思いきり不機嫌な顔を見て、あの荒北さんがすこしばかり気を遣ってくるのを心苦しく思いながらお兄ちゃんを思いきり睨みつけた。大学の食堂は広くて人があふれていて、高校と大きく違うのはお兄ちゃんを見るまわりの目が減ったくらいだ。これだけ人が多いとお兄ちゃんもそこまで目立たないんだろう。
 遠慮なく一番高い定食を食べながら、相変わらず上機嫌で見つめてくるお兄ちゃんから思いきり顔を背ける。ショックを受けてかたまったお兄ちゃんを無視して荒北さんに話しかけた。

「荒北さん、お兄ちゃんと一緒で大丈夫ですか。こんなの無視していいよ」
「こんなのって……まあこんな金城は初めて見たけど」
「こんなって?」
「なんつーか……メロメロ?」
「一緒にいるといつもこんな感じですよ。ウザイ」

 お兄ちゃんがさらにショックを受けたのをまた無視する。今日のわたしは機嫌が悪い。荒北さんもそれを知っているから、お兄ちゃんに哀れみの視線を向けるだけでフォローしたりはしなかった。

「いくら妹が好きだからって、お母さんに根回ししてオープンキャンパスでもない日に大学に呼び寄せて一日中そばに置いておくなんて頭おかしい」
「おかしくはないぞ。授業の内容や雰囲気を事前に体験できるし、オープンキャンパスの前に志望校を決めておいて損はないだろう」
「だから! この大学に来るなんて! 一言も! 言ってない!」

 わかりやすいようにきちんと区切って言うと、お兄ちゃんが「まさか」という顔をした。まさかも何も、この大学に行きたいだなんて、そもそも大学に行きたいと明確に言ったことはすらない。
 わたしはまだ高校二年生だ。進路は決めておくに越したことはないけど、専門学校や短大もいいと思っているし、なにより自分の将来の姿をはっきりと描けていない。どこを選んでもいいように勉強はしているから、あとは自分の偏差値と希望をすり合わせるだけだ。

「お兄ちゃんが勝手に決め付けてお母さん言いくるめて何でもない日に大学に来るように仕向けたんでしょ」
「金城お前……」
「荒北は心配にならないのか。名前はこんなに可愛いんだ。いまだって男に囲まれてすごしているというのに、大学に入ったらもっと危険になる。オレのそばにいれば安全だ」
「金城お前…………」
「荒北さんいいんです。いまの荒北さんの気持ちを十倍にしたのがわたしの気持ちです」

 荒北さんは納得したらしく、それ以上お兄ちゃんを見ることはなかった。お兄ちゃんはわたしの前だと少々変わるので、友情が危うくなっていないか心配だ。荒北さんもお兄ちゃんも高校最後のインターハイをリタイヤした者同士だ。お兄ちゃんはたまに気持ち悪くはあるけど、大学でいい結果と思い出を残してほしい。
 そもそも、今回お兄ちゃんがこんなに変になった原因ははっきりしている。お兄ちゃんはわたしが絡むと大げさで心配症にはなるけど、こんな強引で意味不明なことをする人間ではない。

「荒北さんごめんなさい、お兄ちゃんはいつもはもう少しまともなんだ。わたしのいってる高校が男子が多いってことにこのあいだ気付いて、いきなり危険だって言い出して。好きな人もいないし恋人を作る気もないって言ってるのにうるさくて……本当にうるさくて」

 頑固なお兄ちゃんが、わたし絡みになると面倒くさいというのは総北では周知の事実だったが、大学では知っている人のほうが少ないだろう。荒北さんの視線に気付き、お兄ちゃんが咳払いをした。どうやら少しばかり冷静になってくれたらしい。

「だいたいお兄ちゃんがいるんだから、レベル低い男に引っかかったりしないって。お兄ちゃんはどんな人ならわたしの恋人になっていいのよ」
「そうだな……まずオレより自転車が速くて」
「いきなり無理難題言わないでくれる?」

 お兄ちゃんは考え込み、たっぷり30秒はたってから口を開いた。真剣な目をしている。

「オレが認めるほど自転車が速く、誠実で、信頼できる友人がいて、勉学に励み、名前を泣かせたりしない、この大学の男だ」
「無理難題言わないでくれる?」

 そもそもその条件だとこの大学の自転車競技部じゃなきゃいけないし、一番に思い浮かぶのはお兄ちゃんだ。荒北さんが呆れる顔をしたのを見て、名案が浮かんだ。

「わたし、荒北さんを好きになる!」
「ぐっ!?」
「ハァッ!? 勝手に決めんな!」
「だってお兄ちゃんの条件を満たすの、荒北さんしかいないじゃない。荒北さんが本気で迷惑ならやめるけど」
「迷惑っつーか好きでもない相手を無理に好きになろうとすんのがおかしいんだよ」
「荒北さんのこと好きよ。インターハイ見たし、その前に何度も箱学に偵察に行ったし。そこで荒北さんの聞き込みもしたから、人から聞いた程度だけど荒北さんの過去も知ってる。お兄ちゃんがこれだけ心を開いて話してるんだもの、荒北さんはきっといい人よ。こういうときのわたしの直感、外れたことないの」

 笑ってみせると、荒北さんがわかりづらいけど戸惑った顔をした。お兄ちゃんは殺気を出した。
 荒北さんはいい人だ。恋という感情で好きになるかはわからないけど、人としては好きだ。お兄ちゃんだって、わたしの思いつきで言った言葉でチームメイトを苦しめるようなバカじゃないし、この殺気だってなだめればすぐに消えて、冷静になれば荒北さんに今まで通り接するだろう。
 もしかしたらお兄ちゃんと同じ大学に来いって言われなくなるかもしれない。そうなるとラッキーなんだけどな。

 そう考えるわたしのイメージ通り、お兄ちゃんは冷静になると荒北さんに謝って、思いつきでそんなことを言うんじゃないとわたしを叱った。ふたりに謝ると、荒北さんは許してくれてお兄ちゃんも自分が暴走しすぎたことを謝ってくれた。
 わたしの誤算はここから。二週間たち、お兄ちゃんから電話で「荒北と交際をするなら認める。まずはうちの大学に来ればいいんじゃないか」と言われて頭が真っ白になってしまって、大事なテストでいい点をとれなかったのは絶対にお兄ちゃんのせいだ。今度帰ってきたらコンビニスイーツを全部買わせてやろう。あと腹パン。


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