「あ、お弁当」



忘れ物に気づいたのは、竜持くんが家を出て30分後のことだった。すぐ気付けば追いかけて渡せただろうけど、30分も経ってしまうと追いかけようという気持ちすらわかない。
私は仕事が休みの平日、竜持くんは大学で仕事。あれから竜持くんは大学院まで進み、博士号をとり、いまは大学で教授の手伝いをしながら毎日数学の勉強をしているらしい。年齢の割に重要な仕事が与えられたりしているのは、おそらく降矢のおじさんのコネというか親の七光りだろうと、竜持くんがすこし悔しそうに言っていた。



「まあ、それでも利用できるものは利用しましょうかね。凰壮クンもそう言ってますし」



開き直ったような受け入れたような、どこか晴れ晴れとした顔。ひねくれた小学生の姿はどこにもなく、竜持くんは竜持くんのまましなやかに強く育っている。それが嬉しくて笑うと、大人になった顔がちいさな子供のように拗ねたことが、鮮やかによみがえった。



「よし、お弁当を届けに行こう!どこかに出かけようと思っていたからちょうどいいし」



お弁当の残りを自分のお弁当箱に詰めて家事をして、念入りにした化粧と綺麗な服を身にまとって家を出る。このまま行くとお昼前に着くだろう。ちょうどいい時間になりそうだと、日差しをあびながら歩き始める。目指すは竜持くんの働く大学よ!



・・・



「……竜持くん、どこだろう」



迷うのは想定内だが、こんなに大学生がいると目的地に着けもしない。予想外の人の多さに流れに逆らうのも一苦労だ。活気と熱気あふれる大学生に混じってよろよろと進みながら地図を見る。現在地から見て、こっちが研究室っぽかったんだけど……。
きょろきょろしながら進んでいると、数人の女の子が発する声が聞こえてきた。視線で音の出処を確認すると、女の子の輪の真ん中に竜持くんがいた。まさかの光景に思わず足が止まる。



「降矢さん、これ、食べてください」
「いつも言っていますが、僕はお弁当があるので」
「でも、今日はないんですよね?どうぞ!」
「確かにありませんけど、おそらくもうすぐ……ほら」



竜持くんの目がやわらかに細められ、数メートル離れたところにいる私を視界に入れる。竜持くんが女の子を隙間を通ってこっちに来るのが見えて、竜持くんに近づいた。視線が痛い。



「名前さん、やっぱり来てくれましたね」
「来るってわかっていたの?」
「ええ、まあ。何となくですが」
「もう休憩なの?」
「はい。ああでも、まさかこんなにいいタイミングで来るとは思っていませんでしたよ」



くすくすと楽しそうに笑いながら、竜持くんが私の手からお弁当箱をふたつ取る。お揃いの布で包まれたお弁当に、また女の子たちの視線が突き刺さった。竜持くんはそれを気にしていない様子で、そっと私の背中を押す。



「行きましょうか。今日は天気がいいですし、外で食べませんか?」
「いいけど、あの子たちはいいの?」
「ええ。すみませんが、僕はこれで失礼しますね。あなた方のお弁当を受け取ることは、この先もありませんので」



うわあ、竜持くんの毒舌を久々に聞いた気がする。にっこりとよそ行きの笑顔を作る竜持くんに押されて、誘導するまま歩きはじめる。どこか疲れた顔をしている竜持くんの頭をなでると、こわばっていた顔がゆっくりとほころんだ。



「今日はお弁当がないなんて、どこから情報を仕入れたんでしょうか」
「スパイがいるとか?」
「有り得ない話じゃないところが恐ろしいです。わざわざお弁当を届けてくださってありがとうございます。助かりました」
「竜持くん、モテるんだね」
「ヤキモチですか?」
「ん……そうかも」



珍しく素直に気持ちを吐き出して、となりを歩く竜持くんを見る。小学生のときからモテていたし、今更かもしれないけど。さすがに若い女の子のほうがいいと言われたらショックで立ち直れそうにない。ちらちらどころか凝視すらしてくる生徒の視線を気にしないようにしながら、角を曲がる。



「実は僕も、ヤキモチを焼いていたんです。名前さんの仕事場の男の人の話を聞くたびに」
「え……そうなの?」
「はい。年齢は縮まらないと知っているのに、馬鹿な話ですよね」
「私たち、結局同じところをぐるぐるしているのかもね」



何だかおかしくなって笑うと、竜持くんもおかしそうに笑った。目が細められ、愛情を持った手がやさしく頭をなでてくる。いつしか逆転した愛情表現も、嬉しさを感じるばかり。
お互いに笑って愛を確かめ合って歩き始める。一緒の速度で同じ道を歩いて共通の場所へ歩いていける特権が私だけにあるみたいで、何だかむずがゆかった。


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