廉くんに聞きたいけど聞けない。そんな私の気持ちを察したのだろう。ルリが嫌いなはずの叶くんという男の子と話せるようにしてくれたのは、中学三年の秋だった。そこで私は、叶くんから野球部の現状を聞いた。そして泣いた。
どうして放っておいたんだろう。どうして無関心でいられたんだろう。後悔で泣く私を叶くんは不器用に、そんなことはないと慰めてくれた。でももう遅い、廉くんの中学最後の試合はとっくの昔に終わってしまっている。来ないでと言われていたけど、一度くらいは見たかった。嫌われてもいいから、見ておくんだった。
ぼろぼろと泣く私に、叶くんは缶ジュースをおごってくれた。それを飲みながら、叶くんはぽつぽつと話をする。
「三橋に、お前の話は聞いてたんだよ」
「ルリに?」
「あいつ……廉はさ、いい投手なんだ。オレはずっとそう思ってる」
「いつも、練習してる。野球大好きなんだね」
「オレたちがしてたのは野球じゃない。野球じゃないんだ……」
うなだれる叶くんには叶くんの悩みがあったのだろう。初対面の私に言うくらいだから、きっと野球部の人に関する、野球部の人には言えないような悩みが。
缶ジュースがべこりと潰れて、投手の手にジュースがかかっていく。それを抜き取って、ハンカチを渡した。
「……悪い」
「ありがとう、話してくれて。……叶くんも、つらかったよね」
眉がよって、また叶くんが俯く。公園のベンチに座っているともう肌寒くなる季節になってきた。廉くんは三星に行かない。廉くんと離れるのも、もう少しだ。
そのことが悲しくて無力な自分が情けなくて、飲み終わった缶ジュースを思いきり振りかぶって投げた。見当違いな方向に飛んでいった缶ジュースは、まるで私みたいだった。
ぱちりと目を開く。目に入るのは一人暮らし用の、狭く見慣れない天井。自炊や掃除をきちんとすることで許された一人暮らしには、まだ慣れない。慣れない高校生活に慣れない部活、慣れない一人暮らし。成績も一人暮らしの条件に含まれるから、手抜きは出来ない。迷惑をかけていることはわかっているけど、廉くんのいない高校生活に比べたらすべてが輝いて見えた。
「おはようございます!」
自転車で5分程度のところにアパートが借りられたのは、すごく有難い。朝練のときマネージャーは選手よりゆっくり来ていいけど、普通より早くくることに変わりはない。特に私はとろいから、少し早めに来るようにしている。志賀先生に野球のこととか専門的なことを聞いて、少しでも早くマネージャーらしくなるためだ。
しばらくしたら千代ちゃんが来て、それからマネージャーの仕事を始める。とはいっても二人とも手探りで何をしたらいいか考えている最中だけど、いまのところ千代ちゃんにお世話になりっぱなしだ。千代ちゃんにも色々と教えてもらいながら、ノックのボール出しなどをしたりもする。私はなかなか下手である。
朝練が終わったら、選手たちは着替えに部室に行ってしまう。廉くんは田島くんと仲がよくなりつつあるから、二人でだだーっと走っていってしまうことがある。それを阿部くんの怒鳴り声がおいかけるのを聞きながら、千代ちゃんと後片付けをして着替えるのが日課だ。
クラスは栄口くんと巣山くんと同じだ。二人とも優しくて私を気遣ってくれる。巣山くんは料理ができるらしく、レシピとか作り方を教えてもらったりもする。受験が終わったあとにお母さんに家事を叩き込まれたけど、しょせん付け焼刃。お弁当なんてお米と野菜炒めがほとんどで、女子らしさのかけらも見当たらない。
栄口くんも優しくて、そんな私を慰めてくれる。一人暮らしをするなんてすごいとか、お弁当を作ってるだけで偉いとか。二人とも性格がよくて私も性格の悪さが滲み出てる気がするけど、気にし始めたらキリがないので、考え出したら強制終了するようにしている。
たまにほかのクラスの野球部の人とも会う。チームメイトたちがだいぶ仲が良くなってきたように感じるのは、私がマネージャーで一歩引いたところから見ているからだろうか。
授業中に体力を回復して、夕方には私たちにとってメインの部活が始まる。巣山くんと栄口くんと一緒に途中まで行って、私は先にグラウンドへお邪魔する。シャツを脱いでスカートの下にジャージをはくだけなので楽チンである。
「名前、さんっ!ち わっ!」
「廉くん!こんにちは」
廉くんは毎日、帽子を脱いで律儀に挨拶をしてくれる。泉くんいわく私が部活にちゃんといるための確認らしいけど、私はそんなにサボりそうに見えるのだろうか。朝練も真面目に来てるのにな。
「暑くなってきたから、水分ちゃんととってね」
「う ん!」
「今日の調子はどう?」
「へーき!」
「そっか!あの、あのね、廉くん。今日も頑張ろうね!」
「うん!」
滅多に見られなくなった廉くんの笑顔を見られるのは、今のところ私だけの特権だ。それを嬉しいと感じてしまうのはやっぱり性格が悪いからだけど、廉くんの笑顔の前では見ないふりをしてしまう。
そして今日も、廉くんがしたいと望んだ野球が始まる。