いままでの鳴子なら、恋人が出来たならば即座に声高に言いふらし、名前にさわる者がいようものなら「ワイの彼女やから!」とガードでもしそうなものなのに、そんな素振りは見せずに過ごしていた。
 理由を尋ねられても、わからないとしか言いようがない。言いふらさなくとも牽制しなくとも名前なら大丈夫だという信頼の上に恋が実ったのだが、鳴子はそれを感覚でしかわかっていないため説明できなかった。
 だが、恋人というものはなぜかわかってしまうものである。友達より近い距離、親密な態度。どうしても漏れるそれに、2学期が始まって一ヶ月も経つころには名前と鳴子は暗黙のうちに公認のカップルとなっていた。

「名前ちゃんが綺麗になったのって、鳴子くんと付き合ったからだよね?」

 そんな爆弾が投下されたのは、昼休みの平和な教室でのことだった。名前、鳴子、今泉、小野田で和やかに食べていたところに教室の女子が乱入し、お弁当を食べ終わった隙をついてここぞとばかりに質問したのだ。
 驚いたのは小野田と今泉だった。恋愛に疎く、ふたりのことも「仲良くなったな」としか思っていなかったふたりは驚いて名前と鳴子を交互に見る。

「ううん、違うよ」

 名前の否定の言葉にほっとしたのも一瞬だった。

「鳴子くんがわたしの背中を押してくれたの、世界で一番可愛いって。だからわたし、勇気を出して変われたんだ。鳴子くんのおかげだけど、付き合う前のことだから」

 小野田が椅子から落ちかけ、今泉が目を見開く。

「えっ、ええ!? 鳴子くんと名字さんって付き合ってたの!?」
「嘘じゃないだろうな。もうエイプリルフールは過ぎてるぞ」
「嘘ちゃうわスカシ! ワイと名前は付き合っとるんや!」
「いっいつの間に……!?」
「堪忍な小野田くん、隠してたわけやないんやけど、どう言い出してええかわからんかったんや。先輩たちも知っとるし、小野田くんたちも知っとるもんやと思っとった」
「知らなかった……」

 落ち込む小野田と密かにショックを受ける今泉を慰める名前と鳴子をよそに、教室が盛り上がる。
 付き合っているのか付き合っていないのか、付き合っていそうだけどもしかしたらその前の微妙な関係でつついたら崩れてしまうかもしれないと様子を窺っていたクラスメイトは、湧きに湧いた。気になっていたことが判明し、これでようやく質問攻めに出来る。

「えっいつからなの? 告白はどっちから?」
「その前にまずどこまでいったかでしょ!」
「付き合って何ヶ月?」
「ちょっ、ちょお待ち、名前が目ェ回しとるから!」

 駆け寄ってくるクラスメイトに質問を大量に浴びせられて目を白黒させていた名前は、鳴子に背中をさすられてようやく落ち着いた。それを見て「彼氏はかっこいいですなー」と冷やかしてくるクラスメイトを軽く睨んでから、鳴子は名前の顔を覗き込んだ。

「大丈夫か? 無理せんでええで」
「大丈夫、ありがとう。まさかこんなに質問されるなんて思ってなくて。……あの、小野田くん今泉くん、内緒にしててごめんね。言うの恥ずかしくて、知ってる人もたくさんいたから、優しいふたりは知っててわざわざ言わないでいてくれてるんだろうって思ってて」
「だっ、大丈夫だよ。驚いたけど、怒ってないから」
「オレも別に。それより名字、本当に鳴子でいいのか? うるさいんじゃないか」
「うっさいわスカシ!」
「ほらうるさい」
「い、今泉くんも鳴子くんも喧嘩はやめてよ! 名字さんが困ってるよ!」

 いつもの光景に名前がくすくすと笑う。ようやく本当に落ち着いた名前は、これまたようやく落ち着いたクラスメイトの質問にひとつひとつ答えていった。

「鳴子くんと付き合ったのは数ヶ月前で、告白はなんだっけ……ドン? されながら」
「もしかして壁ドン!? ぎゃああ!」
「鳴子やるじゃん!」
「ワイも男やからな! やるときゃやるで!」

