自分の誕生日を一緒に祝ってくれる人になまえを選んだ時点で、トド松の気持ちはもう決まっていたのかもしれなかった。
 トド松にも個別に誕生日を祝ってくれる人たちがいる。それはナンパした女の子たちだったり、仲がいい男友達だったり、SNSでいいねしてくれるネットを介した人たちだったりする。
 ナンパした女の子たちも、誕生日だからという理由でデートに誘えば、ちょっとしたプレゼントを渡して祝ってくれるだろう。トド松はそれを受け取って笑顔でお礼を言い、女の子をちやほやしていい気分にさせ、食事を奢る。
 お互い、いい気持ちで一日を終えることは、誕生日ということを除けば慣れた日常だった。だが、なまえほどトド松の誕生日を心から祝ってくれる人はいない。

 なまえは授業が終わると走ってトド松に会いにいった。夕方だというのにまだ気温が高い五月の終わりの日に、額に汗を浮かべて大きく手を振ってトド松を見つけたことを全身で伝える。
 傾きかけた太陽を背に、トド松に会えたのが嬉しいと笑顔で駆け寄ってくるなまえを見て、トド松の心臓が跳ねて青春に浸った血液を全身に送り込んだ。
 なまえがどんどん綺麗になって輝いて手が届かない存在になっていくのを、底辺の底辺で見上げるしかない自分との差はわかっているつもりだった。それでもそばにいたい、話したい、ふれたいという願望は膨らんでいくばかりだ。

 なまえはトド松にプレゼントされたワンピースを着ていた。髪もポニーテールで不器用ながらもまとめられており、トド松があげたピンも止められている。
 薄化粧をしたなまえのみずみずしい肌が見えて思わず目をそらしたがなまえは気付かず、とどめを刺した。

「ワンピース本当にありがとう。家で何度も着てみたんだけど、やっぱり可愛すぎる気がするから、トド松くんと会うときだけ着るね。トド松くんだけは、似合うって言ってくれるから」

 いくらでも言うよ、とはトド松の心の叫びである。
 ひと呼吸おいてから、にこやかに似合うと感想を述べたトド松は、なまえの可愛さに目を瞑り天を仰ぎ神に感謝した。なまえが自分のためだけに、自分が買ったミニとも言えるワンピースを着てきてくれるなんて、願っても簡単に叶うシチュエーションではない。
 それからトド松はなまえに案内され人気のカフェへ行き、プレゼントの帽子をもらった。毎年兄弟そろってお祝いしているために夕食前には帰らなくてはいけないのが名残惜しかったが、なまえに家族でのお祝いも大事だと説得され、しぶしぶ帰ることとなる。
 伸ばされた睫毛やワンピースの袖から時折のぞく肌はトド松にのみ見ることが与えられた特権だ。正直に言うと、それらが一番のプレゼントかもしれなかった。


 トド松となまえは、月に二回ほど会う仲になった。
 なまえは服や小物を購入したいとトド松を誘い、トド松はテレビで紹介された飲食店や新しくはじめた趣味の本がほしいと本屋になまえを誘う。
 なまえはもう出会った頃の面影はなかった。背筋は伸び、髪はまとめ、可愛らしいワンピースを着ている。

 なまえの話の中心は大学のことで、女の子を口説くコツを知っているトド松は、頷いて的確な相槌を打ちながらそれを聞く。話していると、なまえを騙すことに心が痛み、大学の話を聞かれてもごまかしていた。それを察してか、なまえが尋ねることはトド松の趣味のことなど、答えやすいものになっていった。

 トド松には隠していることがたくさんあり、そのどれもが致命的だ。
 たとえば、大学には行っておらずニートなこと。このまま出来るかぎりニートで過ごしたいと思っていること。五人の兄がいること。しかも全員ニートなこと。なまえ以外の女の子の連絡先なんて知るわけがないという顔をしていること。
 なまえは純粋で、信じやすくて、考えていることが顔に出やすい。それゆえトド松の恋は知られていないと確信できたのだが、男としては少しばかり意識してほしいのも本音だった。



