶように座り、ぼんやりと縢の残したものにさわる。さすがにそれが一週間以上続くと、心配するなというほうが無理な話だ。今までいくら尋ねても上の空だったが、今日こそは聞き出さなければ。 狡噛は名前の視線に合わせしゃがみこんだ。



「何があったんだ?」
「何が、ある……んー、ない」
「ちゃんと食べてるか?最近頬がこけてるぞ」
「たべる?たべるってなに?」



名前の発言に部屋が凍りつく。名前は一週間以上記憶を保持できない。ということは、一週間は食事をしていないということだ。
だが、いくらなんでも名前が食事をしていないことに気付かないほどまわりも馬鹿ではないだろう。名前が寝ている間に点滴でも打っているのだろうと考えた狡噛は、一瞬でまわりにあるものを確認する。狡噛が行動に移すまえに、征陸が飴を取って名前に差し出した。



「これはな、縢がおいしいと言っていた飴だ」
「しゅうちゃんが?」
「名前に食べさせるって言っていてな。口に入れられるか?」
「……うん」



薄いピンク色の飴は、ほんのりと苺の香りを振りまきながら名前の口へと消えた。そっと飴を転がす名前の口から、あの日と同じように言葉が漏れる。



「……いちご」
「そうだ。おいしいだろう」
「……しゅうちゃん、あまいって言ってた」
「よく覚えてるな」
「名前、すぐ忘れちゃうから、ねるまえに思い出すの。忘れないように。紙にかいて、忘れないようにしてるの」
「そうか。偉いな」



目尻のしわを深くして、征陸は名前の頭をなでた。嬉しそうに笑う名前は、その手を抵抗せずに受け入れ、誇らしげに胸を張る。
縢がおいしいと言っていた料理を食うか、という征陸の言葉に名前が頷く。部屋に安心したような空気が漂うのを感じ、常守はわずかに上がっていた肩をおろした。これで食事をするようになるだろう。




ある日名前が嬉しそうに部屋に飛び込んできた。一目でわかる上機嫌な様子に、狡噛の眉がわずかに上がる。縢が死んでから、こんなに上機嫌な名前は見たことがない。ご機嫌な名前に、常守は単純にいいことがあったのだろうと尋ねた。



「いいことがあったの?嬉しそう」
「うん!名前が1000人きれいにしたら、しゅうちゃんに会えるんだって!」
「え?」



さすがの常守も不信に思ったらしい。部屋のなかの張り詰めた空気には気付かず、名前は今あった出来事をそのまま話し始めた。
1000人の犯罪係数を吸い取るまでに縢を探し名前と会わせると約束したこと、さっそく縢を探し出してくれていること、今日は2人を綺麗にしたこと。にこにこ笑いながら縢の椅子に座る名前に、部屋にいる者が険しい顔をする。



「名前ね、きれいにするの!今日はもうだめって言われたからしないけど、あしたもきれいにするの。今日はね、しゅうちゃんの部屋で寝てもいいって。名前、しゅうちゃんと寝るの」



喋りたいだけ喋った名前は、満足そうに縢の置いていったゲーム機を指先でなでた。細く白く、爪はすこし力を入れただけで折れそうなほど薄い。縢がセーブもせず置いていったゲーム機はなんだか物悲しく感じられて、常守はそっと目を伏せる。上機嫌で部屋を出ていく名前に、かける言葉など見つからなかった。



「名前が言っていたことが事実だとすると、だ。名前は上に騙されてるな」
「コウ!」
「怒るなギノ、俺たちにはどうしようもない。名前はあれで喜んでいるんだ。いまさら嘘だなんて、首輪のついた飼い犬が言えるわけもないだろう」
「……ああ」
「数ヵ月後に係数測定日か。上も考えたもんだ」
「とっつぁんもそう思うか。名前がこれほど積極的に神の手を使えば、どれだけのお偉いさんがクリアカラーになるだろうな」



嘲りをふくんだ狡噛の声に答える者は誰もいない。名前にこの条件を吹き込んだのは、彼らよりもっと上の人間たちだ。誰も逆らうことは出来やしない。
それに、名前のあんな嬉しそうな顔を見るのは本当に久しぶりだった。あの笑顔を曇らせたくないがために、誰もが口を噤む。名前が信じているのと同じように、縢がここにもう一度来てくれるならという思いは、口に出さないように重しをつけて喉の奥へしまいこんだ。





名前は知能が低く、シビュラの言うことに疑問を持たず素直に従う、理想の子供だった。誰もが名前を侮っていたし、名前に隠し事などないと思っていた。だが名前は誰よりも隠し事が多く、誰よりも事実を飲み込んでいたのかもしれない。

係数測定日の一週間前、名前の両手はいっさい機能しなくなった。もちろん、本来の手としての働きはじゅうぶんに出来る。神の手が使えなくなった、それだけ。それだけで、神の手にすがろうとしていた者や、名前の管理をしていた者は冷静さを失った。貴重な手を失うことだけはしてはならない。
慌てる様子もなく、名前は頬をふくらませて言った。



「しゅうちゃんのパーティーするの」



その一言で、優秀な管理者は理解した。もうすぐ名前が仲良くしていた者の誕生日だったはず。それが関係あるとして、ゆっくり優しく名前の要望を聞き出していく。名前が所望しているのは、ドミネーターだった。



「ドミネーターは、名前に渡せないんだ。わかる?」
「やだ!しゅうちゃんがいないとパーティーできない」



自分の主張を曲げず、神の手も使えなくなった名前に困り果てた管理者は、公安局局長に連絡をした。状況を説明して指示を仰ぐ。
結果、一時的にドミネーターの所持を許可された名前は、喜んでドミネーターを抱きしめた。しゅうちゃん、と何度も名前を呼んで抱きしめる様は、まるでシビュラの執行機械が縢でもあるかのような言動だった。

