銅橋が部室のドアを開けたのは、テストがあと三日のところまで迫った金曜日のことだった。土日をはさんで月曜からテストになるため、この土日はさすがに部屋にこもって勉強をしなければいけない。
 テストが始まればなおさら焦って自転車に乗る暇がないだろうと、経験から予測した銅橋は、最後に心おきなく勉学に励むため部室を訪れた。
 いつもは賑わっている部室もいまは静かで、念のため挨拶をしながら入った銅橋もいつもより気を抜いていた。単語帳を手にローラーをする気でいた銅橋は、教科書や単語帳を持ってローラー台の置いてある部屋のドアを開けた。

「一年銅橋、失礼しま――泉田さん、黒田さん!」

 まさか人がいるとは思わず、銅橋は慌てて背筋を伸ばして頭をさげた。それに手をふって頭をあげるように示した泉田は、黒田とふたりローラー台を使っていた。軽くこいでいるふたりの前には教科書やノートがおいてあり、銅橋と同じ考えを実行している。
 黒田と泉田のあいだにはひとつローラー台が空いていて、銅橋はそこを使う気はもちろんなかったが、こうなるとどこの台を使うかすこしばかり考えることになる。ふたりがひとつ間隔をあけているのだから自分もそうするべきだろうが、もしかしたら隅でしたほうがいいのかもしれない。
 案外細かいことを気にする銅橋のさまよう視線に気付き、泉田は自分のとなりのローラー台を指した。

「ボクとユキのあいだは葦木場が使っているけど、ほかは空いているからここに来るといい」
「あざっす」
「いま葦木場は職員室へわからない問題を聞きにいっているが、じきに戻るだろう」

 ようやくひとつ開いたローラー台の謎がわかり、銅橋は素直に泉田の横に移動した。
 勉強をしてこわばった体をのばし、ペダルに脚をかける。学校の机は体が大きな銅橋にとっては小さく、どうしても背中や腕が窮屈になってしまうのだ。
 銅橋が準備をしているあいだに、黒田が泉田に話しかけ日常の会話がはじまる。テスト範囲が広いだとかテスト明けの部活の話だとか、ゆったりとした会話はペダルを回すはやさにも現れていた。ウォーミングアップのようなそれに、銅橋もリラックスしていく。

 黒田と泉田の会話もとぎれ、話し声はないが緊張する空気でもない空間ができあがったとき、銅橋がおずおずと口を開いた。誰にも聞かれる心配のない空間にいる信頼できる先輩は、いまの銅橋にとって理想だった。

「あの……ふたりに相談があるんスけど」

 珍しい銅橋からの相談に、泉田と黒田は驚きつつも頷いた。自転車に関しては己を貫き揺るぎない価値観がある銅橋が歯切れが悪いのは、もっぱら名前に関することだ。

「部活と関係ないんで、嫌だったら言ってほしいんスけど、今度真波と名字とクリスマスイブにプレゼント交換することになって」

 事前に真波から相談されていた黒田は、それを口にも顔にもださず驚いてみせた。自分たちの恋がこんなにもいろんな人に心配され相談され注目されているとなると、銅橋も名前も自分の想いを内に隠してしまう恐れがある。
 泉田もそれを承知していたため、そうなのかと相槌を打ちながら続きをうながした。普段なら隠しきれないふたりの笑みを怪訝に思う部分もあっただろうが、いまはこっぱずかしい相談をして顔も赤く下を向いているため、銅橋が気づくことはなかった。

「その……名字へのプレゼント、なにをやればいいかさっぱりわかんなくて」

 泉田と黒田の顔がほころぶ。それは我が子の成長を見守るような、手のかかるこどもがひとつ大人になったような、そんな思いを含んでいた。あの名前の告白から二ヶ月、ふたりの恋がここまで育まれるなんて、あのときは誰も想像していなかった。
 後輩からの真剣な相談を、部活に関係ないからと無下にするふたりではない。ペダルや筋肉の動きへ注がれていた集中を脳へとまわし、クリスマスにふさわしいプレゼントを考えはじめる。名前なら銅橋からなにをもらっても喜びそうだが、それは答えにはならない。
 恥ずかしさで死にそうな静寂をまぎらわすため、銅橋は必死に話題を探して話しだした。

「女って貴金属とか好きだって聞いたんで、そういうのでもいいかと思ったんすけど、なかなか思いつかなくて」
「アクセサリーか、いいんじゃねえか」
「指輪とかっすかね?」

