犯罪係数はぎりぎり引っかからない程度、大企業の社長の息子でいざとなれば隠蔽も可。襲われた女の人はお金と権力によって事件自体をもみ消され泣き寝入り、被害者は確実に二桁いってる。同一人物を相手に被害届が取り下げられた数があまりに多いので公安局の目に止まり、捜査を命じられた。女を襲う時なら係数があがると見て張り込み捜査中。
以上が今回の事件の簡単な概要だ。ひらひらしている布切れの裾を掴んで、頭の中で情報を整理する。
「で、このドレスねえ」
「似合ってるわよ」
「六合塚さんも」
二人してドレスを褒め合って、ハイヒールでレッドカーペットを蹴る。今回は容疑者である男が参加するパーティーに潜入するのだ。潜入捜査なんて初めてで緊張する。ドレスなんてものを着るのも燿子の結婚式以来だし、ヒールも不安定に体を支えていて頼りない。
横を歩く六合塚さんは堂々としていて、一緒にいるだけで少し安心した。会場にはみんないるというし、そもそも容疑者と接触できるかどうかすらわからない。
自分を落ち着かせながら会場となるドアを開けると、煌びやかなシャンデリアと色とりどりの料理、華やかな人々に出迎えられた。もうすでに会場にいる一係のメンバーを見ないようにして、六合塚さんと別れる。いつもより緩やかに巻いた髪に隠れたイヤホンから、常守さんの声が聞こえた。
「二人とも、気をつけてください。いま容疑者が到着しました」
少しだけ頷いて了解の意味を示し、不自然にならないようにグラスを手にとった。常守さんは監視官だから今回の捜査でドレスを着る予定はないし、この建物にはいるけどパーティ会場に来る予定もない。執行官は本当に使い捨ての駒のような存在なんだろう。征陸さんと一緒なら、それも悪い気はしないけど。
しばらくして容疑者が会場に入ってきたのを確認して、そっと歩き出した。足に隠したドミネーターのせいで歩きにくいけど、これがあるから背筋を伸ばしていられるのだと思う。
容疑者を見ているのを悟られないようにしながら、今回の流れを思い出す。容疑者が女を引っ掛けて部屋に入り次第包囲、のちドミネーターにて成敗。うまくいくかは心配だけど、ここまで来たらもうやるしかない。
グラスのお酒を揺らしながら料理を見ていると、男がこちらに来るのが見えた。もし誘われるなら私より六合塚さんのほうに行くと思っていたのに、男はまっすぐ私の前まで来て笑いかけてくる。なかなかイケメンだ。
「初めて見る顔だけど、こういう場所に慣れてないのかな?」
「ええ、初めてで……緊張してるんです」
「はは、可愛いね」
そっと肩に回された手にびくりと体が跳ねる。その様子を見て男はまた笑い、歩いているボーイからお酒を受け取った。乾杯、と差し出されるグラスにグラスを当て、一口だけお酒を飲む。飲まないと怪しまれるけど、あまり飲むわけにもいかない。
「お酒に弱いのかい?」
「はい……だって、アルコールって中毒性があるって言うんですもの」
「その通りだ。だからこそ出回らないし、だからこそ手に入れる価値がある」
まったくその通り。口には出さず、肯定も否定もしないまま笑って、グラスの中のとろりとしたオレンジ色を揺らした。自分を偽るというのはなかなかに骨の折れる行為だけど、文句を言ってはいられない。いま私は、ガラスの仮面を被った女優なのよ。
そのまま話し始める男に相槌をうち、驚き、感心したように頷くことを数十分続けた結果、ついに男が動いた。むき出しの肩に回された手に、近付いてくる体。
「二人きりで話さないか?最上階のスイートルームをとってあるんだ」
「え?」
「大丈夫、手を出しはしないさ。約束する」
「本当、ですか?」
「ああ、シビュラに誓って」
「じゃあ……少しだけなら」
何がシビュラに誓って、だ。その言葉に警戒をすこし解いたように見せかけながら、男のエスコートに素直に従う。
まさか着飾った女性のなかで、ピンポイントに私を狙うなんて思わなかった。黒いスリットのあるドレスを着ている六合塚さんのほうがよっぽど綺麗なのに。私が着ている、薄いブルーの甘いドレスがお気に召したのかもしれない。
「お酒は何が好き?」
「あまり飲んだことがないので……今さっき飲んだ、甘いのはおいしかったです」
