あれから名前さんとはよくメールをするようになった。根底に、黒くぐちゃぐちゃした泥のような罪悪感があるのは否定できないけど、それを抜きにしても名前さんとやり取りをするのは楽しかった。
授業中に暇なときはメールを送りあったし、たまに「靖友の変顔」といって寝起きの顔が写メで送られてきたりした。ひどい顔だった。そういった写真にたまに名前さんが写りこんでいると、なんだか嬉しくなって何度も眺めてしまう。
オレと話すのが増えるのと同時に、塔一郎とも話す姿をよく見かけるようになった。普通に話していることもあれば、顔を赤くして恥ずかしそうに話していることもある。そのたびになんとも言えない気持ちになるけど、オレとすこし肩が当たったり何かをもらう拍子に手が当たったりするとそれはもう真っ赤になってうつむいて、しかもそれをオレに気付かれていないと思っているので、見た目に反して意外とウブなのかもしれない。
名前さんはよく部活を見に来ているので、話す機会も増えた。たまに新開さんや福富さんと話している名前さんは、最初か最後に絶対荒北さんのところへ行く。わずかに顔を染めてなにか抗議するけど、いつも何か言われたり頭を掴まれたり、ひどい時は軽くはあるけど背中を膝で蹴られて追いやられる。そしてオレのところに来るのだ。
名前さんはずっと前から来ていたらしいけど、オレは全然気付かなかった。それを言うと顔と手をぶんぶんと振って「目立たないようにしてたから!」と早口で言って、それ以上その話はしたくないように話題を変えた。きっと荒北さんを見に来ていたのが本人にバレると恥ずかしいんだろう。
廊下などで会うと話をして、たまに差し入れといって飴をもらったりする。そのたびに「大阪のおばちゃんは常にポケットに飴を入れている」という、箱根にいるオレには確認できない都市伝説のような話が頭をよぎるが、口には出さずにお礼だけ言うことにしている。
うっかり言ってしまえば、きっと名前さんからの制裁を受けることだろう。荒北さんがたまにお腹を押さえてうめいているから、元ヤンさえ黙らせるパンチがあの細腕から繰り出されるに違いない。
「黒田!」
呼ばれた声にあわせてサッカーボールを蹴る。ベストな位置に着地したボールは勢いよく蹴られてゴールネットを揺らした。
駆け寄ってくるクラスメイトとハイタッチをして体操服で汗をぬぐった。もう昼も肌寒い季節になってきたとはいえ、運動すると暑い。
となりのクラスのやつに「黒田のクラスをうちに変えろ!」と無茶なことを言ってくるのに笑う。となりのクラスと合同の体育は、サッカーや野球が白熱するから面白い。前半が終わって笛が鳴り、後半に出る奴らにあとは任せて水でも飲んでこようかとグラウンドを見渡す。
向こうでやっぱり合同でサッカーをやっているなにかやってるらしい女子が見えて、階段へ視線を移す最中に見知った姿を見つけた。先生はいない。こっちも、適当なやつが審判をやっているだけだ。
クラスメイトに向こうに行くとだけ告げて、名前さんのところへ走った。近くまで行くと名前さんは驚いた顔で見上げて、サッカーは、と聞いた。
「前半と後半で総入れ替えです。名前さんもサッカーしてるんですね」
「うん、ゴールに入れる練習。男子は体育館なんだよ、ズルイ」
「来週は女子が体育館に行くんでしょ。そして先生は常に体育館にいると」
「あたり」
名前さんはくすくすと笑った。隣いいですか、と聞くと頷かれたので、冷たいグラウンドの上に腰を下ろした。
「ユキちゃん、ゴール決めてたね。サッカーうまくてびっくりしちゃった」
「サッカー部の奴らとは、さすがに五分ですけどね。名前さんは?」
「黙秘です」
「まあ、ここでふてくされて座ってるの見たらすぐわかりますけど」
「黒田くん!」
名前さんが怒って声を荒げる。どうやら運動ができないところには触れてほしくないらしい。わかりやすい行動に笑うと、名前さんはむすっとした顔をして黙り込んだ。
前に名前さんが言っていた、ずっとオレを黒田くんと呼んでいたのは嘘ではなかったらしく、とっさのときや驚いたときは「黒田くん」と呼ばれる。ユキちゃんと呼ばれるよりしっくりくるので、たぶん名前さんは男子を名字にくん付けで呼んでいるんだろう。
だけどユキちゃんと呼ばれなくなるとそれも何だか惜しいから、しっくりくる感覚はずっとオレの秘密であり続ける気がする。
「うう、寒い。風が吹くところに座ってると寒いよね」
ぶるりと震えた名前さんが脚をこすった。大半のやつは長袖のジャージと長ズボンなのに、名前さんはハーフパンツだった。太ももを半分しか隠していないようなハーフパンツは、長袖のジャージですこし隠されているものの、あまり意味がないように見える。
「下は忘れたんですか?」
「上は持ってきたんだけど下は忘れちゃった。着替えるときに気付いたから、誰かに借りに行く時間もなくて」
体育館に行きたいなあ、とぼやく名前さんを見て、自分のジャージを思い出す。上を脱いで名前さんの脚にかけると、きょとんとした顔をしたあとに慌てて突き返された。
「黒田くんが寒くなるよ! 風邪ひいたら自転車乗れなくなっちゃう!」
「名前さんが風邪ひくの嫌だし、さっきまで走り回って暑いんで。半袖で試合してたの、見てたんですよね」
「見てたけど、でも」
「いいですから」
そっぽを向いて受け取らない意思を示す。しばらく横であわあわと手を動かす気配がしていたけどようやく諦めたらしく、押し付けられていたジャージが離れていくのを感じた。
「……ありがとう。あったかい」
「そりゃよかった」
どんな顔をして名前さんを見ればいいかわからない。自分でも顔が赤いのがわかって、慣れないことをしたのと相まってますます恥ずかしくなる。
名前さんがオレの顔を見ていないかだけが気がかりで、横目でそっと斜め下にある顔を見てみると、オレより赤かった。
「うっ……!」
「どっどうしたの!? 寒い!?」
「……暑いです……」
頭を抱えてひざの間に突っ込んで、誰にもこの顔を見られないようにする。音だけの世界になると、遠くからオレと名前さんを冷やかすような詮索するような声が聞こえてきて、ますます顔を上げられなくなった。
オレのクラスと名前さんのクラス、両方から視線が集中していることに、たったいま気付いた。ってことはオレがジャージを貸したのも……!
「いや大丈夫だ落ち着けオレ、これはいつも飴をくれるお礼であって横で風邪ひかれたら嫌だし」
「ユキちゃん、大丈夫?」
心底心配しているという声と、おろおろしている雰囲気。深呼吸してから頭をあげると、不安そうな顔がぱっと明るくなった。名前さんはこういうとこがズルイ。
「……名前さん、いいんスか。なんか噂されてますけど」
「──いいよ」
横を見るが一歩遅くて、名前さんの顔はひざに埋められていた。たぶん照れてる。声をかけようとして、オレのジャージにあのふっくりしたくちびるや胸がふれていることに気付いて、ソッコーで膝のあいだに顔をうめた。
そうしてオレたちは、残り時間の大半をお互いの膝にうめて過ごすことになった。
← →
return