今日一日の展開についていけず、名前はお弁当をひざに置いたまま、自分が話題となっている会話をひたすら聞いていた。お昼休みは賑やかで、食堂ではところせましと昼食を食べる生徒がくつろいでいる。
 今日は三年の登校日だからか、いつもより生徒が多かった。そのぶん、有名な自転車部の部員といっしょにいる名前に視線が突き刺さる。

 にぎやかな食堂の片隅で、名前の左に東堂が座っているのはまだわかった。つい一時間ほど前に恋人になったからだ。だがその反対の右側には荒北、前には新開と福富が座っているのはどういうことだろう。

「だァから言ったじゃねェか、絶対恋人になんかなってねえって」
「うるさいぞ荒北! 今はなっているだろう、今は!」
「まあ、あれだけ尽八が名字さんからの本命チョコしか受け取らないって言ってたんだ、隣の席ならわかると思っちまうよな」
「えっわたしの名前を出してたの!?」
「名前は出していないが、オレからの好意ならば気付くものだろう? そしてこう考えるに違いない。登れるうえにトークも切れる、くわえて美形で細やかな気遣いができる東堂尽八、そう、山神であるこのオレに好かれていると!」
「名字には伝わっていなかったようだな」

 福富が淡々と事実を述べると、東堂の顔がわずかにくもった。
 東堂からすれば本命チョコを受け取り、名前は覚えていなかったが「これからは新たな関係だな。よろしく頼む」とまで言ったのに、まさか伝わっていないとは思わなかったのだ。
 思いが通じ合ったとばかり思っていたのは自分だけで、浮かれていたのも自分だけだ。勇気を出していつもより少し近い距離にいたことも、名前と一緒にいたいがためによく話しかけたのも、すべて伝わっていなかったかと思うと悲しくなってくるが、いまは晴れて恋人になった喜びのほうが大きかった。

「改めて紹介しよう。オレの恋人である名字名前さんだ! 聡明で思慮深く、聞き上手だぞ!」
「そ、そんなことは……」

 名前はもごもごと口を動かして否定するが、東堂の切れるトークとやらにかき消され、となりにいる荒北にかろうじて聞こえたか聞こえないかくらいの声しか出なかった。
 名前はいたって普通の人間だ。東堂のように顔がいいわけでも、熱中しているものがあるわけでも、なにかに優れているわけでもない。そんなにハードルをあげらても、この先に待っているのは失望だけだ。
 東堂へ向けられる視線さえも変わりかねないと、名前は慌てて口を開いた。

「えーっと、あの、そうだ、ここにいていいの? せっかく四人で食べてるのに、邪魔なんじゃないかな。席を外そうか?」
「なにを言う、恋人ならば昼食をともにすることは普通だぞ! 友人に紹介するのもな!」
「ソウダヨネ」

 うん、伝わらないとは思ってた。
 名前は四人とまわりの生徒からの視線に耐えながら、もう数え切れないほどなおしたスカートの裾をまた綺麗に伸ばした。荒北がくんくんと鼻を動かす。

「それにしてもよォ、こんな地味な女を選ぶとは思わなかったぜ。てっきりキレーなやつを選ぶのかと思いきや」
「失礼なことを言うな荒北」
「へいへーい」
「そうだぞ、失礼だ荒北! 名字さんに謝れ! 名字さんは物腰がやわらかで気が利く。それに聞き上手だ。荒北、すこし話してみろ」
「ハァ?」
「そうすればすぐに名字さんの良さがわかる!」

 あまりの無茶振りに、名前の顔が青ざめていく。
 怖い噂ばかりきく荒北靖友という男と初めて話すというのに、会話が弾むはずもない。東堂に視線で訴えても「わかっている、大丈夫だ。名字さんなら出来る!」ととんちんかんなことを言うばかりで、自分が言ったことを撤回する気はないようだ。
 目を閉じて気合を入れて腹を据え、荒北のほうへ体を向ける。まさか本当に名前が自分と話すだなんて思っていなかった荒北は、驚きつつも箸をおいた。親のしつけが垣間見える瞬間だ。

「あ、荒北くんの好きなものは何ですか」
「……ベプシとから揚げェ」
「あっ、わたしもから揚げ好き! 塩から揚げもいいんだよね」
「塩? そういや食ったことねェな」

 から揚げが食べられれば味などあまり関係ないということもあるが、思い返せば荒北が食べているものは王道のしょうゆやらにんにくやらを入れたもので、ファミレスや寮の食堂でもたいていこのから揚げが出てくる。
 存在は知っているが食べたことはないという荒北に、名前は細かく説明をはじめた。