一週間後、駄々をこねてドミネーターにユーザー認証までさせた名前は、ご満悦で一係を訪れた。ユーザー認証を定期的に確認するとき以外構えたりはせず、撃つ素振りもなく、ただ抱きしめて上機嫌で神の手を使う。そんな名前を数日監視した者たちは、名前が銃を使うことはほぼないと決定を下した。誰かが常に名前のそばにいることを条件に、名前はドミネーターを手に入れた。



「今日はね、しゅうちゃんの生まれた日なの」



死んだ者の誕生日を祝うのは不思議な気持ちだったが、常守はそれを口にせず名前を大きなケーキの前へ導いた。名前にとって縢はまだ生きているに等しい。
大きなケーキと、生前に縢が名前によく作っていた料理が並ぶ一係の部屋を見て、名前の顔が輝く。職場でこんなことをするのは宜野座は反対だったが、局長の命令とあれば逆らうことは出来ない。
名前は縢の椅子に座り、音程のはずれた歌をうたった。ドミネーターにしゅうちゃんと話しかける様は異様で悲痛でもあり、名前の無邪気さを際立たせるようでもある。管理者は名前の猛反対により自室へと戻っていて、ここはまさに名前が望む一係の形だと言えた。



「しゅうちゃん、おめでとう。はやく会いにきてね」



ドミネーターを抱きしめながらケーキを食べ、話に花を咲かす。名前はずっと嬉しそうに縢の椅子に座っていた。

賑やかなときは一時間ほどして、緊急の呼び出しによって豹変した。全員出動の要請が入り、宜野座は眠ってしまった名前を見る。名前のそばに誰かがいるのが条件だったはずだ。全員が出動しては、その条件が満たせない。



「すぐに管理者を行かせます。数分で着くでしょう。宜野座監視官、早く出動を」
「わかりました。名前をおこさないように行くぞ」



宜野座にしては小声な出動命令に、全員が頷く。帰ってきて名前がまだ望むのなら、パーティーの続きをしよう。ぐっすりと眠る名前の顔を見て、狡噛は素早く立ち上がった。弥生が名前の体に自分の服をかけて続く。心配そうに名前を見た常守を征陸が促し、宜野座が最後に部屋を出た。
ぱたん、と静かに閉まったドアに、ゆっくりと名前の目が開く。椅子に座り直した名前はドミネーターを構え、何かに気付いて手を止めた。ペンを探して紙に文字を書き、それを満足そうに眺めてドミネーターを起動する。



「ユーザー認証。名前、公安局所属。使用許諾確認。適正ユーザーです」
「ねえしゅうちゃん」



銃口を自分に向ける。頭のなかにドミネーターの声が響くのを、名前は笑って受け入れた。色相は常にクリアカラー、犯罪係数は常に理想的な数値をさしている。それが神の手を持つ者。



「犯罪係数310。執行対象です。セーフティを解除します。執行モード、リーサル・エリミネーター。慎重に照準を定め対象を排除してください」
「名前ね、しゅうちゃんのことだいすきなんだよ」



名前はためらいなく引き金を引く。痛みは感じなかった。光あふれる世界へ飛び込むのだと、名前は笑って肉片へと昇華した。





事件をドミネーターで裁き、全員で帰って来た狡噛の目に飛び込んだのは、肉片になった名前だった。状況が理解できずに固まったのは狡噛だけではなく、誰もが言葉をなくして血と肉の破片を見つめる。
管理者が来るまでのわずか数分のあいだに起こった出来事だということを説明されても、頭が理解しているだけだった。こんな状況は佐々山だけで十分だったのにと、狡噛はいつの間にか噛みちぎっていた煙草を吐き捨てた。常守は泣き、弥生がそれを支える。ただじっと悲しみを耐える征陸に、後悔して自分を責める宜野座。見慣れた部屋は赤く染まり、ドローンが忙しなく動き回っていた。
狡噛は、縢の机のうえに血まみれの紙切れがあるのに気付いた。この部屋を出る前はなかったはずだ。血にまみれながらも肉片は飛び散っていない紙に顔を近付け、じっと見つめる。そこに書いてある文字を理解した瞬間、狡噛は目を閉じた。



「どうしたコウ。何かあったか」
「名前の遺書だ」
「遺書?」



全員が机のまわりに集まってくる。狡噛は名前の気持ちを代弁するように、そっと言葉を舌にのせた。
その言葉を聞いて、常守がたまらず泣き崩れた。弥生が顔をしかめる。泣くのを我慢している顔だった。



「……しゅうちゃんを、探してきます」



そういえば、名前は佐々山とも仲が良かった。佐々山がいなくなったあとも、縢のときと同じように「ささはどこ?」と聞いて回っていた。そのうち佐々山の名前を口に出すことがタブーになり、名前も名前を口にすることがなくなった。名前が佐々山を覚えていたのは、わずか3ヶ月ほど。縢のことを覚えていたのは、その何倍だろう。
狡噛は新しい煙草を取り出して、そっと火をつけた。名前への手向けのような行動に、誰も何も言わなかった。誰かを慰めるように、狡噛は自分が信じた真実を口にする。



「縢が死んでから、遅かれ早かれこうなる運命だった。名前にとって縢は世界の中心だったんじゃない。世界そのものだったんだ」



無垢で無邪気で、シビュラに愛された少女。天国かどこかで会いたかった人物と再会できていればいいと、狡噛は静かに目を閉じた。
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