トド松が彼女と出会ったのは偶然だった。
 つい先日高校を卒業して兄弟揃ってニートになったはいいものの暇を持て余して歩いていたトド松の目に入ったのは、おどおどと自信なく周囲を見ているなまえの姿だった。

 若者向けの安価なファッションブランドを多数取り扱っているビルの前で、なまえはひとり泣きそうになっていた。とはいえ長い前髪のおかげではっきりとなまえの目が見えたわけではなく、なまえの背がトド松よりすこしばかり高かったためにうかがい知れただけだ。
 長い髪は伸ばしっぱなしという印象で、くせっ毛も相まってぼさぼさに見える。猫背で服はださく流行を取り入れるどころかいまの流行さえ知らないような服装で、おしゃれな若者がひっきりなしに歩いているために余計に浮いていた。
 しばしどうするか考えたトド松は、暇でなにもすることがないことを思いだしてなまえに声をかけてみることにした。

「ねえ、きみ迷子なの?」

 体をびくつかせたなまえは、自分より身長の低いトド松の姿を見つめ、何度か目を瞬かせた。トド松が返事を待っていることに気づき、持っていたバッグをきつく握りしめたなまえが首を振る。

「ここのビルに入ろうと思ったんだけど、みんなおしゃれで入れなくて。でも服を買わなきゃ帰れないし」

 なまえの声が尻すぼみになって消えていく。
 なまえが迷いつつここに来たのはいいものの物怖じしてしまい、建物に入れないでいることを理解したトド松は周囲を見回した。このビルの隣にも同じようなビルがあり、反対にはファーストフード店が狭い土地に三階建てでぎゅうぎゅうと詰まっている。
 どこを見てもそんな光景で、空気は若者が支配する街独特の熱っぽさがあった。
 トド松はもう一度なまえへ視線をやる。たしかにこの空気のなかでは、中学生が着ているような服のなまえは場違いに見えた。それなりにナンパを嗜んでいるトド松の食指は動かなかったが、なまえを見捨てるということはしなかった。
 暇だということもあったが、トド松にはなまえが以前の自分に思えたのだ。
 学生のときは制服があるから楽だったが、それでも休日に遊びに行くときに、母親が買ってきた色違いのパーカーばかりというのは恥ずかしい年頃だ。自分で服を買うという最初の第一歩を踏み出そうにも、ショップの店員さんにいま着ている服を見られることがすでに罰ゲームみたいなもので、どうしても尻込みしてしまう気持ちが、トド松はよくわかる。

「暇だから付き合ってあげる。おいでよ、ボクと一緒だったらまだ入れるでしょ」

 なまえが、分厚い前髪の隙間から目を瞬かせる。さすがに知らない男に誘われたら断るかと思ったトド松の耳に、さきほどとは違う明るく弾んだ声が聞こえてくる。

「ありがとうございます! よかった、本当はすごく怖かったんです。お名前をお聞きしてもいいですか」
「トド松だよ」
「トド松さんですね。もうすぐ大学が始まるので、それまでに服一式を揃えなくちゃいけないんです。お母さんが買えってうるさくて、買うまで帰ってくるなって追い出されて」
「お母さんは正しいよ。ボクたち同い年だから、敬語使わなくていいよ」

 なまえは照れて口を噤んだあとトド松の名前を呼び、それから自分も名乗って笑う。笑顔のほうが可愛いのにというトド松の思いは、口に出さなかったために誰にも知られることなく沈み込んだ。


 それから六時間後、トド松はぐったりしてカフェの椅子に座り込んでいた。
 チェーン店だがソファや椅子は店内の雰囲気とよく合っていて、BGMと客の話し声が混じり合って心地いい空間になっている。
 なまえと出会ったのは昼すぎだったが、今はもう夕食の時間になっていた。なまえとの買い物は大変だったと、トド松が歩き回った脚を休める。
 トド松とてセンスがあるわけではなく、店員にすすめられるまま自分に似合いそうなものを買うのだが、なまえは店員に話しかけられるのを異常に怖がりセール品ばかりあさるのだ。そして気に入るものは犬の写真がプリントされ英語が書いてあるTシャツだとか、なぜそんなところにそんな飾りがついているのかとツッコミたくなるジーンズや、地味なカットソーだった。
 いまなまえが着ている服と大差ないものをレジへ持っていこうとするのをなんとか阻止し、トド松は店員と話しながら、安くてもいいから着まわしのしやすい服を選ぶ。いつもならここで店員を褒めながら連絡先をゲットするのだがそんな余裕はなく、逃げようとするなまえをその場に立たせておくだけで手一杯だった。
 後からわかったのだがなまえの手持ちのお金は決して多いとは言えず、それで靴からバッグまで一式揃えるというので、トド松の計算ががらがらと崩れていった。限られた予算のなかで、ツッコミながら、なまえのセンスが発揮される前に納得させて服を買わせるのは一苦労だった。


 ナンパした子とカフェに来るのならトド松はもちろん奢るし、形だけでも自分のぶんは支払うと言われれば「じゃあ百円だけちょうだい。君とデートできた記念にとっておくから」とでも口説くだろうが、いまは疲れきって、トド松のぶんも買ってくるというなまえに支払いを任せた。六時間の労働の対価がジュース一杯なのだから安いものだ。
 いつもの甘ったるくデコレーションされた女性と会話がはずむキーアイテムである飲み物も、無理をして飲む気にはなれない。帽子を脱ぎ脱力するトド松のもとへ、なまえがジュースを持って帰ってくる。

「トド松くん、お待たせしてごめんなさい。レジが混んでて。はい、グレープフルーツジュース」
「ありがと。きみは何にしたの」
「ブラックコーヒー」

 予想外の返事に驚いたトド松に、なまえは首をかしげる。
 最初はぎこちなかったなまえも、六時間のあいだにトド松にツッコミを入れられ泣き言をはねのけられ、それでも真剣に服を選んでくれたトド松を信頼するようになっていた。

「わたし、甘いもの苦手だから。似合わないって言われるんだけどね」
「似合わないよ。女の子はみんな甘くてきらきらしたものが好きでしょ」

 甘いものが苦手で、着ているものも地味な色合いで背が高いなまえは、トド松が思い浮かべる女子とは正反対だった。疲れた体に心地いい酸味をストローで吸い上げながら、トド松は大量の荷物を足元に置くなまえを見上げる。

「どうせなんだから背筋伸ばしなよ。スタイル悪く見えるよ」
「でもわたし背が高いから、すこしでも低くしたほうがいいかなと思って」
「あのねえ、モデルって身長が高くないとなれないんだよ。背が高いのは武器なんだから、もっとしゃんとしないと。身長高いとからかわれるだろうけど、そんな奴らを背筋を伸ばして上から見下ろしてやればいいじゃん。スタイルは悪くないんだし」

 トド松に言われたとおり背筋を伸ばしてみたなまえは、これでいいのかと不安そうにトド松を見る。トド松はジュースを飲み干して頷いた。

「そう、そんな感じ。ボクが買い物に付き合ったんだから、もっと自信もってよ。似合わないものなんか選んでないんだから」

 なまえは笑った。
 屈託のない笑顔が前髪の隙間からこぼれ、思っていたより大きな目が細められる。いつもならすんなりと出てくるはずの褒め言葉は、トド松の口から出てはこなかった。
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