お正月がすぎると働いている人は日常へ戻っていったが、なまえは冬休みで久しぶりの実家でのんびりとすごしていた。
 おそ松とは初詣に行く約束をしたので帰る理由はあったのだが、会うのがつらくてつい先延ばしにしている。ここまできたら、なまえはもう自分の気持ちを認めなければならなかった。


 おそ松が好きなのだ。
 トト子が好きで、おそらく恋人になってくれるなら誰でもよく、なまえが別れを切り出してもあっさりと頷くであろうおそ松が。
 それでも、なまえが自然体で気負わず接していられるのは、この世界でおそ松だけだった。


 冬休みが終わりアパートに戻っても、なまえはおそ松に連絡をしなかった。授業がはじまってすぐに試験がはじまり、デートをする余裕などなくなったこともある。
 トト子に頼み込まれて仕方なく始まった偽の恋人生活は、トト子となまえが黙っていれば誰にも知られずにすむ。なまえがおそ松に惚れて付き合いはじめたという嘘も、いまでは真実だ。
 この嘘を吐き出さなければ一生苦しむだろうが、自分がすっきりするためだけにおそ松を傷つけるわけにはいかない。おそ松からなまえの携帯へ、電話がかかってくることはなかった。

 長い試験が終わるとなまえは一週間かけて寝不足を解消し体力を取り戻し、おそ松と向き合うことを覚悟した。
 どういう結末になるにしろ、なまえがおそ松を好きなのは真実で、とうてい許されない罪を背負っているが、おそ松に好かれたいのだ。

 とはいえ、もう一ヶ月も連絡をとらずおそ松からも連絡がないとなると、自然消滅したと考えるのが妥当だった。
 試験が終わってはじめての土曜日、訪ねる勇気が出ずにおそ松の家の周辺をうろうろしていたなまえを見つけたのはトド松だった。

 声をかけられたなまえは口から心臓が出そうなほど驚き、後ろにいるのがトド松だと知ってほっとする。クリスマスのときなまえの皿に食べ物を取り分けてくれ、なまえをかばいおそ松に怒ってくれたトド松に、なまえは好感を持っていた。

「どうしたのこんなところで。おそ松兄さんならパチンコだよ」

 答えられずうつむくなまえを見て、トド松はスマホで時間を確認してからポケットにしまう。いまは夕方で、日が沈みかけ風が強くなってきた、絶好のおでん日和だった。

「ねえ、おそ松兄さんにおでんの屋台連れていってもらったことあるんじゃないの? チビ太の店の」
「一度だけ」
「やっぱり。じゃあ行こっか」

 トド松に気遣われながらチビ太の店ののれんをくぐると、ちょうど仕込みが終わったようで、おでんのいいにおいが鼻をくすぐった。おそ松と試験のことできちんとした食事をとっていなかったなまえのお腹が、ようやく空腹を認識して音を鳴らす。

「ほい、おでん。がんもと大根とたまご」

 差し出されたおでんをお礼を言って受け取ったなまえは、ふうふうと何度も冷ましてから大根を口に入れた。よく出汁の染みた大根が、口のなかでほろりと崩れる。

「おいしい」
「当たりまえだろバーロー、こちとら命かけて作ってんでい」
「チビ太、僕は大根とこんにゃくとはんぺんね」
「はいよ」

 トド松の前にもおでんの乗った皿が出される。トド松はいつもはおでんと一緒に注文するお酒を頼まず、なまえがおでんを食べて、ある程度満腹になるまで待って話しかけた。

「おそ松兄さんにここに連れてきてもらったことあるんでしょ? それってすごいことなんだよ」
「すごいって、なにが?」
「ここは僕たち六つ子にとって、心を許した人しか入れない数少ない場所なんだよ。ここと、僕たちの部屋と、行きつけの居酒屋のいつもの席。あとはそれぞれ特別な場所があるけどね」
「でも、おそ松くんたちの部屋とここに来たことがあるよ」
「だから、君っておそ松兄さんにとっては特別なんだよ。あのおそ松兄さんがデートでお金を払って、まだ襲ってない。すごく特別な存在で、大切に思ってるんだよ」

