「いやそこ遠慮するとこじゃないから。あの子だって足並み揃えてほしかったわけじゃなくて、期限つけようとしただけでしょ。さっさとその話受けちゃいなよ」

 ソファに寝転がってスマホをいじるトド松の服装は自宅にしては気合いが入っており、これからデートだと言われても信じてしまえるものだ。

「ニートじゃなくなっちゃうなんて、つまんねえの」

 煎餅をかじったおそ松は、ジーンズにパーカーといういつもの服装で、時計を気にした。

「掃除したばっかりなんだからゴミ落とすなこのゴミ」

 長兄の頭を遠慮なく叩いたチョロ松はコロコロで煎餅の食べかすをとり、汚れた紙をはがすとおそ松の顔に貼り付けた。

「でも、あのこ、すこしでも働いたらフリーターだって言ってた」

 隅っこで膝を抱えていた一松が、珍しくなまえのことについて発言する。

「じゃあぼくもフリーター」

 あはは、と十四松が笑う。素振り禁止なため手持ち無沙汰になり、その場で勢いよく回る。

「すっげーいい匂いして、優しいよね」

 十四松の言葉に誰かが答えようとする一瞬のあいだに、玄関からなまえの声がした。挨拶をして返事を待っているなまえをカラ松が迎えにいく。
 エスコートされるように手のひらに手をのせて二階へ上がってきたなまえは、六人がいるのを確認し、こわばらせていた顔をようやくほろほろと崩した。

「こんにちは、おじゃまします」

 なまえがこうして松野家へやってくるのは、これで初めてではなかった。くつろいで迎えるには少なく、お客様扱いには多い、どちらかに傾くかぎりぎりの回数。
 なまえは誰の話も否定せず、笑顔で相手の話に耳をかたむけた。自分には明るくないことでも、興味深く適度に質問を挟んで聞くので、六つ子にとっては話しやすかった。十四松の野球クイズにも、ヒントを聞きながら回答して正解だと言われると、声をあげて喜ぶ。
 最初はなぜイタイ言動をするカラ松に彼女が、という空気だったのが、徐々に変わっていく。
 自分より人を優先し、話を聞くことを厭わず、人を気遣い、けれど自分を崩すでもなく。それはまさしくカラ松で、結局は似た者同士がくっつくのだということに気がついたとき、兄弟にはもう祝福するしか手は残っていなかった。

「あんねあんね、今日は掛布の資料を用意してみました。ぜひ掛布の素晴らしさを知って帰ってくだせえ」
「ありがとうございます十四松さん。今度、野球ベースでも買ってみようかなあ」
「野球! 野球するの!?」
「なんで野球ベースなんだよ、他にももっと買うものあんだろ。バッドとかボールとか」

 チョロ松のツッコミに、なまえがしたり顔で首をふった。

「カラ松さんの筋トレに使えるかもしれないでしょ。ついでに野球もできてスライディングもできる」

 名案だと腕を組んでみせるなまえにまたツッコミが入り、カラ松はなまえの考えに頷いている。

「っていうかチョロ松兄さん、女の子相手だとポンコツになるのに、なまえには強気だよね」
「だってカラ松の彼女に遠慮とかいる?」
「うわ出たよ上から目線」

 好感度をあげるついでにトド松が謝ると、なまえは笑って受け流した。
 兄弟の自然な空気のなかに自分を入れてもらえることが嬉しかった。最初は気遣う空気が流れているがだんだんとそれが薄れていき、最後にはおそ松がおならまでするものだから、なまえはもういっそ最初からおならをするような関係になれればと思うのだが、言葉のチョイスを間違えて変な空気になってしまったことがあるので、口に出すことはやめた。

 代わりに、ずっと何かを言いたそうにしていたカラ松に視線を向ける。カラ松は一瞬体をこわばらせたが、わざとらしい咳払いをして、部屋のどこかに適切な言葉が落ちていないか探すように視線をさまよわせた。

「いま働いているところの親方が、時給をあげてくれるそうだ。もしオレさえよければ、見習いとして正式に入社しないかと言われて、返事を待ってもらっているところだ」

 なまえは大きな瞳が落ちてしまいそうなほど目を見開いた次の瞬間、目を細めて飛び上がった。文字通り飛び上がったため、スカートが危なく浮く。

「おっまえ自分の下半身気にして!?」

 思わずおそ松が声をあげて注意する言葉など聞いていないなまえは、カラ松の手を握って踊るようにぐるぐると回った。

「すごいすごい、カラ松さんすごいね! 目指せ正社員から、まだ半年しかたってないのに」
「だが、それでは約束を破ってしまうことになる。ふたり同時に正社員だろう」

 なまえは目をまたたかせ、ちいさな、破ってしまってもいい約束を律儀に守る男を見上げた。
 日に焼けて、あれだけ嫌がっていた責任を背負い、手に血豆ができても仕事でつらいことがあっても泣き言のひとつも言わず、変わらずなまえに深い愛情を注ぎ続ける男の顔を。

