五軒となりの、幼馴染といえる存在のなまえが帰ってきていると聞いたのは、けだるい夏の午後だった。

 もし道端などで会えば、一松にとっては久しぶりに顔を見ることになる。ほかの兄弟たちはたまに会っているようだが、コミュ症の一松にとっては、幼馴染とはいえしばらく会っていない異性と話すことは苦痛に近かった。

 なまえはたしか、家を出て一人暮らしをし、ニートの自分たちと違って会社勤めをしていたはずだ。切ってもらったすいかをかじりながらおそ松がそれを指摘すると、松代がいたましげに眉をよせてため息をついた。

「会社でなにかあったらしくてね、辞めて戻ってきたのよ。さすがに詳しく聞けないし、あんなに明るかった子が部屋に引きこもっているらしくて、心配よねえ」

 すいかを食べる手が止まったのは、一松だけだった。ほかの兄弟はなにやら独自でその情報を入手済みらしく、たいした動揺もみせなかった。

「俺たちと同じニートじゃん。今度パチンコ誘ってみよっかなー」
「僕たちと同じじゃないから! 向こうはきちんと働いてたしクズでもないし彼氏もいたから!」
「えっ」

 声をあげたのは一松だけで、ほかは平然と話を続ける。

「まあ俺たちも裸の付き合いがあったわけだし?」
「こどものころ一緒にプールで遊んだだけだろ」
「そのときはサンシャインの輝きのもとですいかを食べ、種を飲んでヘソから芽が出ると泣いていたな」
「十四松兄さんもすいかの種食べちゃって一緒に泣いてたよね」
「すいかの種おいしーよ!」

 そのまま話がそれ、思い出話に花が咲く。
 それを黙って聞いていた一松は、なまえは幼馴染のくせに知らないことが多く、自分以外の兄弟がそれらを知っていることに、わずかな疎外感に身を蝕まれるのを感じた。


 思春期になり、一松はなまえを避けた。
 中学校までは同じ学校に通っており、クラスこそ同じにならないものの、まだ話す機会はあった。なまえは一松と違って委員会に入り部活に所属し、毎日忙しいけれど楽しそうだった。
 一松と出会うのは学校の廊下だったり、一松が野良猫にエサをやるために早起きして家を出たときだったり、テスト期間で部活がない帰り道だったりした。
 なまえはたいてい友達といて、一松は声をかけることすら思いつかなかったが、なまえは必ずと言っていいほどなんらかのリアクションをおこす。
 友達に断ってすこしばかり話をしにくるときもあったし、手を振るだけのときもある。そのどれもに一松は満足にこたえられなかったが、なまえがクズの自分に笑いかけてくれるたび、いつも綺麗なものだけを詰めた風船に心を浮かせてもらっているような気持ちになった。

 だからこそ一松は、なまえと違う高校に入学したとき、こんな自分とはすぐに関わりがなくなってしまうだろうと思った。会う機会は減り、なまえが遠方の大学へ行ってしまうと、ぷっつりと顔を見ることがなくなった。

 自分を除いた兄弟が、なまえが帰省してくると飲みに誘ったり、あわよくば奢ってもらおうと画策していることは知っていた。
 五人全員が行くのならば流れで一松も行けるのだが、なまえは偶然道であった誰かと店で話し込んだり、いつの間にかトド松とカフェに行っていたりと、一松がそれらを知るのはなまえが一人暮らしの家へ帰ってしまったあとで、なかなか機会がない。

 一松の知るなまえは明るかった。優しく面倒見がよく、思い立ったらすぐに行動する。強引なところがあるが憎めない、一番身近な異性だった。
 だから、松代が語る「傷心し部屋に引きこもっているなまえ」という姿が思い浮かばない。兄たちは「あいつがそんなことになるなんて、やっぱ社会人はこえーな。ニートでいようぜ!」と結論をだしており、すいかは一松の手にある、ぬるくなったものだけになっていた。



 なまえと一松が出会ったのは、ようやく動く気になった夕方、コンビニで買ったアイスを手に、いつもの猫スポットをめぐろうとしていたときだった。
 数日前になまえのことを聞いたばかりであり、気まずく目をそらす一松に、なまえは昔のように笑いかける。記憶と変わらない、右頬にだけえくぼができる笑顔。

「一松、久しぶりだね。どこ行くの?」
「……猫、見に」
「一緒に行っていい?」

 一松がかろうじてわかる程度に頷くと、なまえは顔をほころばせて喜び、手に持ったビニール袋をあさった。太ももの半分しか隠れていないパンツにTシャツというラフな格好は、一松にとっては目のやり場に困る。
 目をうろうろと泳がせながらアイスを握りしめていると、なまえが袋から目当てのものを取り出した。

「じゃーん。パピコ。ちょうどいいから半分こしよ」
「あっ、おれ自分の食べちゃっ……」
「いいよ、気にせずパピコも食べて。はやくしないと溶けちゃうよ」

 一松が食べているものはわけられるタイプではなかった。さすがになまえからアイスをもらうのは自分だけ食べすぎだが、かといって自分の食べかけのものも渡せない。
 一松が混乱しているのを察して、なまえは一松の手からアイスを抜き取った。数ヶ月前、コンビニでお釣りをもらうときちょびっと触れた以来の異性の肌に、一松の身体が硬直する。

「じゃあ、これはわたしがもらう。一松はそういうとこ変わらないね」

 なまえがひまわりのように笑うと、アスファルトに長い影を落とす太陽さえ引き立て役に見えた。一松のアイスをためらいなく口にくわえたなまえの首筋で、ポニーテールがゆれる。
 一松の視線は相変わらず泳いでいたが、なまえの歯がアイスを噛み砕き、くちびるを潤し、アイスが喉の奥へと滑り落ちていく様は食い入るように見つめた。なまえの首筋で汗が光り、いやらしくない健康的な色気なのに心の変なところが反応して、また目を伏せる。

「そんなにこのアイス食べたかった?」
「そう、じゃなくて……おれが口つけたあとだから、いいのかって」
「いいよ。一松はそういうとこ気にしすぎって、ずっと言ってるでしょ」

 なまえが踊るように一歩を踏み出す。一松と同じようなつっかけなのに、なまえが履くと、なんだかおしゃれに見えた。なまえが振り返って一松を呼ぶ。

 一瞬、学生時代に戻ったかと思った。
 なまえはよく一松の先を行っては、振り返って名前を呼んだ。たまに兄弟の名前を間違えることもあったが、一松は間違えられたことがない。
 同時に思い出す。こどものころに見た、きれいで宝物にしたくなるビー玉や高く飛んだシャボン玉、泣きながら出したすいかの種。
 なまえの口からでた自分の名前は、いつもは思い出に埋もれているくせに忘れられない、きれいなもののように思えることを。
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