 なまえはすぐにトド松の言葉を信じられなかった。自分にとって都合がよすぎる言葉は、優しいトド松が気遣って嘘をいってくれたのだと思った。

「違うよトド松くん、おそ松くんはトト子ちゃんが好きなんだよ。恋人はわたしじゃなくてもいいんだよ」
「おそ松兄さんはクズだから、トト子ちゃんのためでも滅多にバイトなんてしないよ。でも君のために、たくさんバイトしてた。十二月に入る前、おそ松兄さんが日雇いのバイトを毎日してたんだ。僕は偶然見かけたから知ってたけど、どうしてだろうって思ってた。だけどクリスマスのときにわかったよ。姉さんと遊園地に行くために、クリスマスプレゼントをあげるためにバイトしてたんだ。それって、本当にすごいことだよ。意地でも働かないって言ってたおそ松兄さんを動かしたんだから」
「そんな……おそ松くんから一ヶ月も連絡ないのに」
「おそ松兄さんは君のこと大事に思ってるよ。電話の前に立ってなにかを待ってるのを、何度も見た。姉さんがなにか考え事してるみたいで心配だって言ってたよ」

 なまえは、トド松に姉さんと呼ばれていることに気づく余裕すらなかった。トド松の言葉を何度も反芻して、そんな夢みたいなことを信じていいのかと何度も自問自答する。
 そして見上げた先にあったトド松の目が、嘘をついていないと語った。なまえの目から我慢していた涙があふれ、おでんの皿にしたたり落ちていく。

「わたし、おそ松くんに大事にされるような人間じゃないの。おそ松くんのこと好きだけど、最初は違ったから。トト子ちゃんに頼み込まれて、おそ松くんの彼女のふりをしていただけなの。いつの間にかこんなに好きになって、おそ松くんがわたしを好きになってくれないのは当たり前なの。だっておそ松くんはトト子ちゃんが好きで、いまでも彼女になってくれるなら誰でもいいんだって思うときがあるもの」

 本格的に泣き出したなまえの横で、なぐさめようとしていたトド松の手がとまった。顔を上げ、驚き、なまえの背中をつつく。

「僕はもう行くから、あとはゆっくり話しなよ。僕の言葉、忘れないで」

 トド松の気配が去ったほうへ顔を向けたなまえの後ろで人の気配がして、小銭が置かれる音がした。

「チビ太、これ今日の代金」

 ずっと聞きたかった声に振り返ったなまえの顔は、驚きで涙は止まったとはいえ頬は濡れて鼻は赤かった。
 まばたきした拍子にこぼれでた最後の涙が赤いパーカーの裾でぬぐわれ、おそ松はなまえの手首を掴んで立たせる。

 チビ太はなにも言わず、微笑んで目を伏せてふたりを見送った。
 いつもは堂々とツケにするのに、なまえの前ではいつも財布を出す。それが男ってもんだよなあ、とひとりごちてチビ太は酒をついだ。今日はいい酒が飲めそうだった。

 なまえはおそ松に手をひかれ、冬の冷えた夜空の下を歩いていた。泣いて冷えた鼻や喉に乾燥した空気が入りこんできて、おでんであたたまった体が冷えていく。
 昼間は犬の散歩やジョギングでにぎわっているであろう土手沿いは、いまは誰もいなかった。

 なまえは泣きそうだった。きっと先ほどの会話はおそ松に聞かれていて、いまからフラれるのだ。
 最後に好きだと伝えたいのに、しゃべってしまえばおそ松といられる最後の時間が終わってしまう気がしてくちびるを噛みしめるなまえを振り返って、おそ松は笑った。淡い月が、おそ松の静かな決意を照らし出す。

「知ってた。トト子ちゃんに頼まれて、俺の彼女になったこと」

 一瞬で氷漬けにされたようになまえの体がかたまり、目が恐怖で見開かれる。いまから恐れていた言葉を浴びせられるのだと震えながらも覚悟したなまえに、出会ったときのようにどこかあたたかい声がかけられた。

「でも、なまえは俺のこと好きだろ」

 頷くなまえを見て、おそ松は笑った。さきほどまでの静かなものに安堵が混じったような笑顔で、おそ松は掴んでいた手を移動させた。両手で、なまえの手を下から包み込むように握る。

「俺も好き」

 映画みたいに想いが通じあってすぐにキスをするなどというロマンチックなことはなかったが、つないだ手はあたたかくて言葉は優しくて、なまえは十分すぎるほど幸せだった。
 混乱して信じられないが、おそ松の言葉は真実だ。それだけは確かだった。

 おそ松がわざとらしい咳をする。顔をあげたなまえにおそ松の顔が近づき、目を瞑ることすら考えられないまま目の前の顔を見つめる。
 こうして彼女に、数秒遅れのロマンチックがふってきたのだった。
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