 小野田に壁ドンについて教えてもらっている今泉の横で、鳴子はふんっと握りこぶしを作ってみせた。クラスで久しぶりの恋バナ、それも何かと派手な鳴子とある日突然美少女になった名前の組み合わせとくれば、盛り上がるのも無理はない。
 次々と押し寄せる質問に軽く答える鳴子は、ジョークを混ぜることも忘れない。こういう状況がはじめてでうまく受け答えできずにいる名前をさりげなく庇いながら、鳴子は両手を大きく振った。

「質問しすぎやで! もう昼休み終わるし、次の質問で最後にしてや! あ、このあと名前に質問するのはナシにしてな。こういうの慣れとらんし」

 さすが彼氏、とからかわれるのを軽く流して、最後の質問を募集する。手を挙げたのは、ひとりの女子だった。

「お互いどこを好きになったの?」

 いい質問である。知りたいという声があちこち聞こえ、鳴子はわざとらしく考え込むポーズをとってみせた。

「せやなあ、まず名前ってベタやろ? どこかズレとるし、何となく守ってあげなって思っとった。ほんでまあ……あとはギャップやな。ドジなのに世話焼きで選手の気持ちわかっとって、ほしいもんをほしい時にくれる。最初は地味やったけど眼鏡とったらめっちゃ美人なのもギャップのひとつやったしな。気づいたら惚れとった」

 男らしい鳴子の答えに、名前の頬が染まる。聞いていた数人のクラスメイトと小野田の顔も赤くなった。
 次は彼女の番だと視線を向けられ、名前はまだ恋に火照る頬をおさえたまま口を開いた。

「わたしは……生き様かな」

 生き様。女子高生の口からはなかなか出てこない単語に驚いているクラスメイトに気付かず、名前は照れながら続けた。

「鳴子くんはもし明日死ぬって言われたとしても、それでも後悔しない人生を、自分の意思で走ってると思うんだ。実際にそんなことを言われたら焦ったり悲しんだり怒ったり、アイスの当たりくじ引き換えればよかったとか一回くらいあいつに勝ちたかったって悔しがったりすると思うけど、笑ってすべてを受け入れて、いい人生だったって死ぬと思うの。鳴子くんのそんなところが好き。わたしにとって、鳴子くんは世界で一番かっこいい男の子なの」

 真っ赤になりながら繊細な女の子の本音をさらけだした名前に、教室が静まり返る。教室中の視線が、照れている名前から鳴子に移った。髪に負けないくらい真っ赤になった鳴子は、視線が集まっていることにも気付かず名前を見つめるばかりだ。
 だが、それも仕方ないと思うクラスメイトの意見は一致していた。こんなことを言われてすぐに言葉など出てこない。

 そのときちょうど予鈴のチャイムがなり、みんな次々と動き出した。小野田と今泉は慌てて食べ終わったお弁当を包んで席を立つ。

「そうだ鳴子くん、お兄ちゃんが鳴子くんに会いたいって」
「え」

 次いで爆弾を落とされたのはそのときだった。久々に聞く「お兄ちゃん」と「会いたい」という単語に鳴子の動きが止まる。

「お付き合いしてる人がいるって言ったら、ぜひ会いたいって。むりなら電話したいって言ってたよ。たぶん鳴子くんも会ったことあるし、お兄ちゃんは優しいから大丈夫」
「え……ちょお待って、いきなりのことで頭ついていかへん。会うたっていつ?」
「インターハイで会ったでしょ? 京都伏見の石垣光太郎」
「え」

 驚く鳴子と小野田と今泉をおいて、無情にもチャイムがなる。慌てて教室を飛び出した小野田と今泉と違い、鳴子はまだそこにつっ立ったままだった。

「……え?」
「お兄ちゃんから会いに来てもいいって。鳴子くんならきっと大丈夫だよ」
「……おおきに」

 根拠のない励ましに反射的に返事をしながら、のろのろと席に着く。
 鳴子章吉の心が平穏になる日は遠い。


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