ボールが阿部くんの構えるミットに吸い込まれていって、バッターが綺麗に空振った。一瞬の静寂のあと、審判がアウトを告げて、みんなが廉くんに駆け寄る。
……勝っ、た?廉くんが、西浦が、勝った?じわじわと足のつま先からあがってくる実感は、嬉しそうな廉くんの顔を見て一気に心臓まで駆け上がってきた。勝ったんだ。三星に、昔のチームメイトに、廉くんが勝ったんだ。



「さあみんな、喜ぶのはそこまでにしてグラウンドを整備しておいで!」
「はいっ!」



選手たちが元気に返事をしてまたグラウンドに駆けていくのを、ベンチに座ったまま見送る。私も、後片付けをしなくちゃ。ふらふらと立ち上がったところに千代ちゃんが帰ってきて、すごいとかおめでとうとか、興奮したようにまくし立てた。そういえば千代ちゃんは一人で放送室にいて、誰かと喜びをわかちあうことも出来なかったんだ。



「……勝った、よね?西浦は、勝ったよね?」
「勝ったよ!初勝利!」



千代ちゃんはピースをしてから、手際よく片付けを始めた。それを見習ってとろとろとゴミが落ちていないか見たりして、ちらちらと廉くんを見る。念入りにダウンしている廉くんの顔はゆるみきっていて、何だか私まで体の力が抜けたように感じた。



・・・



「戻って、こいよ」



車に乗り込もうと学校をあとにしようとしているときのこと。畠くんの、三星の願いをのせた声が響いた。ぐわんと頭が揺れる。目の前が真っ暗になって嫌だという言葉しか浮かばなかった私は、相変わらず自分のことしか考えていない。ぶるぶると首を振って、廉くんの気持ちを考えた。
もし廉くんが三星に戻ってみんなに認められて、叶くんとも真っ向から競って……それが出来たら一番いいのかもしれない。廉くんにとっても叶くんにとっても。でも私は、すでにわがままを言って西浦に来てしまったから、とても群馬には戻れない。



「……も……ど……らない」
「なんでだよ!今日負けてやっとみんなお前の力認めたんだぞ」
「かっ叶くんっ」
「やっと俺の言ってたこと証明されたのに」



みんながどこか緊張した様子で二人を見守る。こんなときなのに私は、廉くんと離れずにいられることに心底ほうっとしていた。廉くんは未練があった三星に決別することが出来たんだ。それはきっと、いま一緒に野球をしているチームメイトのおかげだ。



「お前、一人でさみしくねーのかよ!」
「……ないっ、よっ」



廉くんの返事に心が満たされて、同時にどこかに穴があいたような寂しさを感じた。私は自己満足のために西浦に来て、自己満足のために野球部のマネージャーになった。私には廉くんが必要だけど、廉くんは私が必要じゃない。完全な自己満足でここにいることが浮き彫りにされて、自分の不必要さを突きつけられた気分は、なかなか味わえない最低なものだ。
先に校門まで行こうかととぼとぼと歩き始めると、大きな声に引き止められた。叶くんだ。



「名前!」
「っひ!な、何……?」



ずんずんと歩いてくる叶くんは、私の腕をとった。そのままずるずると離れたところに引きずられていって、わけもわからず助けを求める。伸ばした腕は廉くんに向かっていた。



「れ、廉くん……!」
「名前 さんっ!」
「ちょっと話するだけだから大丈夫だって」



叶くんの言葉に、挙動不審になりつつも私に伸ばしてくれていた腕が引っ込められる。おどおどと不安そうに見てくる廉くんがすこしだけ遠ざかり、叶くんはようやく腕を離してくれた。ちょいちょいと指を動かされて、体を近づける。



「口元隠せよ」
「え?」
「喋るときに隠さねえと、何言ってるか盗まれちまうだろ」



よくわからなかったけど、頷いて口を両手で押さえる。叶くんは声をひそめて、片手で口を覆い隠した。そのまま思ったより近くに顔がよってきて、驚いて後ずさる。すぐに掴まえられた。



「離れたら何言ってるか漏れるだろ」
「ち、近いよ!」
「我慢しろ。聞かれたくねえんだよ」



真剣な声に、変なことで恥ずかしがっていた自分が情けなくなる。頷いて出来るだけ元の位置に戻ると、ほんのすこしだけ顔が近付いてきた。小声で私にだけ聞こえるように囁かれる声は、嬉しそうな含みを持っていた。



「初めて会ったとき、三橋が名前の話をしてるって言ったろ?」
「うん」
「あれ、ルリじゃなくて廉のほうだから」
「……え?」
「いつも廉がお前の話してたんだよ。あと、途中から野球の話するとすげえびくびくするようになったから、たまに名前のことで話しかけてたんだ」
「え、ええ?」
「名前のこと話すときは嬉しそうだったから」
「待って、どういうこと?」
「頑張れよ。応援してる」



ぽん、と肩を叩かれたあと、近すぎる距離から解放される。鏡を見なくてもわかるほど、自分の頬が熱を持っているのがわかった。もうじゅうぶん熱いのに、じわじわと後から後からこみあげてくる気持ちは様々な形をしていて、気持ちをなだめることなんて当分できそうにない。



「何かあったらすぐ知らせろよ。いいか、オレは応援してんだからな」
「か、叶くん!」
「三年もずっと廉に付き合ってきたんだぜ。オレは知る権利がある」
「叶くんのばか!」



廉くんのいるところで、見込みのない片思いのことを言わなくてもいいじゃない!廉くんには聞こえていないだろうけど、恥ずかしさはそういう考えでは消えないものだ。反撃したいけど、選手を言葉でも肉体でも傷付けるのはためらわれて、力なく胸を叩いた。叶くんの顔がまた近付く。



「廉、まだ恋人いたことないぜ」
「叶くん!」



二回目の拳は、一回目ほど遠慮はなかった。
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