がさつなようでいて繊細で面倒見がよく、人がふれてほしくないところには気付かないふりをして背中を押す優しさを持っているのが鳴子章吉という人物だった。いくら意地を張っても嫌いな人がいても、心をえぐるような言葉を選ばない。
 そんな鳴子でも、これはツッコんでいいラインを超えてしまっているのではと疑ってしまうほど、名前と今泉は仲良くなっていた。徐々に、染み入るように、しんしんと降り積もる雪のように。
 そう、だから気付かなかったのである。ふたりの座る距離が、一ヶ月に一センチずつ近づいていったり、語り合う時間が長くなっていたことに。今泉に向けられるほどじゃないとしても、名前の関心は鳴子と小野田にも注がれていったから、そちらにばかり気を取られていた。
 気まぐれな猫が少しばかり懐いてくれたようで嬉しかったが、これはなんや。座るとき、制服のズボンとスカートがふれあうほどの距離はなんや。なぜ新発売のジュースをふたつ買って仲良く間接キスをして、冷静に点数をつけているんや。めっちゃ的確で参考になるやんけそのジュース買お。
 ぐるぐると考え込む鳴子に気付かず、名前と今泉は、次の休日に一緒に出かける約束をしていた。名前以外はとてもじゃないが満足できないであろうデートの内容からいって、もう付き合ってしまったほうがいいのではないかと純粋に思える。
 行き帰りとウォーミングアップ、ウォーミングダウンのときだけ一緒にロードバイクで走り、そのあいだは今泉はひたすら練習、名前はサイクリング。もし離れすぎてしまったら昼食は別々に食べる。
 これを聞いたとき、寒咲幹は頭をかかえた。いくらなんでもこのデートはひどすぎる。自転車に夢中になるのは仕方がないからいいとして、ご飯くらい一緒に食べたらいいじゃない、という寒咲に、鳴子は心の中でツッコんだ。いやアカンのそこだけじゃないやろ。

 お弁当を食べ終わり、ふたを閉めた小野田が、おずおずと今泉に話しかけた。

「あの、ふたりは付き合ってるの?」

 まさか小野田がこれを切り出すとは思わず、鳴子は驚きも隠さず友人を見つめた。
 今泉は、どう答えれば正解かわからず、だらだらと汗をかきはじめた。微妙な沈黙を感じ取り、小野田があわあわと手を振る。

「あっあの、クラスの人に聞いて欲しいって頼まれて! そういえばふたりは仲がいいなーと思って、あの、答えられなかったらいいから!」

 答えられないということは、それはもうイコールで付き合ってるということじゃないのか。
 恋愛にうとい今泉が必死に考えていると、意外なことに名前が口を開いた。いつもと同じ、冷気さえ感じさせる涼やかな顔だ。

「まだ付き合ってない」
「まだ」

 復唱する鳴子に頷きが返される。

「まさか寝ている相手にすら告白できないとは思っていなくて。だからいま、正式に告白されるのを待ってるの」
「んなっ……!」

 今泉が絶句する。思い当たることはひとつしかない。

「わたしも自分のなかにこんな感情があることに驚いている最中なの。だからあなたの気持ちが変わってないなら、今度は起きている時に好きだと言って。じゃあ」

 冬の訪れにはすこしはやい、わずかな寂しさを含んだ秋の風が名前の髪をすくう。食べ終わったお弁当の包みを持ち、名前はいつものように先に歩いて教室へと帰ってしまった。
 日中はまだあたたかい日差しが、残された三人に降り注ぐ。三人の前を、男子生徒がはしゃぎながら上履きのまま走っていった。彼らと仲がいいであろう女子生徒の、外では靴に履きかえなさいという、親しみをまとった注意の声が追いかける。

 こうして、今泉の「かっこよく告白しなおそう作戦」が開始されたのである。
 今泉たちが驚きつつ名前の言葉を飲み込んで、うんうん唸りながら話し合ったものの、いい案はまったくでなかった。恋愛に詳しいどころか、うとい三人から出るのはとんちんかんな意見ばかりだ。
 意を決して、部活終了後の、個人練習をする前の手嶋に相談したのは、自然な流れといえた。
 クラスメイトでこんなことを相談できるほど親しい人はいなかった。なんとなくお洒落っぽいことを言ってるし女子とも仲がいい手嶋さんなら何とかしてくれる、と根拠のない自信で三人が手嶋にすべてを打ち明けたのは、部活が終わって40分後のことだった。
 恥ずかしさをこらえて説明する今泉に、手嶋はもったいぶったように唸ってみせた。

「もう素直に告白すればいいじゃねえの? 相手の返事がイエスって決まってんなんて、滅多にねえぞ」
「や、でも、さすがに男としてカッコ悪いっつーか」
「うーん、じゃあふたりで海にサイクリングにでもいって、夕日が沈む海で花の一輪でも差し出しながら告白したらどうだ?」
「花なんて練習の邪魔になるんで持ってられません」
「デートなんだから練習すんなよ! いや練習したい気持ちはわかるけどな!?」

 そう、その気持ちはものすごくわかるのだが。
 今泉のどこかズレている認識と自分のそれをすり合わせるのに必死になっていた手嶋の肩に手が置かれる。青八木だ。

「男なら堂々と告白しろ。以上だ」
「か……かっこいい……!」

 小野田がきらきらとした目を向けるのに、青八木が頷いてみせる。

「言葉だけなら誰にでも吐ける。それを裏付けする行動が必要だ。だが今泉、おまえはそれを怠らなかったんだろう。なら、彼女が待っているのは、今泉の本心という名の言葉じゃないのか」

 かっ……かっこいい……!
 そう思ったのは小野田だけではなかった。その場にいる全員が、青八木の男らしさに心を打たれた。
 まだちょっとメンタルが弱めの今泉は、自分とのあまりの差に膝をつきそうになったが、なんとかこらえた。

「わ……わかりました。オレ、言ってきます!」
「ああ、その調子だ」
「名字に、付き合ってくれって言います!」

 握りこぶしをつくり、誰かの前で宣言することで退路を絶った今泉は、その場の誰より輝いていた。部室の窓が開くまでは。

「うん、いいよ」

 窓から顔を出したのは名前だった。突然のことにかたまる部員をよそに、名前はいつものように淡々と話す。

「これ、借りてたノート返すの忘れてたから。じゃあ、そういうことで」

 ノートを近くにいた部員に渡し、窓を閉めて去っていった名前に、誰も反応できなかった。
 いち早く我に返った手嶋が叫ぶ。

「追え、今泉! ここで決めてこい!」
「っはい!」

 ドアを乱暴に開けて飛び出していった今泉を、誰も咎めはしなかった。

 その後、告白は無事に成功した。できるだけ誠実にかっこよく告白した今泉に、名前は頷き、そして微笑んだ。
 名前の、喜びでほころぶ笑みを初めて見た。かたまる今泉が一分後にようやく言った言葉は「名字って……笑えたんだな」という、あとでそれを聞いた全員にぼこぼこにされたものだったが、名前は怒らなかった。
 真っ赤で、いかにも惚れ直しましたという顔でそれだけしか言えなかった今泉を思い出すたび、名前はくすぐったくて笑ってしまいそうな、幸福な気持ちになった。そうして今日も、愛車にまたがるのだ。


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