翌日の一係には昨日より人がいて、何だか安心するような気持ちで仕事に取り組んだ。私のことを応援してくれると言っていた常守さんはいつもどおりで、縢と狡噛さんが気を遣って話さずにいてくれたのだろうと頭を下げたい気持ちになった。常守さんが昨日の出来事を知ったら、さすがに何か言ってくるだろう。
何も言わず話しかけてもこない征陸さんに悲しくなったり、どんなことを考えているのか恐れたりしている間も、時間は誰の上にも平等に降り注いでいく。私がため息を飲み込んでお昼を迎えた途端に部屋に来た冨士崎さんに、油断しきっていた心臓がびくりと跳ねた。



「失礼します、富士崎です!苗字さんをランチデートに誘いに来ました!」
「ぶっ!ふっ、冨士崎さん!」
「苗字さん、いってきてください!」
「ああうん常守さんがそう言ってくれるのは嬉しいんだけど私にも心の準備とか色々あって、この仕事終わらせてから行きたいなって!」
「私がやりますから!」



そんなに急いでやる必要のない仕事を、常守さんは善意で受け継いでくれた。ありがとう、でもそういうことじゃない、そういうことじゃないんだよ。こういう時に限って、怒って追い出したりしそうな宜野座さんはいないし、最初は燿子に似てると思ったのに全然似てないじゃないかあの眼鏡。

逃げ腰な私の手をとって立ち上がらせて、冨士崎さんは嬉しそうに笑った。心臓がちくりと痛む。



「一緒にご飯を食べるだけでいいんです」
「あ、うん、そうだけどほら、何ていうか私、」
「苗字さんの気持ちはわかってます。それでも努力したいんです。それくらい、許してくれますよね?」
「でも私、逃げていたし」
「いいですよ。僕が追いかけますから」



ぐしゃりと何かが潰れる音がして、真っ赤になった常守さんが慌てて紙を伸ばしているのが目に入った。後ろに下がろうとしても机が邪魔して距離を取れず、冨士崎さんがずいっと詰め寄ってくる。ち、近い。



「苗字さんならお仕事もよく出来ているでしょう?」
「え?いや……ほとんどの人はもう犯罪を犯したあとだし、私に出来ることはあんまり痛くないように銃を撃つくらいで……あの、近くない?」
「近くないですよ?でも俺みたいな人がいたら同じことをするんじゃないですか?」
「そりゃするけど、手、そろそろ離さない?」
「離しませんよ?さ、ランチに行きましょう。昼で足りないなら、夜でもいくらでも話を聞きます。俺、最近自家製のソーセージ作ってるんです!ぜひ苗字さんに食べてほしいな」
「わ、ちょっと!」



握られている手を引っ張られて、つんのめりながら部屋を出る。小走りでうきうきと食堂を目指す冨士崎さんについていくのに精一杯で、ようやく余裕が出来て後ろを振り返ったときは、もう一係の部屋は見えなくなっていた。



「……自家製ソーセージって……この間の薬のことといい、完璧アウトじゃない?」
「薬?縢くん何か知ってるの?」
「ん、まあね。でもあれじゃ、酔わされて丸め込まれて襲われるのも時間の問題だなー」



・・・



……結局、お昼の時間をまるまる使って冨士崎さんに愚痴を言ってしまった。彼の心を利用するだけ利用している罪悪感を抱えたまま仕事場への道を歩く。利用されてもいいと真っ直ぐな目で言われてしまって、どれだけ自分が醜いか浮き彫りにされてしまったようだ。これじゃ征陸さんに振り向いてもらえないのも当たり前じゃない。
泣きたい気持ちをこらえながら前を向くと、壁に寄りかかって立っている征陸さんが見えた。気付かないふりをするのは不自然だけど、なんて話しかけたらいいのかもわからない。緊張しながら近くまで行くと、静かな声が歩みを止めさせた。



「なあ、嬢ちゃん。口出したくはねえが、老婆心ながら言わせてもらうぞ。嬢ちゃんはすこし抜けてるところがあるから、気をつけたほうがいい」
「……征陸さんには、関係ないじゃないですか」
「まあ、そうだが」



思ったより尖った声が出て、優しい征陸さんを攻撃する。こんなことを言いたくはないのに、征陸さんに好きになってほしいのに。でも自分のことを諦めるように言っておきながら優しくするなんて、狡い。



「じゃあ、どうでもいいんじゃないですか」
「嬢ちゃんは大事な後輩だ」
「私、嬢ちゃんじゃありません!」
「俺にとっては嬢ちゃんだ。いくつになっても、な」



悲鳴のような本音に、征陸さんは冷静に対処した。まだ好きだという思いを暗に告げた台詞は、いつまでたっても応える気がないという含みによって望みを絶たれる。両手を握りしめて下を向く私に何も言わず、征陸さんはいつもと同じ足取りで去っていった。
喉がひりつく。こんな弱いのなんて、私じゃない。今までの恋は、自覚したと同時に諦められていたのに、どうして征陸さんだけ。

つんとする鼻をすすりながら分析室に行くと、唐之杜さんが驚きながら出迎えてくれた。



「また何かあったの?」
「うっ……唐之杜さん……私、」
「好きなだけ泣きなさい。今日は朱ちゃんがいるんだったわね。食事中に気分が悪くなって休んでるって言っておくわ」



泣きながらお礼を言って好きなだけ泣いて、ようやく落ち着いたのは一時間後だった。唐之杜さんの道具を借りてメイクをなおして、まだ赤い鼻と目で鏡を見つめる。ひどい顔を、している。



「すみません。ありがとうございました。まさかこの年になってこんなに泣くなんて」
「あら、年を取れば涙もろくなるのよ?」
「そうみたいですね」



よかった、ちゃんと笑える。笑いながら化粧道具を返して、机のうえにある綺麗な瓶にふれた。青く透明なボトル。香水だろうか。形が気に入ってそっと指先でなぞる私を見て、唐之杜さんは赤い唇を艷やかに動かした。



「それ、脱毛剤なの。あげるわ」
「綺麗な瓶なのに脱毛剤……ありがとうございます」



なんともミスマッチに思える組み合わせだが、形は綺麗だ。受け取ってお礼を言ってから部屋を出る。これ以上ここにいるわけにはいかない。

一係の部屋に戻ると、真っ先に縢がやってきた。大丈夫かと小声で聞かれたのに笑って頷いて、柔らかなオレンジ色の髪をなでる。私のことを心配してくれて気遣ってくれて、本当にいい子だ。ありがとうと言うと、こういう好意になれていないらしい縢は照れたように視線をそらした。可愛い。



「そうだ、これ。コウちゃんがさ、何かで手に入れた育毛剤なんだって」
「……狡噛さんが育毛剤?」
「笑えるでしょ?ほら、苗字ちゃんが来たときに育毛剤に脱毛剤入れたって言ってたじゃん。それ思い出して」
「ああ、そういえばそうだったね」
「もしかしたら帰れるかもしれないって思ってさ。ないだろうけど」
「相変わらずよくまわる口ね」



せっかくだからと、育毛剤の蓋を開けて脱毛剤を入れてみる。そういえばここに来て、もうどれだけ経つだろう。もう半年はいるかもしれない。
薬を混ぜ終えて蓋をしめて縢に手渡す。やっぱり帰れなかったね、と笑いかけようとした途端、景色が入れ替わった。

……もう懐かしくなった、見慣れた景色。気付けば私は、元の時代にいた。


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