「カラ松さん、わたしにさわりたくないの?」
「さ、わりたい、が、それはそれだ」
「カラ松さん、学生の行き先を、わたしより一足早く見てきて。わたしが就職活動をするときは慰めて。就職したら、余裕のないわたしを抱きしめて。ふたり同時に就職したら出来ないこと、しようよ」

 なまえは自らが意識していないときのほうが小悪魔だということを知っているのは、この部屋にいる六人だけである。
 これ以上ない口説き文句を口にしたなまえは、その自覚なく、カラ松の手を包みこむように握って顔を覗き込む。

「カラ松さんが仕事で余裕なくて忙しいときは、まだ働いてないわたしが合わせるから。カラ松さん、おめでとう!」

 カラ松は、珍しくなまえの瞳から顔をそらした。両手を握られているため覆えない顔を、横を向くことで少しでも隠そうとする。

「いま、見ないでくれ。顔が赤い」

 なまえは素直に手をはなし、カラ松を座らせ、その横でスマホを手に検索を始めた。
 就職祝いになにかおいしいものを食べに行こうと、カラ松の好物である唐揚げと入力すると、唐揚げのレシピばかり出てきた。さらに絞り込んで検索しようと人差し指をさまよわせているスマホの画面を、頬の赤みがひいたカラ松が覗き込む。

「おいしそうだな」
「たくさんレシピがあるね。やっぱり揚げ物は難しいのかな」

 自炊をそこまでしないなまえは、体重が気になることもあり、揚げ物に挑戦したことはない。赤塚区、人気店、と入力しようとしたなまえの手が、カラ松の期待した視線によって止まる。

「やだ、絶対むり。作れません」
「作ってくれ。お祝いなんだろう。お祝いしてくれるんだろう」

 珍しく強気のカラ松に言い返せないのは、カラ松が心底なまえの手料理を欲しているからであり、おそらくどんなにおいしい店に行ったとしても、なまえの料理に敵わないことを、カラ松自身が決めているからだった。

「じゃあ、カラ松さんもなにか作ってください。失敗した時の保険に」

 今度はカラ松が黙り込む番だった。きちんとした料理は、高校の調理実習で作ったものが最後だ。それ以来レンジであたためるかカップラーメンにお湯をそそぐ程度のことしかしていない。

「男の料理、それは炒められし黄金の砂粒たち」
「スクランブルエッグでもいいですよ」

 わかるんだ、というのは五人の感想である。なまえはふといたずらを思いついて立ち上がり、ソファに片足をのせた。

「お願いだから下半身気にして!?」

 またおそ松の言葉を無視したなまえはあごに手をかけ、サングラスをはずす仕草をしてみせる。

「選ばれし者のみに与えられるエクスカリバー、それは黄金に輝きわたしの口元を彩るだろう」
「オレの真似か」
「料理下手な者同士、がんばりましょう。でも自信がないから、失敗してもお祝いしたい気持ちは本物だって、いまから言っておきますね」

 頬を染めて見つめ合うふたりの世界には、お互いしか存在していない。そんなとき、おそ松はいつも言う。

「おまえらいつ付き合うの」




 なまえがさんざん唐揚げを練習し、これならばと家に入る許可がでたのは、二週間後のことだった。
 なまえの家にお邪魔するのは初めてで、カラ松の全身をぎこちない緊張が覆う。異性の部屋でふたりきりになることも、手料理を振舞ってくもらうことも初めてだ。

 なまえの部屋は学生の一人暮らしらしい典型的な1LDKで、狭い空間にパステルカラーと女の子らしさが詰まっていた。
 なまえに言われてラグにあぐらをかいて座ったカラ松は、ベッドに置いてあるぬいぐるみが、一緒に水族館へ行ったときに購入したものだと気がついた。イルミネーションをバックに笑い合っている写真はクリスマスに撮ったもので、その横にあるのもカラ松とふたりで撮った写真だ。
 なまえの部屋にはいたるところにカラ松との思い出にあふれていた。それらひとつひとつを、鮮明に思い出しながら指でなぞる。
 振り返ると、エプロンをして料理を作るなまえが見えた。カラ松はふと、胸が締めつけられるように切なく甘く、どうしようもなく愛しい感情があふれでるのを感じた。幸福というには悩ましく、苦痛というには喜ばしい。
 キャベツを千切りにし、一息つくなまえを後ろから抱きしめた。
 手しかふれないという約束を守ってきたカラ松が、自分の意思でなまえを抱きすくめるのは初めてのことだ。うなだれるようになまえの首に押し当てられた頬が、なまえの首筋をくすぐる。

