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name change


 会計を済ませてしばらく自転車を眺めていても、名前さんが戻ってくる気配がなかった。
 そういえばプレゼントを買うとかここに用があるとか言っていたから、なにか買っているのかもしれない。ビアンキのコーナーで顔を輝かせていたし、いまごろ荒北さんのことを思い浮かべながらプレゼントを選んでいるかもしれないと思うと、心がくさくさした。
 自転車を見て気を紛らわせていると、小走りでやってきた名前さんがこけそうになりながらやってきた。慌てて腕を差し出したが、名前さんが自力で持ち直したためお役御免となる。


「遅くなってごめんね、トイレ行くまでに迷って、トイレ混んでて、迷っちゃって」


 息をきらせて迷ったことを強調する名前さんに、気にしていないことを伝える。
 名前さんは運動が苦手で、すぐ息切れする。きっと広い店内を迷っては休憩することを繰り返したんだろう。
 まだ息が整ってないのに店を出ようとする名前さんを止めて、ゆっくり深呼吸させた。すこし落ち着いたことを確認して、今度こそ店を出る。冷たい空気が鼻を通って肺を満たして、ぶるりと体が震えた。首をすくめる栗色の頭を見て、時間を確認した。


「すこし早いですけど、お昼にしますか? それとも帰ります?」


 オレの用事は済んだし、名前さんが帰るというなら、名残惜しいけどそれに従うだけだ。大きな目がぱちぱちと瞬きして、どうしてか頬が染まる。


「……食べる」
「じゃあ、どこか探しましょう。名前さんは食べたいものはありますか?」
「ユキちゃんが食べたいものが食べたい」


 そんなに可愛いことを言われたら困る。考えるふりをして心を落ち着かせて、どこかにいい店がないか考える。
 荒北さんのプレゼントを買うのに付き合わされるとばかり思っていたから、こんなことになると思っていなかった。いつも行くのはファーストフードとかファミレスばかりで、こういうときに行く小洒落たイタリアンのお店だとか気軽に食べられるフレンチだとか、そういう店はまったく知らなかった。
 困った。非常に困った。どうすればいいか必死で考えながら歩いていると、名前さんが袖をくいっと引っ張ってきた。指差す先には、ハンバーガーのチェーン店がある。そこらじゅうで見かけるMのマークの店より高いけど、ファーストフードなことに変わりはない。


「ここにしない? お腹すいちゃった」
「すみません、店とか知らなくて……」
「私も知らないから、気にしないで。また今度来るときの楽しみにとっておこ」


 店のドアをくぐって二歩進んで、名前さんが自分の発言に気付いて顔を赤らめた。そういう反応がオレの恋を育てさせることを、本人は知らない。
 その言葉をどう受け取っていいかわからずにいるあいだにレジへと到着し、なにを頼むか決める。さっきの言葉がぐるぐる回ってメニューが目を滑って、店員の注文を待つ視線が降り注いでくる。


「私、これにしようかなあ」


 名前さんが指差したのは、よりによってホットドッグのセットだった。
 オレの目の前でソーセージを頬張るというのか。ソーセージが名前さんのぷっくりしたくちびるを通って、舌のうえで転がされて、飲み込まれていくというのか。そんなのいろいろと耐えられない。
 頭を抱えたくなりながら、目に付いたものを注文した。ハンバーガーやポテトのセットをひとつと、追加でハンバーガーとチキンを頼む。財布を取り出す名前さんより先に支払って、納得いかないとばかりに席に座った名前さんをなだめることに専念することにした。そうすればさっきのいかがわしい想像も消えるかもしれない。


「今日はオレの奢りです」
「私がむりやりついてきたんだから、自分のぶんは自分で払うよ。ユキちゃんのを払ってもいいくらいなのに」
「こんなとき女に払わせる男なんていません。男のプライドをへし折らないでくださいよ」


 自分でも意地が悪いとわかる顔で笑うと、名前さんは納得しきっていない顔で頷いた。このままでは何かにつけて支払われそうだ。


「オレと出かけるのに、お洒落してきてくれたお礼も兼ねてるんで」


 ぼふっと名前さんの顔が爆発して、視線が絡み合う。数秒して勢いよく下を向いた名前さんは、消え入りそうな声でつぶやいた。オレに聞こえなくてもいいと思ってそうな声。


「……この日のために、買ったから……」


 熱が伝染する。そんなことを言われて期待しない男なんていない。もしかして名前さんはオレのことを、異性として好いてくれているんじゃないかという期待に確信が交じる。
 だけどまだ期待が大きくて踏み込めなくて、なにか気の利いたことを言おうとして、時間がすぎないうちになんとか口を開いた。


「あの、本当に可愛くて……似合ってます」


 こんなことが言いたいんじゃない。だけどこれ以上は言えない。この時ほど口説き文句をちゃんと勉強していればよかったと思ったことはなかった。
 ふたりで下を向いていると、名前さんがバッグを開けてなにか探しはじめた。携帯でも探してるのかと思ったが、出てきたのはいかにもプレゼントですという包みだった。


「すこし早いけど、これ。どうぞ」
「え……オレにですか?」
「うん。開けてみて」


 信じられないまま受け取って、できるだけ丁寧に開ける。緑と赤の包装紙は、クリスマスを連想させた。
 セロハンテープがうまくはがせなくて破けてしまった包装紙をもったいなく思いながら開けると、そこには自転車用のグローブがあった。オレが使っているやつだ。


「これ……」
「さっきのお店で買ったの。本当はクリスマスに渡そうと思ったけど、はやく新しいの使ったほうがいいかなと思って」
「え、じゃあ今日買うプレゼントって……?」
「うん」


 黒田くんへのグローブ。
 名前さんの照れて赤くなって緊張した顔を見て、じわじわと実感が頭から爪先まで浸透していく。グローブを握りしめて、ようやくお礼を言う。グローブをはめてみて、もう一度お礼を言った。

 これはもう、期待していいんじゃないだろうか。荒北さんなんて知るか。名前さんがオレを好きになってくれるなら、遠慮なくもらうだけだ。
 すうっと息を吸い込んでプレゼントに込められた思いを聞こうとして、ここがムードもないファーストフードの店内だと気付く。ここで聞いてもいいものか迷った隙に、店員がハンバーガーを持ってやってきた。がっくりきたが、もし聞いていてもいいところで邪魔をされただろうから、聞かなくてよかったと思うことにした。


「名前さん、それだけで足りるんですか? 少ないですよ」
「ユキちゃんが食べすぎなんだよ。そんなに食べたら太っちゃう」


 お互いすこしぎこちなく、さっきのことは忘れたようにしゃべる。どっちかが切り出したらすぐにあの雰囲気に戻りそうで、でもこのままでもいいような、レースとは別のドキドキと興奮が体を支配する。
 このままじゃ変なことを口走ってしまいそうだ。なんとか興奮を沈めようとあたりを見回すと、名前さんのちいさな口がホットドッグを噛みちぎったのが見えた。どこかがしゅんと小さくなる。
 ……まあ、これも結果オーライだということにしておこう。


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