手嶋から聞いていた青八木という人物が大学までわざわざ遊びに来るというのは、洋南の練習を見るためと親友である手嶋に会いに来たんだろうということは聞かなくてもわかった。去年のインハイで争った仲だ、話したことはなくても青八木の存在は知っていた。いまは手嶋のおかげで知らなくていい情報まで知っているが、向こうはオレがそんなことを知っているとは思わないだろう。
 自主練の日にあわせて来た青八木は、元主将である金城さんとその横にいた荒北さんに挨拶をした。荒北さんより上の学年の先輩たちは、実習やらレポートやらでいなくて、青八木にとって非常に都合がいい展開だが、おそらく手嶋の読み通りなんだろう。手嶋が手をあげて青八木に挨拶をし、オレを紹介する。

「今日は黒田もいるみたいなんだ。黒田、青八木は無口だけどわかりやすいやつで、誤解されやすいけど熱い男なんだ」
「自転車乗りはみんなそうだろ。オレは自分の練習してるからな」
「そう言うなよ。青八木、自転車持ってきたろ?」

 頷く青八木には悪いが、レースをしても負ける気はない。それはもちろん当然のことだが、いつもより強くそう思うのは青八木の後ろに半分隠れるように立っている女子がいるからだった。見学に彼女を連れてくるなんてよくやる。
 この女は手嶋と親しく金城さんとも話したことがあるらしく、久しぶりだと話を弾ませていた。

「黒田くん、はじめまして。わたしは名字名前。今日はお言葉に甘えて見学させてもらいに来ました。すみっこで邪魔にならないようにしているね。去年のインハイ見に行ったんだけど、黒田くんのことはよく覚えてるよ。アシストが上手だなって思ったから」

 初対面で褒めてくる奴にはたいてい裏がある。それなのに目の前の女からは何が目的か感じ取れず、とりあえずお礼を言う。名字は言ったとおりすぐに隅っこへ行き、青八木と手嶋が会話せずに会話しているのを嬉しそうに見ている。
 手嶋が青八木との会話を区切り、肩をすくめるようにしてオレを見る。

「人のいいところを見つけるのが得意で、思ってることを口に出すんだ。お前が心配してるようなことは考えてねェよ」

 どうやらオレが考えていることはお見通しだったらしい。横で青八木が首をかしげているのを見て、口には出さないままわかったとため息をついた。こんなことでテンションを落として練習の質を下げたくない。

・・・

 それから青八木を含めて一緒に練習をしたあと、短いけどレースをした。金城さんと荒北さんのアドバイスを熱心に聞いた青八木は、手嶋の言うとおり悪い奴じゃなさそうだった。名字も、ずっと飽きずに練習を眺め、差し入れだと冷えたペットボトルをくれた。青八木が慌てているのが何となく面白い。
 休憩になって、青八木と名字が話しているのを眺める。付き合いたての初々しいカップルという感じで、まわりにピンク色の空気が漂っているようだ。

「名字、やっぱりお金を払う」
「いいって、みんなからも受け取ってないし、わたしが見学させてもらってるお礼みたいなものだから。見学していいって言ってもらえて本当に嬉しかったよ」
「ここまで来るのに電車代がかかった」
「手嶋くんに会えるなら安いものだよ」

 青八木が口を引き結ぶ。なるほど、慣れたらわかりやすい。それなのに名字は気付かないようで、スポーツドリンクのお金はいらないと念を押していた。違う、いま話すべきなのはそれじゃない。

「それに、その……」

 名字が恥ずかしそうに目を伏せて、さきほどより上気した顔で青八木を見上げた。天然の上目遣いだ。

「か、かっこいい青八木くんが見れて、嬉しかったし……」

 そう、それだ。いま言うべきはそれだ。
 青八木は驚いたように目を見開いたが、すぐに嬉しそうな顔をして名字を見つめた。その目は愛しさがつまっていて、目は口ほどに物を言うとはこのことかと感心した。青八木がそのまま何も言わずただ名字を見つめていたのは驚いたが。何か言えよ。

「え、えと、何だか暑いね」
「名字は可愛い」
「えっ!?」

 名字も驚いたがオレも驚いた。ここで言うのか。ここでこんなストレートなことを言うのか。真顔で本心ですという顔で言うのか。すげえな。

「え、な、いきなりどうしたの?」
「ずっと思っていた。名字は可愛い」
「あ、ありがとう……。青八木くんはかっこいいよ」

 なんだこの褒め合い。バカップルか。バカップルか!