 トド松に最大ともいえるチャンスがめぐってきたのは、出会って半年ほどたった頃のことだ。季節はもう秋で、手が当たる距離で歩くことが日常に溶け込んでいる。
 最近のふたりのブームである雑貨屋巡りをしている最中に、なまえが困りきった顔でトド松に助けを求めた。

「あのね、トド松くん。今週の日曜日ってあいてる?」
「あいてるけど、どうかしたの?」

 なまえの目が困ったように泳ぎ、どう言えばいいものか悩む。しばし迷った末、結局はすべてを打ち明けることにした。

「合コンに誘われたの」
「合コン」

 予想外の言葉を思わず繰り返したトド松は、まばたきを数度してから目を見開いた。

「合コン!?」

 頷くなまえに、疑いようのない事実を突きつけられて目眩がする。
 トド松とて、大学が合コンや飲み会の機会がいくらでもある場所と知っている。なまえがそれに行くことを見送ることは出来ても、止めるなんて出来ないことも。
 それでもトド松が知るなまえは、出会ったときから変わらず眩しいままだった。男が苦手で、人見知りで、友達は狭く深く。そんななまえが合コンに行くことはほぼないだろうと安心した矢先のことだった。

「で、何に釣られたの?」
「講義のレポート」

 しゅんとしたなまえに、ひとまず冷静に見えるように振る舞えたことに安堵する。なまえは、言い訳をするように言葉を重ねた。

「人数足りないって言われて、座ってご飯食べるだけでレポートが手に入るって言われて、でも、やっぱり不安で。向こうがひとり欠けたから、トド松くん連れてきてもいいって」

 子供のように状況を説明するなまえが、一番に頼りにするのが自分ということが、トド松にとってどれほど安心する事実だったかなまえは知らないままだろう。
 ようやく緊張が体から抜けていき、なまえをじっくりと観察するように見つめた。合コンに行くことを後悔している、下がった眉毛と泣きそうな瞳。

「ボクが行ってもいいの? 彼氏ができるチャンスだけど」
「彼氏なんていらない。トド松くんが行かないなら、わたしも行かない」
「んー、どうしよっかな」

 答えは決まっているのにわざと焦らしてみせるのは、なまえが自分にすがってくるのが嬉しいからだ。合コンにいい印象をもたないように、しっかりと困らせておかないとならない。

「行ってもいいよ。その代わり、約束してほしいことがあるんだけど」
「なに?」
「もう合コンには行かないで」

 なまえには、トド松がなぜこんなことを言うのかわからなかった。行く前からトド松を頼りにしているこんな状態で、もう頼まれたって行く気はない。
 わからないまま頷くと、トド松は満足そうに微笑んだ。

「合コンに行くときは、肌を見せちゃだめだよ。安い女って思われるから」
「でも、ワンピースとかスカートがいいって聞いたよ」
「みんな同じ格好してたら目立たないでしょ。あっいやっ目立たないでいいけど、それを鵜呑みにしなくてもいいってこと。このあいだ一緒に買ったパンツとカーディガンがいいと思うな」
「トド松くんがそう言うなら」

 ファッションについてはまったく自信がないなまえは、たいして疑問にも思わず頷いた。
 トド松も自身のファッションは店員の言葉通りに着ているのだが、なまえよりはセンスがあると自負している。さすがのトド松も、全面に猫がプリントされ、謎の房がついているTシャツを着ようとは思わない。
 合コンの詳細と日時を教えたなまえは、トド松との時間をようやく楽しめると笑顔を見せた。それに微笑むトド松の胸の内は、どろどろと熱くかたい決意がうずまいている。
 どんな手をつかっても、なまえに悪い虫がつくのを阻止しなければならなかった。


 合コン当日、待ち合わせ場所へ行くと、メンバーはほぼ集まっていた。トド松のアドバイス通りの服装にしたなまえは、着飾った女の子たちに囲まれると地味に見える。
 トド松は、なまえにもらった帽子をかぶっていることをさりげなくアピールしたが、緊張したなまえがそれに気づく様子はない。