 指輪。銅橋から名前へ指輪をプレゼント。
 泉田と黒田はすぐさま受け取った名前の様子を想像できた。銅橋への差し入れを食べてもらえただけで震えていた名前なのだ。指輪などをもらったら失神するかもしれない。いや、する。間違いなくする。
 このときふたりはようやく気づいた。弱いものいじめは許さず自分の正義をつらぬき、段ボールに捨てられている猫がいたら間違いなく拾いあげ、喧嘩っぱやく口が悪いが敵さえ見捨てない銅橋は、イケメンであれば少女漫画に出てくるであろうキャラであることを。ヒロインに惚れられてしかるべき存在なのだ。名前への態度を見ても天然タラシとしか思えないときが多々あるのだ、銅橋の欠点は顔と巨躯だけだというのか。

 まさかの後輩のポテンシャルに衝撃をうけながらも、ここは先輩として毅然とした態度で接しなければならない。泉田は己を律するために軽く咳をし、つとめて普段と同じ口調になるよう気をつけながら視線を銅橋へとむけた。

「指輪は付き合っている男女が、結婚のときに必要とするものだよ」
「そういやあの漫画でもふたりは付き合ってたな」
「銅橋、少女漫画読むのか」

 意外だという黒田の言葉に、ようやく赤みが消えた銅橋の頬にさっと色がさす。

「……流行りだってのを、寮のやつに借りて」

 萌えキャラかよ!
 黒田はツッコミたいのを我慢した。ここでそんなことをすれば、意外と繊細なこの後輩は傷つくに違いない。
 ふたりは銅橋の意外性からひとまず目を離し、相談された事について考えることにした。でなければいつまでも名前ではなく銅橋に注目してしまう。
 だが、銅橋のインパクトからそう簡単に離れられるわけもなかった。プレゼントなんて霞んでしまうほどのそれをすぐに払拭できるはずもなく、銅橋とは違うところで苦悩するふたりを救ったのは新開だった。

 新開が部室を訪れたのは偶然だった。担任に用があり学校に来たついでに、せっかくだから気晴らしがてらにペダルでも回そうと思ったのだ。いまはテスト期間で部活もないから、部員に気を遣わせることもない。
 突然現れた新開にローラー台にいた3人は驚き、急いでそこからおりようとしたが新開に止められてそのまま挨拶をした。新開は部活のフレームを借り、銅橋の横のローラー台を使いはじめた。泉田が主将の顔を脱ぎ捨て、尊敬する先輩へ輝いた目をむける。

「サーヴェロはお部屋ですか?」
「ああ、あれに乗ったらこんな練習じゃ気がすまなくなっちまう。運動しないとどうも勉強に集中できなくてな」

 気晴らしに来たという新開に、黒田がさきほどの相談を新開にもしてみるのはどうかと提案した。銅橋が目を輝かせる。新開なら間違いない答えをだしてくれるだろうという信頼があった。なにしろ新開はモテるのだ。
 銅橋がプレゼントのことを相談すると、新開は「任せとけ」という頼もしい言葉を残して考えはじめた。注がれる視線はますます憧れを含んだものになっていく。

 とはいえ、新開も女子にプレゼントをすることに慣れているわけではなかった。困りきった後輩のため、そして名前のために引き受けたのだが、いい案がすぐに浮かぶはずもない。
 なにしろ、相談された自分よりも相談してきた銅橋のほうが名前に詳しいのだ。それに名前はなにをあげても喜ぶだろうという確信が、よけいに選択肢を増やして混乱させた。
 名前が確実に喜ぶものといえば銅橋関連のものだ。銅橋が自らにリボンをかけてプレゼントだといえば一番喜ぶのではないだろうか。だがそれは出来るはずもない。いっそのこと銅橋に似せた人形を贈ってみては……?

 迷走する新開だが、同じ空間にいる後輩たちは気づかない。さすが新開さんだという視線を浴び、ますます迷走していることを悟られないようにしなければならなくなった新開は、リボンを巻いた銅橋から離れて名前の容姿に着目することにした。
 新開は名前のことをよく知らない。内面を知らないのだから、外見からプレゼントを考えるしかなかった。
 名前はめだたないが黙々と仕事をする、優秀なマネージャーだった。すぐにやめていったマネージャー志願と違い、爪を彩ったり髪をきれいに見せる努力をしたりと、そういったことはしなかった。自分に時間をかけるくらいなら選手が気持ちよく走れるために時間を使う、そういった人物だ。
 だからこそ新開をふくめた、名前の仕事ぶりを知っている選手はみな名前を信頼していた。

「そうだ、名字さんって全然着飾ったりしてないだろ? 髪を結ぶ可愛いゴムでもあげたらいいんじゃないか。実用性があるし高くないし、ちょうどいいだろ」

 自分の思いつきに感心しながら新開が名案をだすと、答えを待っていた三人はすぐさま同意して尊敬する眼差しを向けた。
 こうして銅橋は無事にプレゼントを決め、先輩三人にそのキャラクターの濃さを焼きつけ、うちひとりはリボンを巻いた彼の姿が頭から離れなくなったのだった。


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