「部屋に運ばせよう。ここは料理もおいしいし、君もきっと気に入るよ」
「ありがとうございます」
出来るだけ嬉しそうに微笑んで、長いエレベーターと長い廊下の末に男が立ち止まった部屋の前に立つ。ゆっくりと開かれていくドアの向こうは、まるで別世界のようだった。細かな彫刻が入った柱、革張りのソファ、大きな窓を彩るドレープカーテンで囲まれた広い空間。
思わず部屋を見回す私を、男は満足そうに見た。
「お気に召したかな?」
「はい!すごく素敵です」
ヒールが沈み込む絨毯の上を歩いて、ホログラムで内装された部屋を横切る。ソファに腰掛けるように促され、すでに机の上に置いてあったワインの栓が開けられた。
ワイングラスに赤く透明な液体が注がれ、静かに波打つ。一気に飲み干したくなる衝動を抑えながら、恐る恐る、というように口に入れた。
「どうだい?」
「ワインはまだちょっと早いみたいです」
「そんなところも可愛いね」
「そんなことないです」
「赤くなって照れているのかい?そんなところが可愛いんだよ」
部屋に入った途端、遠慮する必要はないとばかりに口を開く男に、どう反応していいかわからないまま否定する。まさか自分が選ばれるとは思っていなかったから、こういう状況になったときのシミュレーションをしてこなかった。焦る私に、男は向かいから隣に移動してきてさらに口説き落とそうとしてくる。ど、どうしよう。
「あの、こういうの慣れていないので」
「見ればわかるよ。ねえ、気持ちいいことに興味はある?」
きた。どう反応していいか困っている顔は演技などではなく、素直な私の気持ちだ。困惑する私の顔を見て男はにんまりと笑い、いきなりソファに押し倒してきた。抵抗する間もなく景色が反転し、体がソファに沈み込む。
「うわっ!」
「大丈夫、僕が優しく教えてあげる」
「間に合ってます!」
「そう言わずに」
すでにドアの向こうに待機しているであろう面々が、いまにも突入せんばかりにドミネーターを構える音が耳元で響く。もみ合って必死に抵抗しながら、バレないように足に隠しているドミネーターに指をかけた。 足を立てて目の前の男に銃口の先を向け、頭のなかに響く声に集中する。アンダー5、あと少し。
それを確認すると同時に、焦ったような常守さんの声が耳元で響いた。
「苗字さん!突入します!」
「待って、まだ駄目!」
「何が駄目なんだい?もう少ししたら僕に襲われてくれるのかな?でも残念、抵抗されるのが好みなんだ」
「いい趣味をお持ちですのね」
「相性が悪い人に好かれるなんて光栄だな」
「あら、私たち相性が悪いの?さすがシビュラシステムのご宣託、間違いはないようね」
「相性が悪い人を襲うのが僕の趣味でね、今回も実に相性がいい」
「本当に」
嫌味の言い合いをしながらも、男の手は止まることがない。私の手を力尽くで押さえ、脇腹や足をさわってくる手は実に気持ちが悪い。今年度の気持ち悪いMVP賞を差し上げたいくらいだ。
キスをしようと近づけてくる顔から何とか逃げながら、もう我慢ならないと反撃に出た。膝で思いきりみぞおちを付き、一瞬動きが止まった隙に手を振りほどく。反撃されるとは思っていなかったらしい男の体がソファに沈むのを見て、すかさず後ろから股間に蹴りを一発お見舞いした。ドミネーターを構えて、頭のなかに響く声を確認する。
犯罪係数110。執行対象です。セーフティを解除します。執行モード、ノンリーサル・パラライザー。慎重に照準を定め対象を制圧してください。
それと同時に宜野座さんの突入という声が聞こえてきて、まだ悶えている男を仰向けにさせた。股間にヒールを突き刺して、声も出ないまま痛みに耐えている男に向かって銃口を見せつける。
「ごめんなさい、私本当はビールが一番好きなの」
そのままハイヒールをどけて、股間にパラライザーを撃ち込む。声もなく沈み込んだ男を見て、乱れた髪とドレスを整えた。まったく、性欲に狂った男なんてろくな奴がいない。
ドミネーターを戻して後ろを振り向くと、どこか青ざめている一係の男性陣の姿があった。縢は股間を押さえて、いまの私の行動に少なからず引いているようだ。六合塚さんと常守さんは喜んでいるのに、やはり男はこの痛さがわかるからだろうか。