「わたしが好きなのは、ゴマがまぶしてあるやつなの。塩とごま油とかで味付けして、ゴマがアクセントになっておいしいんだよ」
「売ってるの見たことねェな」
「うちの親は、居酒屋とかにあるって言ってたけど」
「居酒屋はさすがに入れねェだろ。どうみても高校生だっつーの」
「サングラスと革ジャン着ればなんとか……」
「ならねェよ。どこの不良だよ」
「えと……箱根学園のゼッケン2番」

 なんだそりゃ、と荒北が牙を剥くように笑う。変なことを言ってしまったかと名前が怯えたのも一瞬で、すぐに笑ったのだとわかって安心したように目を細めた。自分が好きな人の友達なのだ、よく考えれば悪い人だなんてあるはずがない。
 ようやく肩の力が抜けた名前は、お弁当を開けてお箸でから揚げをつまみ蓋の上においた。

「これ、いま言ってた塩から揚げなの。よかったら食べて」
「おー。あんがと」
「待て! なぜ荒北が名字さんの手料理を食べているのだ!」
「手作り? そうなのォ?」
「あ、うん、今日は親が忙しくて」
「ならん! ならんよ荒北! オレだって名字さんの料理を食べたことがないというのに!」
「うまい」
「だから食うな!」

 吐き出せと怒る東堂を見て、名前が瞬きをする。自分の料理にそこまで執着する東堂が意外だったこともあるが、何より気にかかるところがあった。

「バレンタインに渡したチョコ、手作りだったんだけど……」
「もちろん大事に食べた! 何度でも言うが、本当に美味しかった。だがお菓子作りと料理はまた別だ!」
「うまい」
「吐け!」

 騒ぎ続けるふたりを前にしてどうすればいいか戸惑う名前は視線を左右に向けたが、福富と新開は慣れているとばかりに昼食を食べている。悩んだすえ、から揚げがひとつ減っただけの弁当箱を東堂に差し出した。

「これ、手をつけてないからよかったら食べて」
「む、それはいかん。さきほどから何も食べていないではないか」
「胸がいっぱいで食べられないから」

 片思いだと思っていた東堂と恋人になれ、しかも友達にまで堂々と紹介してくれたのだ。嬉しさを噛みしめるので精一杯で、食事などとても喉を通りそうにない。
 照れながらお弁当を差し出す名前を見て、東堂の動きが止まる。名前の言葉から、自分と付き合えたことの嬉しさと好意を感じてくちびるを噛みしめて天を仰いだ。

「見たかフク……! これが名字さんだ! やましいことなど何もない、清らかで山神にふさわしい……そう、山の女神だ!」

 いつもならそんなことはないと必死に否定する名前の声が飛んでこないことに満足し、東堂がお弁当を受け取る。東堂にとっては名前が一番大切で美しい女性であり、誰になにを言われようともその価値観がブレることはない。
 名前とて今の言葉を否定しようと思ったが、言葉が喉で張り付いて声になることはなかった。やましいことを考えているわけではないと思いたいが、キスまでした仲である。しかも二回も。
 手をつないで一緒に帰ったりしてみたいし、デートの最後にキスをしたり抱きしめたり、今は付き合えたことで手一杯だがいつかそういうこともしてみたい。もしこれを東堂がやましい気持ちだと思っていたら、自分はどれだけふしだらな女なんだろう。
 青ざめる名前に気付き、東堂の手が止まる。

「どうかしたのか? 顔色が悪いぞ」
「その……あの! 手をつなぐとかも、やましいことかな?」
「え? いや、やましくはないだろう。自然なことだ」
「そ、そっか……手をつなぐのが嫌だって言われたら、どうしようかと思った……よかった」
「ああ、うむ。うむ」

 下を向いて赤くなった顔を隠す名前を見て、東堂は空へと顔を向ける。なんだこの可愛い生き物は。こんなに可愛いだなんて聞いていないぞ。
 荒ぶる感情を顔に出さないようにしながら、東堂は何度も頷いた。これはたしかに、胸がいっぱいでご飯が喉を通らない。もちろん名前の手作り弁当を米一粒も残す気はないが。
 新開がデザートを食べながらいつものポーズで人差し指を東堂に向ける。

「理性との戦いだな!」

 手をつなぐだけでこれだけの反応をされると、その先へは何年かかるかわからない。
 そのことにようやく気付いた東堂は青ざめ、まだ照れている名前を見てニヤけ、現実を思い出して真顔になった。ふたりの変なところですれ違う気持ちがひとつになる日は遠い。


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