「そ、そんなこと言ってくれるの青八木くんだけだよ。今の言葉忘れないようにしとくね」
「何で」
「わたしの人生で可愛いなんてそんなに言われないと思うし、嬉しかったし」
「オレがたくさん言う」
「えっ!? 無理しなくていいよ!」
「無理じゃない」
「で、でも、そんな……」
「……初めて会ったときから可愛いと思っていた。いまもそう思っている。たぶん死ぬまで変わらない」

 青八木って真顔で人がいる場所でこんなこと言うやつだったのか。
 名字は死にそうなほど顔真っ赤にさせて少女漫画のヒロインみたいになってっけど、聞いてるオレらも死にそうだからな? 男所帯の部活でいまだに彼女できてねえオレたちのど真ん中でそんな台詞聞かされて死にそうだからな?

「……わたしも。わたしも、初めて会ったときからずっとかっこいいと思ってたの。ずいぶん長いことそう思ってるけど、いまのほうがかっこいいと思ってるんだから、きっと死ぬまでそう思うんだろうなあ」

 照れ隠しで前髪をさわりながら、名字が青八木を見上げた。恥ずかしくて嬉しくてたまらないと顔に書いてあるふたりは、しばらく見つめあったあと笑った。オレは笑えない。とてもじゃないが笑えない。
 こんな空気のなか、話が一段落したからか手嶋がふたりに近付いていった。こんな状況で近付いていけるなんてスゲェな。総北やっぱりイカれてる。総北こえぇ。

「そういえば、去年の冬もそんな話してたよな。責任とるとかさ」
「あれは保留にした」
「保留?」
「青八木くんがいくら言っても引いてくれなかったから。わたしが24になっても恋人がいなくて結婚したいと思ってたら、青八木くんがお嫁にもらってくれるって」
「もっと早くてもいい」
「ダメだよ、青八木くんにも恋人がいるかもしれないし」
「いない。20歳でもいい」
「さすがに早すぎるよ」
「名字は可愛い。すぐに誰かにプロポーズされる」
「……青八木くんにしか、されないよ」
「される」

 おいそこ断言すんじゃねえよ。いま名字が勇気を振り絞って言った言葉をすぐに否定すんじゃねえよ。

「わたしをお嫁さんにしてくれるのは青八木くんくらいだよ」
「……やっぱり18で結婚しよう」
「早いよ」

 まだ何やら言い合っているふたりは、ぶっちゃけよくわからないことを言っているとしか思えないがこれだけは言える。あれは言い合いに見せかけたノロケだ。
 手嶋がふたりからそっと離れてオレのほうへやってくる。すこし離れたところでふたりを見ていた金城さんがやってきて、それにくっついて荒北さんも一緒にやってきた。金城さんは真剣な顔をしていて、思わず背筋が伸びた。さすがに青八木や名字と親しいとはいっても、ここまで堂々とイチャつかれたら怒るしかないのかもしれない。

「手嶋、ひとつ聞きたいことがある。もしかしてふたりはオレが卒業したときと……いや、まどろっこしいことはやめよう。単刀直入に聞く、あのふたりはまだ付き合っていないな?」
「はい」
「「ハァッ!?」」

 荒北さんと声がかぶったことも気にせず青八木と名字を見る。どう見たって付き合ってるだろ。付き合ってなくてあんなこと言い合ってるならどっちかが気付くだろ!

「オレも、大学まで同じでふたりとも一人暮らしして、すこしは進展してるかと思ったんですが……いや、進展はしてるんですが根本が変わっていないというか」
「……そうか。まさかとは思っていたが……」
「これでもう7年目ですからね……いつになったら進展するんだがわからないんですが、とりあえず24になったら結婚するらしいのでそれまではもう本人たちに任せるしかありません。青八木が、名字はオレのことを好きだと誤解しなくなっただけ前進はしてますよ」
「田所や巻島も心配していたんだが、直接聞くのもどうかと思ってな」
「一度ベタに体育倉庫に閉じ込めて見たんですが、なにも起こらなかったみたいで」

 え、マジで? 本当に付き合ってねえの?
 荒北さんと顔を見合わせて手嶋と金城さんの会話を聞く。荒北さんは注意深く青八木と名字のほうを見て鼻を動かし、ちいさな声で「……マジだ」とつぶやいた。ということは、本当の本当にふたりは付き合っていないことになる。
 手嶋がいい笑顔で振り向いた。こういうときの手嶋はろくなことを考えてない。

「これでふたりも青八木と名字を見守る仲間入りですね。大丈夫ですよ、そのうち慣れます」

 慣れたくはない。
 だが話題にあがっている当の二人を見てみると、青八木が頑張って夜ご飯を一緒に食べようと誘っているところで、思わず息を止めて行方を見守ってしまった。ほらな、と笑う手嶋は見ないことにした。あーオレも彼女ほしい。


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