ルリは明るくて物怖じしなくてはっきりものが言えて、私にとっては眩しくてたまらない人だった。励ますときに痛いほど叩かれる背中、ちょっとしたことで笑う朗らかさ、面倒見のよさ。そういったものが私に向けられるたび、嬉しいような誇らしいような気持ちになった。こんな素敵な人が私の友達なんだよと、自慢したいような、秘密にしておきたいようなくすぐったさが体を支配した。
何をやらせてもとろくさい私を、ルリはよく気遣ってくれた。友達だと言ってくれた。そんなルリを育てた家には、おっとりしたおばさんと、優しく笑うおじさんがいた。それと、廉くん。
「あ、レンレンが帰ってきた!」
どの部活に入ろうか悩んでいる私とルリの耳に入ってきたのは、玄関のドアが静かに閉まる音だった。レンレンというのは、ルリの話にたまに出てくる従兄弟で、この春からルリの家に居候をしているらしい。ルリに行こうと促されて、おずおずと階段をおりる。
玄関にいたのは、ふわふわな蜂蜜色の髪の毛をもった男の子。野球バッグを抱えて靴を脱いでいる後ろ姿に、ルリは遠慮なく声をかけた。
「レンレン、早くない?部活は?」
「……レンレンって、ゆーなっ」
「ごめんごめん、それで部活は?」
「ポジション確認、して、軽く練習して、」
靴を脱いだ男の子がこっちを向いて私を見て、びくりと固まった。それを見て私もびくりと固まる。お互い目を丸くして見知らぬ存在を確認しあっているところで、ルリが私を紹介した。ルリから私の話を聞いているらしいレンレンという人は、しばらくして私の名前に思い当たったのか、こくりと頷く。
「オッ、オレ、三橋、廉っ」
「私は、名字、名前です。三橋くんで、いいのかな?」
「名前、この家じゃ全員三橋だよー!」
ルリが笑いながら言ってくる言葉に赤くなる。そういえばこの家の表札は三橋だし、名字で呼んだら全員振り返ってしまう。ルリはまだ笑いながら、あっさりと無理な提案をしてきた。
「名前もレンレンって呼べば?」
「いや、それはちょっと……」
「そお?じゃあ廉は?」
「廉……くん」
男の子を名前で呼ぶだなんて初めてだ。そうっと転がすように名前を呼んでみると、廉くんは驚きながらも頷いてくれた。レンレンも名前のこと名前で呼べばいいじゃん、とまたもあっさりと提案してくるルリに驚く。廉くんからの抗議の声はない。そうっと見上げると、私の様子を窺っている廉くんと目があった。
「な、名前……廉くんって呼ぶの、嫌じゃ、ないの?」
「い、嫌じゃ、ない!」
「わ、私も名前で呼ばれるの、嫌じゃないよ!」
「……名前、さん……?」
おそるおそる、廉くんの少し高い声で呼ばれる名前は、いままで呼ばれたものとは違う色をしていた。きらきら光るそれが自分の名前だなんて思えなくて、まるで宝物をもらったように心臓がどくりと鳴った。不安そうに見てくる廉くんに笑って、嬉しいと気持ちを伝えると、蜂蜜色の髪の毛を揺らして嬉しそうに笑う。その子供のような無邪気な顔がいつまでも目に焼きついて離れなかった。
・・・
私は知っていた。よく泣くけどそのぶんよく笑う廉くんを。野球が大好きで、ご飯を食べたりお風呂に入ったりしているとき以外はボールをいじっている廉くんを、知っていた。
だんだんと無口になって、笑わなくなって、試合には来ないでと言われて、結局は一度も見に行けなかった。だんだんと避けられるようになって、何があったのか聞きたいけどそんな間柄でもなくて、嫌われるのが怖いと自分のことしか考えなかった。相手のことを考えない、自分中心の恋。そんなものさっさと捨ててしまえばいいのに、私は結局捨てられなかった。
それでも一度、勇気を出して廉くんに聞いたことがある。春になる前の、暗くて冷たい廊下で、廉くんは前みたいに目を合わせてはくれなかった。
「廉くん、何か……あったの?」
「……っ!」
廉くんがはじかれたように反応して、彼の目から涙がこぼれ落ちる。驚いて何を言ったらいいかわからない私の前で、廉くんはぽろぽろと綺麗な涙を流した。乱暴に目をふいて、野球ボールを握りしめて、廉くんは震える唇を開く。
「うっ……だいじょ、ぶ……」
「え、でも……」
「名前、さん に……こ れ以上、」
廉くんの口の中に飲み込まれた言葉は、私に届くことはなかった。続きを聞く前に廉くんは走り去ってしまい、暗い廊下にひとり取り残される。
……拒絶、された?やんわりと優しく、私が傷つかないように。なんだか泣きたくなったけど、ルリの家で泣くのは駄目だ。ぐっとこらえて、家に帰ってから一人で泣いた。結局私は廉くんとただの知り合いで、何も出来ないんだ。その関係にしかなれなかった自分が、その程度の努力しかしてこなかった自分が悔しくて情けなくて、泣いた。