「名前ちゃん容赦ねー……」
「あのねえ、乙女のファーストキスが奪われそうになったのよ?これくらい抵抗して当然よ」
「抵抗っつーか反撃っつーか……まあ無事でよかった」
「苗字さん!何かされましたか!?」
「少し足とか触られたくらいだから大丈夫。この男のほうが心と体にダメージを負ってるわ」
「よかった……!身柄を確保します!」
そのまま男の身柄を確保し、男の持ち物も探すことになった。この捜査が始まってから何も言わない征陸さんは、いまも何も言わずに男の鞄の中身を見ている。慣れない高さのヒールに苦戦しながらも調査を終え、部屋を出ることが出来たのは30分後のことだった。
相変わらず何も言わない征陸さんを不安に思いながらも部屋を出ようとすると、手を引いて引き止められた。振り向いた先に、思った以上に近い位置に征陸さんがいて息を飲む。
「嬢ちゃん、何かされたか」
「何もされてません。ちょっと腰とか触られたぐらいで」
「ほかには」
「何もないです」
「……そうか」
安心したような征陸さんに、元気だとアピールするように笑いかける。ほかの女の人が犠牲になって、犯罪係数があがったりする事態にならなくて良かった。本当に良かった。それを伝えると、征陸さんの顔がわずかに歪んだ。その顔のまま、義手とまだ筋肉のある腕が膝の裏と背中に回る。
「ま、征陸さん!」
「もう年だからな。車までってわけにはいかねえが、エレベーターまでなら行けるだろうさ」
「重いですよ!おろしてください!」
抵抗する私を見ても、みんな助けるわけでもなく何かを言うわけでもなく、部屋からさっさと出ていく。征陸さんもそれに続いて歩き出すのを感じて、必死に腕を突っぱねて抵抗した。それなのに征陸さんは何もないように進んでいて、そこでようやく異変に気付いた。手が、震えている。
「あ、れ?」
「ようやく気付いたかい?手も足も、震えてるってことに」
「あ……」
「──呆れたか?名前の安全よりも、捜査を優先した俺を」
「いえ……呆れません。逆の立場でも同じことをしたと、思いますし。そこで捜査を優先しなかったら、征陸さんを軽蔑します」
「──相変わらず、嬢ちゃんは強いな」
「強くないです。逆の立場だったら、すごく、ものすごーく嫌ですもん。……征陸さんも、嫌でしたか?」
「当たり前だろう」
「──良かった」
これで何とも思わないと言われたら立ち直れそうにない。あの男に襲われかけたことなんかより、よっぽど傷付く出来事だ。
もう抵抗することすら諦めて、長い廊下を歩く征陸さんに身を委ねる。あたたかくて安心する場所で、今更になって恐怖を実感した。
「本当は……襲われたとき、少し後悔したんです。自分から言い出すのが怖くても、ファーストキスを征陸さんと体験しておくんだったって。あの場面でされたら、さすがにトラウマですから」
「……」
「でも、その後に……無理をしてキスしても、きっとその時に後悔しているだろうと、思いました。だから……」
「もう無理はしなくていい」
「征陸さん……」
「──こんな俺でもまだ呆れず見捨てずにいる嬢ちゃんは、女神の生まれ変わりかもしれんな」
征陸さんにしては珍しく冗談を言いながら、支えてくれている腕に力がこもる。そのまま顔が近付いてきて、自然に目を閉じた。唇にかすかにふれる熱に目を開けると、いまさっき触れ合った薄い皮膚から数ミリしか離れていないような距離で征陸さんがささやいた。
「初めてを頂いた責任を取らなきゃあな」
「じゅうぶんです」
本当に、じゅうぶんです。また歩き出す征陸さんの胸にもたれて、そっと首に手を回す。遠くでエレベーターが到着した音が聞こえても、征陸さんは急ぐ素振りを見せなかった。それが何だか愛されているようで嬉しくて、胸から溢れ出すこの気持ちに溺れてしまわないように、ぎゅうと征陸さんに縋り付く。まるで教会に敷かれているようなレッドカーペットの上で、セカンドキスも征陸さんに捧げようと目を瞑った。
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