「まあ、期待してたわけじゃないけどね」

 ひとりごちると、なまえがそっと寄ってきた。

「トド松くん、今日はありがとう。このお店、チヂミがおいしいんだって。あとで食べようね」

 合コンでチヂミより食べるべきものはたくさんあるだろうという言葉は笑顔のまま飲み込む。思えば、なまえはずっとこういう性格だった。

「そうだね。せっかくだしおいしいもの食べていこ」
「あと砂肝も食べたいんだよね」
「いっつも思うんだけど、なんでチョイスが微妙におっさんくさいの?」
「えっ」


 合コンが始まると、なまえは席が離れてしまったトド松をしきりに気にした。あからさまに慣れていないなまえとは異なって、トド松は場に溶け込んでいる。
 自己紹介でも笑いをとり、女の子の話をきくのも手馴れている。なまえが困ったり居心地の悪さを感じるたび、ついトド松に視線で助けを求めてしまうのだが、トド松がそれに気づくことはなかった。
 もう早く帰りたかった。トド松とて、合コンに来ることに頷いてくれただけで、なまえを気にかけると言ったわけではない。トド松がこの場にいてくれるだけで感謝すべきだった。
 それでもわずかな寂しさが心を侵食していくことを止めることはできず、なまえは慣れないお酒を飲み干す。
 くらりとする。トド松だけが、かすんだ世界の中でくっきりと見えた。

「あ、帽子」

 かぶってきてくれたんだ。合コンの場に、ほかの男からのプレゼントを着ていくなんて絶対ダメだと、あれだけ言った本人が。
 帽子だといいのだろうかと、なまえがジュースのように甘いお酒をのどに流し込んでいく。それを見た男が笑って話しかけたが、なまえは頭がふわふわして、どんな返事をしたかもすぐに忘れてしまう。

 それを見て慌てたのはトド松だった。なまえの視線にわざと知らんぷりした結果が泥酔だなんて、いくらなんでも笑えない。
 横に座っていたなまえの友達にこっそり耳打ちして席替えをしてもらうと、トド松はさりげなくなまえの横を陣取った。

「もう、飲みすぎだって。お水飲んで」
「トド松くん、わたしの隣に来ていいの? あれだけいろんな女の子と楽しそうに話してたのに」
「ボクが愛想よくしないと、連れてきたなまえの立場が悪くなるでしょ。ほらお水」

 差し出された水を素直に飲んだなまえのひとみは、とろんとして熱っぽかった。いつもは絶対にしない、ゆるんだ笑顔をトド松に向ける。

「わたしやっぱり、男の人はトド松くんしか上手に話せないみたい。もう、ずっとトド松くんの隣にいる」

 トド松の心臓が打ち抜かれる。
 あたためていた恋が口から飛び出しそうになり、トド松は慌ててコップを掴んで中身を飲み干した。水だと思っていたそれがなまえの飲んでいたお酒だと気づき、よけいにお酒がまわる。

「じゃあ、ほかの人に話しかけられない方法、教えようか?」
「うん」

 トド松が、机の下にあるなまえの手に、緊張で汗ばんだ熱い自分の手を重ねた。なまえが驚きのあまり声も出ないまま隣を見ると、トド松はさらに体の距離も縮める。
 なまえが咎めるようにトド松の名を呼ぶと、呼ばれた本人はうるさい心臓なんて抱えていないとばかりにすまし顔をした。

「もっと自然な顔をしてよ。ボクとなまえがデキてるって思わせれば、ほかの男は話しかけなくなるんだから」
「方法ってそれ?」
「嫌ならやめるけど。ボクと手をつなぐのは嫌?」

 そう尋ねられると、嫌とは言えなかった。
 驚いただけで嫌悪は感じなかったし、さきほどトド松に助けを求めたときに、本当はこうしてほしかったような気すらした。

「嫌じゃないけど、トド松くんはいいの? さっき、誰かと連絡先を交換してたでしょう」
「なまえの友達と連絡がとれるなら、なまえが今なにがほしいかとか、落ち込んでるときに話してくれない理由とか、聞くことができるから」

 ぱちくりと目をまたたかせるなまえに、トド松は微笑んでみせる。体中が火照って、心臓が口とは言わず全身から飛び出しそうだ。

「今日ボクがここにいる理由も、行動する基準も、ぜんぶなまえにつながってるって、気づいてる?」

 なまえがそれらを飲み込んで、つないだ手がやけに熱い理由を考える前に、まわりの人々が移動をはじめる。二次会に行く流れにいつの間にかなっていたことに気づいたなまえは、まだ手をつないだままのトド松と一緒に動けなかった。動きたくなかったのかもしれない。
 いつまでも動き出さないなまえを不思議に思った友達が話しかけると、なまえはぎこちなく首を動かした。

「わたし、トド松くんと帰る」

 なまえの発言はまさにお持ち帰りそのものだった。ヒュウヒュウとはやし立てる声にどう反応していいかわからないなまえは、トド松の手を握りしめた。握りかえされた手は、いつだってなまえに安心を与えてくれる。

 そのまま手をつないで二次会に行く面々と別れたなまえは、冷たい夜風で顔を冷やしながら、トド松と並んで歩いた。

「いまさらだけど、よかったの? ボクと付き合ってると思われたけど」
「いいの。友達はわかってくれるから」

 ほろ酔いのなまえがやけに上機嫌でふらふらするものだから、トド松はなまえの手を離せなかった。あれからずっとつないでいる手に全神経を集中し、そのやわらかさや感触を忘れないよう細胞に刻み込む。
 背はトド松より高いのに、手はトド松より小さいなまえの手を離さない理由ができたことが、嬉しかった。
 もしかしたら彼女ができるかもしれない。人生初の。誰でもいいから付き合いたいじゃなくて、心の底から好きな女の子が恋人になってくれるかもしれない。

 浮かれたトド松は忘れていた。こんなとき、必ずぶち壊しにくる兄たちの存在を。

「あっれー、トド松じゃん」
「ひいっ!」

 慌てて逃げようとしたがもう遅い。飲み屋帰りの兄たちは、なまえの比ではないくらい酔っていて、チョロ松などは目が座っていた。

「トド松、お前もしかして恋人できた?」
「はあ? お前ニートなくせにふざけんなよ! 彼女さんこんばんは、僕たち全員ニートなんですよ。これからも親のすねかじって生きていくつもりなんです。こんなクズの弟ですがよろしくお願いしますね。あっドン引きして別れます?」

 笑いながらやけにはきはきとしゃべるチョロ松に、トド松の顔は色を失って白くなっていく。まだ手を離されていないことが救いだったが、なまえのぽかんとした顔が嫌悪に歪んだときに振り払われるだろうと予測できた。
 おそるおそる覗き込んだなまえの顔は困惑していた。言い訳をしてもこの兄たちの前では無駄だろうと、長年の経験が告げている。
 それゆえにどう話しかければいいかわからずうろたえるトド松に、なまえは首をかしげた。

「ニートなのは知ってたけど」
「知ってたの!?」
「地元では、松野さん家の六つ子は有名なんだってきいたよ。全員ニートだってことも。あと、ドブで猫を飼ってる人がいたり、短パンでハーモニカ吹きながらハロワ行ったりしてるって」
「いろいろ混じってるから!」

 ツッコんだトド松は、息を整えながらなまえを見上げる。なまえがニートだと知っていることにも驚いたが、知ったうえで平然とトド松に接していることは、にわかには信じがたかった。

「ボク、ニートなんだ。できるだけ親のすねをかじって生きていきたい。それでも、いいの?」
「もちろん。だってわたしが出会ったトド松くんは、すでにニートで親のすねかじって生きてたんだもん」

 エンジェル、とつぶやいたのはトド松ではなくカラ松だった。誰もが固唾を呑んで弟の恋愛のゆくえを見守っていたため、カラ松にツッコミが入ることなく終わる。

「本当……本当に? よかった。本当によかった。ありがとう」
「なんで泣きそうになってるの、大げさだなあ」

 まだ脳みそが酒に浸っているなまえは、トド松の頭をなでて笑った。まだトド松の手を握ってくれていた手が、あたたかかった。


 トド松は気付いていない。
 なまえがここまでトド松に寛容なのは、友達として接しているからだと。お互いの人生に責任をもたない友達という立場だからこそ、トド松の人生を肯定できる。
 一ヶ月後にそれらに気づいたときのばら色の空気からの暗転は、トド松にとって生涯忘れられない絶望となった。

 トド松は気付いていない。
 なまえの芽生えはじめた、あわい恋心に。
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