咄嗟に閉じた目をゆっくり開けると、伸ばした睫毛から血が滴った。頭から血やら肉やら臓物をかぶって、独特の吐きそうな臭いのなかにへたりこむ。銃が地面に当たって、かつんと硬い音がした。
……今まで生きていた人間が、悪いなんて思えなかった人間が、目の前で死んだ。受け入れられない現実に、ねっとりとあたたかい血に、何かがぷちんと切れた音がした。



「こんな……誰が何のために作ったかわからないものに従って、人は死ぬの……?犯罪をおこしていないのに、捕らえられる人もいて……」



私の問いに答える人は誰もいない。それはそうだろう、この悩みはここにいる誰しもが一度は考えたことがあるはずだ。自分なりに答えを見つけるまでもがき苦しんで、その間も人を裁き続けてきたに違いない。
真っ白で何も考えられない頭のなかに、懐かしい友人の顔が浮かぶ。宜野座さんに似ている私の友人、燿子。性格がきつくて不器用で真っ直ぐで、でもいるだけでその場が華やかになるような女性だった。



「……友達が、妊娠して。幸せになってほしいから、子供に幸って字を入れるって、言って。……燿子が幸せであるように望んだ子供は、こんな狂った世界で生きてるの……?」



こんな、狂った世界で。頭のなかで自分の言ったことを反芻して、ハッとして立ち上がる。スーツの裾から血が滴って、足を濡らして地面に広がっていった。



「……ごめんなさい。みんな……私も、この世界で生きているのに。失礼なことを言ったわ。本当に、ごめんなさい」



頭を下げて歩き出すと、靴がびちゃびちゃと音を立てて血の痕を残していった。これはドローンが掃除してくれるらしい。常守さんが控えめに出してくれたタオルを受け取って笑い、血を拭き取った。タオルが用意されているということは、こういった展開も珍しくはないのだろう。



「ごめんなさい、ありがとう。私、執行官に向いていないのかもね」



誰も何も言わないまま、車に乗り込んで公安局を目指す。こびりついた血はそのままに目を閉じると、先程の光景がまぶたの裏で再生された。これが、未来。年老いた私が体験していたかもしれない、未来。
車の振動が心地よくて、目を閉じたままにしておく。気付かないほどゆるやかに引き込まれた夢のなかは、現実と同じように真っ暗だった。



「名前!あんたどこに行ってたの!」
「……燿子?」



ここは、どこだろう。見覚えのない部屋だが、置いてある家具や小物には見覚えがある。あれは燿子が使っていたものだ。慌てたように駆け寄ってくる燿子を見て、思わず抱きついた。長い付き合いだがこんなことをしたのは初めてだ。燿子は何も言わず受け止めてくれ、抱きしめ返してくれた。



「あんた何ヶ月もどこに行ってたの!血まみれだし!」
「怪我はしてないよ。……なんか、未来に行ってた」
「頭大丈夫!?ああもう、ひどい顔して!」



タオルで顔をぬぐわれると、赤黒い血が綺麗なタオルについた。燿子のしたいようにさせながら、ぽつりぽつりと今まであったことを話す。いきなり未来に飛ばされたこと。刑事になって犯人を追い詰めたこと。未来は今と全然違うこと。



「未来は……酷い、ところだった。……ねえ燿子、酷い未来になるってわかってても子供、産む?」
「もちろんよ!というか、もう産んじゃったし。いくら酷い未来だろうと、夢や希望がなかろうと、人間はたくましく生きていくわ。そんな顔してるなんて名前らしくないじゃない。どんな未来にも幸せや喜びはあるし、どんな場所にも苦しみや悲劇はあるわ。当たり前じゃない。私たち、そのなかを生きてきたじゃない」
「……うん。そう、だね」
「ああもう、あんたがいきなり来るから、何も用意してないじゃない!えっと、ほらこれ、500円玉あげる!だからこれ持って、死なずに生きなさいよ!」



押し付けられた500円玉は、500円貯金をしている名残だろう。生きるのよ、頑張れ、信じてる、また会いましょう。燿子の口から矢継ぎ早に出てくる言葉がだんだんと薄れて消えて、白く塗りつぶされていく。手を伸ばした先には何もなくて、今さっき助けられなかった男を彷彿とさせた。



「燿子!」



自分の声に驚いて目を開ける。薄暗い車内、見つめてくる執行官の目。肩で息をしながら、ここが現実だとゆっくりと思い出していく。……そうだ、いま私が生きているのはここだ。この世界だ。



「大丈夫かいお嬢ちゃん。うなされてたが」
「征陸、さん……。夢の中で、友達に会って。いきなり来るなって怒られました」



自分でもわかるほど力のない笑みを向けると、征陸さんも笑ってくれた。血が渇いて、肌がぱりぱりと音を立てる。顔をさわろうと上げた右手がいつの間にか握り締められていることに気付いて、ゆっくりと手を開いた。手の中に何かある感触がする。これは……。



「……500円玉」
「それは……昔の金だな。どこでそれを?」
「夢のなかで友達にもらったんです。これをあげるから生きろって……」



何も持っていなかった手の中に現れた硬貨は、車内の明かりを受けて鈍く輝いた。もしかしたら、夢のなかで本当に会ったのかもしれない。幽体離脱とか、そんな感じで。ころころと硬貨を手のひらの上で転がして、大事にポケットにしまい込む。これだけはなくさないようにしよう。



「六合塚さん、狡噛さん、縢、征陸さん。今さっきは本当にすみませんでした。私も、この世界で生きていくことに決めたから……その、これからもよろしくお願いします」



がばっと頭を下げると、返ってきたのは沈黙だった。拒絶ではない、受け入れるための沈黙。それがここにいる人間がいい人だと裏付けているようで笑う。やっぱり私の人間の善悪を判断する勘は、間違ってはいないのだろう。


TOP


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -