名前が初デートに着ていく服にアドバイスをするという巻島をなんとか諦めさせ、金城と田所がすすめたスカートをはいた名前を見た3人は、感慨深い思いで照れる名前を見つめた。
 思えばここまで長かった。

 総北の名前と箱学の荒北がつながったのは2年の夏の終わりで、福富が菓子折りを持って謝りに来たときだった。田所と同じくらい福富がしたことを許せなかった名前は、東堂と福富以外で、福富とある程度親しい自転車競技部の連絡先を教えろと言ったのだ。
 もう同じことはしないとは思うが、万が一ということもある。福富と仲がいいのなら、もしまた同じことをしそうになったらきちんと止めて連絡をよこせという要求だった。福富は頷き、荒北に連絡をした。ウサ吉のことで休んでいる新開がいない以上、残るは荒北しかいない。
 ちなみに東堂を除外したのは、電話をすれば巻ちゃん巻ちゃんとうるさいからである。

 そうして連絡先を交換したふたりだったが、長いこと連絡をとることはなかった。電話はおろかメールすらしたことがない荒北と名前が接触したのはその一ヶ月後、とある場所で行われたクリテリウムだった。
 選手が次々とゴールし、表彰式が終わったあと、名前は荒北の前に現れた。

「わたし総北のマネージャーの名字だけど、すこし時間ある?」
「……時間はあるけどよ」

 身構える荒北を気にする素振りも見せず、後片付けや軽いメンテナンスを待った名前は、荒北と並んで草むらに腰かけた。ジーンズが汚れるのも気にせず座る姿は、シンプルなTシャツとよく似合った。
 運動をして汗をかいた肌に、夕暮れとともになでてくるひんやりとした風が気持ちいい。荒北が横を向くと、名前と目が合って思わずびくついた。

「荒北って、なんか箱学っぽくない走り方だよね。あ、もちろんいい意味でだよ? どこか総北の走りと似てて、なんだか好きになっちゃった」

 好きという単語に、勝手に心臓がうるさくなる。ふつうの男子高校生は、女子とこんな近くに並んで座ることも、ストレートに好きだと言われることにも慣れていないのだ。

「連絡先を交換したとき、嫌な態度とってごめんね。荒北だって、信じられない思いとかどうしていいかわからないとかあっただろうに、わたしはみんなの今までの努力が踏みにじられたって思いでいっぱいで、嫌なこといったと思う。いまも笑顔で許すとかは無理だけど、金城が気にしないっていうならわたしも出来るだけ気にしない。来年勝つのは総北だから」

 挑戦するように笑ってみせた名前は、言いたいことを言い切ったと両手を伸ばして伸びをした。時間をとらせてごめんねと、さっさと帰ろうとした名前を引きとめたのは何故だったか、荒北は今でもわからない。ただ単純に、もっと話してみたかったのだとしか言いようがなかった。
 しかし残念なことに、荒北は女子を呼び止めることに慣れていなかった。洒落た言い回しが出来るわけでもない。とっさに荒北の口から飛び出てきたのは、自転車以外でいま一番盛り上がっていること、すなわち今週のジャンプのことであった。

「こっ、今週のジャンプ読んだか!?」
「え? ああ、読んだけど」
「あれやべぇよな! ワソピ―ス!」

 沈黙がふたりのあいだを吹き抜ける。これはないだろうと自分にあきれ果て落ち込む荒北に、明るい声がふってきた。

「今週はやばかったね! 熱い展開だった!」
「だっ、だよな!? すげー熱かったし、正直この組み合わせでくるとは思ってねえし!」
「そうそう、まさかそうくるとはって感じ! わたしの予想では……あ、ごめん。巻島はあんまり読んでなくて田所は細かい話できないし、金城なんて冷静に今後の予想言ってくるから……しかも当たってるし。なかなかこういうふうに話す相手いなくて」

 照れて笑う名前のうしろで、きれいな夕日が沈んでいく。それが綺麗で思わず見とれる荒北の沈黙を違う意味で受け取った名前は、はしゃぎすぎたとしょんぼり荒北を見る。

「あ……いや、そうだよな。福ちゃんは漫画あんまり読まねェし新開はうるせェし東堂はうるせェし、あんま話す相手いねえよな」
「うるさいばっかじゃない」

 手で口元を押さえて笑う名前の女らしい姿を見て、荒北は立ち上がった。肩にかけたままだった輪行袋のせいでふらついたが、カッコ悪さなど顔に出さずに口を開く。

「このあと何か予定あんのか?」
「特にないよ。偵察終わったら家に直行していいって」
「オレもねェんだわ。腹減ったし、どっかファミレスとかで話さねえ?」

 いつもの荒北にしては大胆で性急なお誘いだった。今日初めて話した名前がそれに気付くはずもなく、笑顔で頷く。
 そうして名前と荒北は、ファミレスで熱くジャンプについて語り合ったのだった。

・・・

 それから名前と荒北は頻繁に連絡をとるようになった。毎週のジャンプ、サンデー、マガジンの感想を送り合い、それだけでは足らないと電話をしはじめた。いくらも経たないうちにたわいのないメールをやりとりする仲になり、一日中メールをするようになった。
 これは荒北にとっても名前にとっても、非常に珍しいことだった。ふたりとも意味のないメールや電話はしないし、絵文字などもめったに使わない。それがよくもこれだけ話すことがあったと、次から次へと話題があふれてくるのだ。
 友人との話を荒北へメールするようになり、気が向いたときには電話をかける。名前と荒北がお互いのことを学校で話すおかげで、金城や田所は話したこともない荒北の日常を知っていたし、新開も会ったことのない名前の趣味を知っていた。

 箱根と千葉、それなりに離れたふたりが二度目に会ったのは、その年の冬のことだった。ダッフルコートを着込みマフラーを巻いた名前が箱根学園へとやってきたのだ。自分でも箱学に来たことに驚いていた名前を荒北が見つけたのは、箱学へ到着してから一時間後のことだった。
 練習が終わり、福富や新開、東堂といったいつものメンバーで正門をくぐりぬけると、影に隠れるようにして立っている女子が目に入った。

「……名字!?」
「荒北。やっほ」
「やっほじゃねえよ! 何でここにいんだ!?」
「ほら、部活が休みで、おばあちゃん家に行くって言ったでしょ? おばあちゃん家も神奈川だから」

 そこで言葉を区切った名前は、適切な言葉が落ちていないか地面を探すように見たあと、困ったように笑った。

「……何で来たんだろうね?」

 それがどうしようもなく恋する女の子の顔だったため、荒北は言葉に詰まって久しぶりに見る名前の顔を目に焼き付けることしか出来なかった。
 荒北だって馬鹿ではない。一日中メールするなんて、名前と出会う以前の自分では考えられないことを、気が合うからだと片付けることはしない。

「や……来てくれて嬉しいけどヨ」
「よかった。箱学に行けるかなって調べてみたら案外近くて、気づいたらここまで来ちゃってたから。ここで追い払われたら悲しいし」
「おう」

 そのまま会話が続かないふたりに声をかけたのは福富だった。かばんの中からノートを出してちぎり、シャーペンで何やら書いて渡す。

「ここは兄や父が利用していた喫茶店だ。オレも行ったことがあるが、落ち着いていて静かだ。立ち話も寒いだろうし、ここに行けばいい」
「そうだな、女子が体を冷やしてはいかんな! 名字さん、ゆっくりしていってくれ!」
「大丈夫だ靖友、いざとなったらオレと寿一がごまかしておいてやる!」
「何をだよ!」

 噛み付いた荒北にいつもの迫力はない。素直に紙を受け取り、礼を言って名前とともに歩いていく。それを見た三人は満足そうに頷いた。

「うむ、恋だな」
「あれは恋だろうな」
「恋だ」

 福富の断定がふたりに聞こえなかったことは、おそらく幸いである。
 喫茶店に着きコーヒーを飲むあいだぽつぽつ話をしたふたりは、電話であれだけしゃべっていたのが嘘のように黙り込んでいた。会って話すのが苦手なわけではない。相手から好意を感じ、自分の恋が相手に漏れているとわかったからだ。この友人以上恋人未満の関係には慣れていない。
 どう切り出していいものか悩むふたりのあいだで、コップにわずかに溜まったコーヒーが静かな音楽に合わせて揺れているような気がした。

「……わたしたちには、インターハイがある」
「……おう」
「優勝するのは総北。これだけは譲れない」
「馬鹿言え、箱学だ」
「だから、インターハイが終わったら。終わったら……また、来るから」
「来なくていい。――今度は、オレが行く」
「……うん」

 今度の沈黙は心地よいものだった。インターハイが終わったら。その約束は心地よくて舞い上がってしまう、お互いの気持ちが伝わる言葉だった。
 この結論に口を挟む者はいない。ふたりの問題だし、何よりインターハイが終われば何事もなく付き合うと思っていたからだ。

 だから総北が優勝し、常勝の箱根学園が敗れたあと、ふたりがぱったり連絡を取らなくなったとまわりが知ったのは一週間ほど経ってからだった。
 どうしてだと慌てる後輩たちと違って3年の顔はいささか険しい。最後のインターハイが終わったこの気持ちは、もう引退する3年にしかわからないものだった。
 総北は念願の優勝で、晴れやかに引退することが出来る。だが、常勝していた箱学は優勝を逃し、常勝という責任ゆえに重いものがのしかかっているだろう。青春を捧げた自転車が、最後の最後でにがく苦しい思い出になるのは、去年の金城の落車でぼろぼろの成績を背負って引退した3年を見ていた総北もわかるような気がした。

 荒北からの連絡を待つという名前の気持ちは、もちろん尊重するつもりだ。だが、万が一このまま約束がなかったことになってしまったら。
 危惧する未来になりかねないと、裏で巻島は東堂に連絡をし、田所は新開に連絡をした。そのおかげか、一ヶ月たち心の整理がすこしばかりついたころ、荒北は名前に電話をした。遅くなってしまったことを謝り、部活を引退して増えた休みが総北とかぶっている日を見つけ、デートに誘った。
 「今度はオレが千葉に行く」という約束を守り、ふたりで夢のネズミーランドへ行くことになったと報告した名前に、3年間苦楽を共にした3年は喜んだ。手回しをした甲斐があったというものだ。

 それから「遊園地なんだからジーンズとTシャツでいいんじゃない?」という名前と、コーディネートを考えるという巻島を説得し、デニムのスカートとTシャツとサンダルというシンプルだが名前に似合った服を着せた金城と田所は満足して息を吐いた。
 ここまで長かった。ふたりが出会って一年、一ヶ月後にはもう付き合うんじゃないかと思っていたが予想を裏切り、部活のためにここまで我慢した。「このサンダル、スパンコールつけたほうが可愛いッショ」という巻島の口をふさぎ、田所はよく似合うと太鼓判を押した。金城も同意する。
 そして冒頭に戻るのである。

 待ちに待ったデートの日、名前と荒北は遊園地で待ち合わせ、ぎこちなく挨拶をした。

「あー……それ、似合ってるじゃん」

 荒北が慣れないながらも名前の服装を褒めたのは本心でもあり、新開と東堂から口を酸っぱくして「出会ったらまず服装を褒めろ」と言われていたからだった。
 荒北は細身のジーンズにTシャツという出で立ちだったが、自転車で適度に筋肉のついた身体を引き立たせ、荒北によく似合っていた。

「荒北も似合ってるよ。そういえば荒北の私服見るの初めてだね」
「そういやそうだな」

 名前の私服は冬に箱学まで来た日に見たが、あれも似合っていたと、遠く寒い日に思いを馳せる。あのときほど人を愛しいと思ったことはなかった。

「いこっか。何から乗る?」
「まずは絶叫系だろ」
「賛成!」

 意気揚々とジェットコースターに並ぶふたりの会話はいつもどおりで、久しぶりに喋ったとは思えないほど盛り上がった。メールもしなかった一ヶ月ほどのあいだに積もったささいな話を交互に話す。それらは淡雪のように心に降り積もり、じんわりとふたりの仲を溶かした。
 これが出来るのはお互いだけなのだと、ふたりは運命にも似たなにかを感じ取っていた。

・・・

「っぎゃー!」

 容赦なく腕に食い込む手に、荒北は「イテテテテ! 痛ぇって!」と声を荒げたが、名前はまったく気にしていなかった。降下と上昇を繰り返す乗り物の予想外の動きに驚き、横にいる荒北の腕を必死に掴む。

「痛ぇ! 力緩めろ!」
「無理! 我慢して!」
「我慢しろって、うおっ!?」

 突然の急降下に驚いた荒北だったが、動きが緩やかになったのを察知して、まだ震えている名前の肩に手をおいた。

「おい、もう終わるぞ」
「ほ、ほんと……?」

 想像以上に近い顔に、荒北は短い返事をするので精一杯だった。
 必死に腕にしがみついてくるやわらかい身体。いまの動きで乱れたとはいえ、綺麗に櫛が通されイイニオイがする髪が首筋をくすぐる。これで腕につきたてられた爪さえなければ完璧なのだが、この痛みで理性が引き戻されているのだから良しとしよう。
 震える脚で降り立った名前は、こわかっただの楽しかっただのと感想を言い合う集団にまぎれ外に出てから、ようやく荒北の腕を離した。

「ごめん、痛かったでしょ。かっこ悪いとこ見せるつもりじゃなかったのに……」
「……いまのはかっこ悪いじゃなくて、可愛いだろ」
「え? いやいや可愛いとかないでしょ」
「可愛いだろ」
「え」
「……可愛いから」

 精一杯の勇気を振り絞った言葉は、名前の顔を数秒かけて赤く染め上げた。こういうことに慣れておらずうろたえる名前は冗談だと言ってほしいと何度か見上げたが、荒北は顔を赤くさせたまま否定する気はないと口を引き結んでいて、一分ほどかかって言われた言葉をなんとか飲み込むしかなかった。

「あ、ありがと。可愛いとか言われたの初めてだからびっくりしちゃって」
「ソオ」

 ここで少女漫画のように「お前を可愛いと思うのはオレだけでいいんだよ」とでも言えればいいのだろうが、あいにく荒北はそこまで恋愛慣れしておらず、そう言うような性格ではなかった。
 それでも名前には十分すぎる言葉だった。荒北の腕を離さなければよかったという思いを振り切り、一歩踏み出す。

「次は怖くないのに乗ろ。その前にどこかで休憩でもする?」
「そうすっかァ」

 荒北と一緒にいると楽しい。胸が踊る。締め付けられる。効果音をつけるのなら「キュン」という音に違いない。

「大学生になったら、もうちょっと頻繁に会えるといいね。バイトしてお金ためて自転車部のマネージャーして」
「そうだな。バイトして自転車乗って部品買って……あんま遠くにいると会えねえカモ」
「交通費半分出し合えばいいんだよ。そうすれば半額で会えるよ!」
「半額って……ま、そうだな」
「わたし、関東の大学に行くつもり。荒北は?」
「たぶんオレもだな。片っ端から受けりゃ何とかなるだろ」
「自転車バカってほんとバカだから、あとのこと考えないんだよね。主に受験とか」
「……うるせェ」
「スプリンターとか特に」
「そこは否定しない」
「でしょ」

 総北のスプリンターを思い浮かべて、名前は優しく微笑んだ。田所も鳴子も青八木も、単純で熱血でそれでいてどこか可愛らしい。
 その顔を見た荒北は席を立って、飲み終わったカップを捨てに行った。名前のぶんも捨てた荒北は、戻ってきて「行くか」とだけ声をかける。素直に立ち上がった名前は、小走りで荒北の横に並んでさっきよりすこしだけ近い位置におさまった。腕がふれる。

「今度から、オールラウンダーの荒北くんもおバカだって覚えとかなきゃね」
「悪かったなバカで」
「いいの、わたしも自転車バカだから」

 歩く速度が同じになる。手が触れた。手の甲に感じる熱が照りつける太陽よりも暑くて、となりにある手を握ろうと指を動かしては尻込みする。
 そんな荒北を知ってか知らずか、名前の指が荒北の手の甲をくすぐった。驚く荒北にいたずらっぽく笑ってみせた名前がもう一度動かそうとした指は、荒北に握られた。
 荒北は内心で「やべえ! これ指だ! 握るとこ間違えた!」などと思っていることは顔には出さず、出来るだけスマートに手を握りなおした。見上げてくる顔はさきほどより近い。

「……はぐれたらいけねェだろ」
「そうだね。人多いもんね」
「多いな」
「多いね」
「すげー多いな」
「うん。だからわたしたちが手をつないでるのなんて目立たないよ」

 自分の心を見透かされたような言葉に、荒北は言葉に詰まってからやや強引に歩きはじめた。
 すこしばかり嫉妬していたこと、そんな嫉妬なんてしなくてもいいんだということを名前からやんわりと教えられ、どっちがエスコートしてるんだと恥ずかしくてたまらない。それでも気付れないように名前を見れば頬を染めて緊張しているものだから、こんなことで頭をいっぱいにしているのはもったいないことだとすぐに考え直すのだった。

・・・

 荒北と名前の初デートは大成功だった。
 待ち時間が長い遊園地で会話を途切れさせることなく、もっと待ち時間があればいいと思うほど楽しい時間をすごし、手をつなぎ、お互いの気持ちが変わっていないことを確認しあった。翌日、浮かれる名前と荒北を見た友人たちはデートがうまくいったのだとわかり、安堵のため息をついた。

「その様子だとうまくいったようじゃねえか。よかったな名字」
「ありがとう、田所と金城が選んだ服を着たら似合ってるって言われたよ。巻島のアドバイスもちゃんと実践したよ、ありがとう!」
「そいつはよかったっショ。クハッ、名字が上機嫌だとすぐにわかるな」
「これで一安心だな。名字がこの中で一番に恋人ができるとは嬉しいことだな」
「えっ」

 驚く名前の顔を3人が凝視しているのと同時刻、箱学でも同じ会話がなされていた。

「その顔だとデートは大成功のようだな! きちんと名字さんの服装は褒めたか? この山神のトークをすこしでも分け与えることが出来ればよかったのだが、いかんせんこれはオレにしか」
「よかったな靖友! ようやくだな」
「非常にめでたいことだ。新開と東堂、どちらの意見を採用して名字に交際を申し込んだんだ?」
「……あっ」
「あっ?」
「む、巻ちゃんから電話だ! 珍しいな、もしもし巻ちゃ……なぜ怒っているんだ? は? 交際? キズモノ?」

 東堂の顔が険しくなり、荒北に向けられる視線に刺が含まれる。東堂から黙って差し出された携帯を受け取り、耳に当てた荒北の鼓膜を揺らしたのは、落車させられたときも福富を庇った聖人・金城の怒りを抑えた声だった。

「荒北、すこしいいか。名前にあんなことをしておきながら付き合っていないとはどういうことだ? 弄ぶつもりか? 田所のラリアットをくらいたいのか? そうだったのか、それは知らなかった。いますぐ行くから待っていろ」
「違ェよ! 昨日はその、舞い上がったっつーかお互い好きなのわかって満足しちまって告るの忘れてたっつーか! いいから名字に代われ!」
「丸め込むつもりか? そうはいかない」
「いいから代われー!」

 その日の荒北の絶叫はのちのち会うたびに話題にあがることとなり、その後金城と同じ大学になった荒北は、年に一度ほどこの日のことを笑い話にされるのだがいまは知るよしもない。
 いまはただ、金城の茶目っ気により電話がスピーカーになっていることを知らず、名前のことをちゃんと好きだと説明している荒北の声を聞いて赤くなっている名前の今後の幸せを祈るばかりである。


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