銅橋はあせっていた。友人に借りた少女漫画では、男女は必ずといっていいほど体育祭で距離を縮めていた。それがどうだ。 銅橋と名前は、とくに進展もなく、体育祭は無事に終わってしまった。 銅橋は名前の出る種目はできるだけ目に焼きつけ、応援もした。ときおり会うと、手をつないだときを思いだし、恥じらいながら恋に染まってしゃべった。 名前も同じように、銅橋の姿はささいな仕草さえも見逃さないと見つめた。種目にでる前の、ゴールを狙う、ぎらりと輝くひとみに腰砕けにもなった。 そうして同じように、なんの進展もなかったと肩を落としたのだった。 「せめてクラスが同じだったらなあ」 文化祭の準備をしながら名前がつぶやくと、となりで作業をしていた友人たちは、顔をあげて時間を確認した。名前が定期的につぶやくので、休憩をするいい目安になる。 名前のクラスは飲食店をする予定だった。もはやメイドも男装も珍しくはなく、いっそのことカフェをあきらめて甘味屋にしようと迷走したのち決定したそれは、順調にすすんでいた。浴衣や甚平を持っている生徒が表にでて、もっていない者が裏方だ。 名前は裏方だ。看板を作りながら顔をあげた名前が、廊下を通る銅橋を見つけた。あきらかな意図をもって、誰かを待っているように同じところを行き来する銅橋は、体格もあり目立っていた。 このクラスの誰かを待っているらしいことに気がついた名前は、声をかけようか迷った。用事があるとすれば、文化祭実行委員か、学級委員だろう。銅橋が異性と話しているのはほぼ見かけないため、それを想像すると心がわずかにきしんだ。 それでも声をかけるチャンスを見逃せず、おずおずと教室をでた名前を見て、銅橋はあきらかにほっとした顔をした。なんだか可愛く思え、さきほどまでのささくれだった痛みが丸くなる。 「銅橋くん、誰を待ってるの。呼んでくるよ」 「名字を待ってた。オレ、いまから購買まで買い出しだから、その、名字んとこはどうかと思って」 名前の顔がみるみるうちに赤くなる。名前のクラスは、それぞれ勝手に休憩をとり、買い出しにでかけている。行ってもいいだろうかと振り向くと、友人がいってらっしゃいと手を振っていた。名前の顔が輝き、喜びの感情がすべて銅橋に向けられる。 「一緒に行く。待ってて、財布を持ってくるから」 「いい。行くぞ」 うろたえる名前が、銅橋に置いていかれたくない一心で駆けよる。銅橋の大股の歩幅がせばまり、名前にあわせたものになった。 ふたりの並んだ年月を示すそれは、あまりに当たり前に行われた。名前が銅橋の顔をのぞきこむと、前だけ見て、緊張でくちびるを引きむすんでいる横顔が見えた。 「文化祭、友達とまわるのか」 「うん。銅橋くんのクラスにも行くね」 「俺との時間もくれ」 言われた意味がわからず顔をあげた名前の目にうつったのは、さきほどより緊張し、肩をいからせて歩く銅橋の姿だった。 「文化祭で名字がすごす時間を、俺にくれ。多いほど嬉しいけど、ぜいたくは言わねぇ。文化祭、一緒にまわってくれ」 「……いいの?」 一緒に並んで歩いているのを見られてしまう。もしかしたら、噂をたてられてしまうもかもしれない。 あの日の、期待していいという銅橋の言葉を疑ったことはない。だが、それは10年後に来るかもしれない、自分にとって都合のいい未来だと、ぼんやりと思っていたのだ。 「いい。はっきりしねえで、待たせて悪かった」 そんなことを言われたら、もうあわい期待で胸をあたためて満足する、やわらかな時間に戻れない。渇望してしまう。 泣きそうな名前と並んで、銅橋は歩いていく。購買でいちごオレを買い求めると、近くのベンチへ名前を座らせ、パックジュースを差し出した。 黙って受け取った名前は、ストローをさしてジュースを吸い込んだ。慣れ親しんだ甘さが舌にひろがると、ようやく隣に座る銅橋を視界にいれることができた。 「ジュース、ありがとう。あとでお金払うね」 「前に名字がオレにくれたジュース、それだよな。勝手に買ったけど、それでよかったか」 「覚えててくれたの」 かすれた声で、なんとか絞り出す。銅橋は、ためらわなかった。 「もう、名字のどんな些細なことでも忘れたくねえから」 走り出したら一直線。まるでスプリンターの恋だと主張するように、一歩踏み出した銅橋は、もう名前の好意の上にあぐらをかくような真似はしなかった。 「名字の友達に、断りを入れねぇとな。約束してたのに、割り込んじまったから」 そうして頭をさげる銅橋を見て、名前の友人ふたりは顔を見合わせたのだった。 名前が深刻な顔で話があるというから廊下に出てみれば、これだ。こんなこと、日常の会話に織りまぜて謝ればすむことだ。名前の恋が前進していることを喜びこそすれ、怒ることなどない。 銅橋の横で同じく頭をさげて、先に約束していたのにごめんなさいと謝る名前がいる。似た者同士という単語が浮かんで、友人たちは笑った。 「そんな結婚の申し込みみたいなことしなくていいよ。銅橋くんと一緒にいられないとき、わたしたちとまわろ」 「真面目な顔してるから、なにかと思っちゃった」 怒っていないのかと顔をあげるふたりに、友人は微笑んでみせる。 文化祭が終わったあと、一番にみっちりしっかり聞かせてもらおうという気持ちは口にはださず、名前の背中を押した。 「楽しんでおいでよ。一年に一度の文化祭じゃない」 銅橋が、涙目の名前へ告白ともとれる言葉を伝えながら連絡先を聞いた場面は、クラスのほぼ全員が見ている。 ふたりが知らないだけで、ふたりの秘めやかな恋は、すでに見守られるものになっているのだ。 銅橋が名前にやわらかな笑顔を向け、それを受けとる名前のとろけた笑みが廊下で目撃されることが増えるにつれ、ゆるやかに波紋は広がっていく。 文化祭で密かに注目されるであろうふたりだけがそれに気付かず、友人たちの許可を得た安堵で笑いあう。それを見た友人たちも、つられて微笑んだ。 いつだって、応援したくなる恋は微笑ましいものだ。 ← → return ×
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