「なにか手伝うことはあるか」
「ないですよ。こういうのは、ご飯食べてから」

 こどものように叱られて、カラ松はすごすごとラグの上へと戻り、なまえの代わりにクッションを抱きしめた。

 必死に体中の熱さをごまかそうとするなまえは、カラ松に背を向けていたため気づかれていないと思っていたが、カラ松からは横顔も見えていたため隠せていない。ときおり手で顔をあおぐなまえの仕草が愛しくて、思わず喉の奥で笑う。なまえを大事に思っていたし、カラ松のできるかぎりで慈しんできたが、ささいな意地悪をしてなまえの反応を見てみたいという気持ちは消えなかった。

 カラ松の突然の行動に動揺しながらも、なまえは練習通り唐揚げを作り終えた。千切りキャベツに山盛りの唐揚げ、添えられたレモン、炊きたてご飯にお味噌汁にお漬物。
 一生懸命作ったが、お祝いというには物足りないように思える。なまえが不安でカラ松を見ると、少年のように輝かせている目と目があった。

「すごいな、こんなものを作れるのか。本当に食べていいのか?」

 どのお店に行ったときよりカラ松が嬉しそうなことに気づき、なまえはようやく体から力が抜けた。

「カラ松さんのために作ったんですよ。どうぞ召し上がれ」

 ふたりでいただきますと手を合わせると、カラ松が遠慮なく箸をのばした。ひとくち食べるたび、お世辞ではなくおいしいと喜び、なまえを褒め称えるカラ松に、なまえは心のどこかが満たされてあふれるのを感じた。食べなくても幸福でお腹がいっぱいになりそうだ。
 カラ松の口の端についた汚れをティッシュで拭き取り、なまえは目を細めた。

「また作るから、ゆっくり食べてくださいね」



 夕食後、ふたりはぎこちなく向き合っていた。くちびるにふれられるのだからとなまえが歯磨きを始め、流れでカラ松もなまえ買い置きの歯ブラシをもらって歯も手もきれいにし、食器を洗ってしまうと、もはやすることがない。
 緊張でわずかに震える声でなまえがふれるか尋ねると、カラ松は緊張か興奮か、喉をならして頷いた。
 向かい合ってはいるが、くちびるにふれるには腕を中途半端に伸ばさなければならない距離であることに気づき、ふたりは至極真面目に相談した。
 数分後、カラ松の足のあいだに座ることとなったなまえは、いまさらだがミニスカートをはいたことを少しばかり後悔しながら足のあいだにおさまった。

「ふれてもいいだろうか」

 頷くほかに、選択肢はあっただろうか。
 なまえの肩に手がまわされ、わずかに傾けられる。背中に伝わってくるあたたかさはカラ松の脚で、カラ松の手と脚に体重を預けているということに気がつく余裕は、なまえには残されていなかった。
 紅潮する頬をなでられ、心臓がきゅうっと音をたてる。指先でやわらかさを確かめるような動きはすぐに終わり、親指の腹でくちびるをなぞられる。

「んっ」

 思わず漏らされた声に、カラ松の心拍数があがる。なまえのくちびるはやわらかく、しっとりとしていて、吸いつくように弾んだ。輪郭をなぞり、弾力を楽しみ、漏れる声に我を忘れる。
 羞恥で閉ざしたまぶたを震わせ、なまえはすがるようにカラ松の顔に胸をうずめた。

「さわれないから、こっちを向いてくれ」
「も、だめ」

 熱い吐息が胸をくすぐる。こんなときに胸のあいた服を着てきたことを喜んでいいのか後悔していいのかわからず、カラ松は素肌でなまえの頬とくちびるのやわらかさを堪能した。

「もう少しさわりたい」

 これ以上ないほど肌を染めたなまえは、カラ松の心臓の音を聞いて少しばかり心を落ち着かせ、震えながらくちびるを差し出した。ふたりの心音が溶け合ってひとつになって、うるさいほど喜びの声をあげている。
 カラ松が、ごくりとなにかを飲み込む。なまえの頬に手を添え、自然とくちびるを寄せて、寸前で止まった。

「すまない。これはまだ早かったか」

 かすれた声にも細めた目にも、獣が宿っている。
 動かすとふれてしまいそうなほど近いくちびるに、逸らすことすら許されない瞳に、なまえの理性が溶けていく。

「カラ松さんが、無事に仕事できたら。一ヶ月ちゃんとできたら、ご褒美にします」

 そう言ってから、不安で瞳を揺らめかせた。

「これ、ご褒美になってるかな」
「じゅうぶんすぎる。二ヶ月たったら、次はなんのご褒美をくれるんだ」
「抱きしめてほしい」
「次は」
「わたしに言わせるなんて、カラ松さんずるい」

 カラ松は笑った。それがいつもなまえに見せる幸せでたまらないものではなく、ただひとりの男としての顔で、なまえの手足の先まで火照っていく。

「一年たったら、カラ松さんが望むものすべてをあげる」

 恥ずかしさでこれ以上目を合わせていられなくなったなまえが、カラ松の体に顔をうずめて隠した。
 なまえの可愛さに、カラ松の顔に笑みが浮かぶ。抑えきれない低い笑いがなまえの耳をくすぐり、愛で包んだ。
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -