名前は焦らすのが上手だと、東堂は思った。踏み込んだと思えばまだ入口で底は見えず、こちらの質問をするりするりと躱す。こっちばかりがさらけ出し深みにはまっているようなのに、それが嫌ではなく心地いいのが問題だ。気付けば首元まで埋まって抜け出せなくなっているのに、それでもいいと思ってしまいそうだ。
 東堂は目覚めたときから悶々としてすごし、誰よりも早くベッドに入った。やっと名前のことを知ることが出来る。緊張して寝付けなかった東堂がようやく寝たのは、結局いつもと同じ時間だった。

 夢のなかでは、名前がすでに待っていた。紅茶にケーキ、白いテーブルに向かいあった椅子。白いブラウスに落ち着いたロイヤルブルーのスカートをはいた名前は、スカートの裾をふわりと揺らしながら東堂を歓迎した。ふたりでいつものように、今日あったことを笑顔で話す。東堂が一方的に話しているときのほうが多かったが。
 話が一段落ついたとき、東堂が真面目な顔をして名前を促した。名前が静かに頷く。



「今まで何も聞かないでいてくれて、ありがとう。何から話したらいいのか……」
「ゆっくりでいい。時間はたくさんあるからな」
「うん。ええと……私、いま病院にいるの」
「病院? まさか病気か!?」



 とたんに慌てはじめる東堂に、名前は曖昧に首を振った。



「事故に遭って、意識不明というやつなの。でも体や脳にはなんの異常もなくて……ああやっぱり、最初から話さなきゃ」



 どこから話そうか考えたあと、名前はためらいがちに口を開いた。自分にとっても誰にとっても、明確な始まりなどなかったからだ。



「私のお父さんとお母さんは、仲が良かったの。だけどお父さんの仕事が忙しくなって、お母さんと喧嘩することが多くなって……私はそれが嫌で、喧嘩がはじまるといつも自分の部屋にこもっていた。お父さんとお母さんは、喧嘩していることに私が気づいてるって、知らなかったみたい」



 ゆっくりと名前の口から、物語が紡がれる。東堂は、黙って聞いていた。



「ある日我慢できなくなって、外に飛び出しちゃったの。ライトアップはされてるけど、庭って暗いでしょう。走っていたら、前から来た車にぶつかって……気づいたら病院にいた。自分の体を見下ろしている自分がいて、これが幽体離脱かしらと思いながら、反射的に自分の体に戻ろうとしたの」



 目を閉じた名前に思い出されるのは、そのときの光景。こんなことが本当にあるのね、と空中に浮きながら少しばかり感心したのは、名前の性格がのんびりしたものだったからだろう。



「だけど、そのときにお母さんとお父さんが見えたの。お母さんの体をお父さんが支えていて、お互い自分を責めて……そして、励ましあっていた。仲が良く見えた。まるで、昔みたいに」
「……そうか」
「そのとき急に、戻るのが怖くなってしまったのよ。私が目覚めて、また喧嘩するようになったらって。今のままだったら、仲がいい頃に戻れるかもしれないって。そうして、ずるずる……お母さんとお父さんが、どれだけ苦しんでいるか……知っているのに」



 名前の目にみるみる涙がたまっていき、すぐにあふれだす。東堂は立ち上がり、名前の横で片膝を折ってその手をとった。見上げる少女は、自分を責めていた。



「私、知っていたの。いつもそう。自分がよければそれでいいって、最低なの。尽八、私を責めてちょうだい。私、あなたに気遣ってもらう権利なんかないのよ」



 耐え切れないというように泣き出した名前の涙をすくって、東堂はやわらかく笑んだ。ぽろぽろと落ちてくる涙を指に乗せながら、名前を見上げる。



「名前がいない間、オレは夢のなかで気が狂いそうだった。どこまでいっても同じ景色で、呼びかけても答えてくれる人はいない。目覚めても、またこの世界に逆戻りだ。そんな世界でひとり、名前はずっと自分を責めていたんだろう?」
「だって……私のせいなの」
「逃げることを選択する人もいる。逃げていることに気づかない人もいる。名前は、きちんと自分と向き合っているよ」
「向き合ってなんかないわ! 逃げているの……この世界に、尽八に」
「そんなことはない。人は誰しも、弱いところと強いところがある。名前はいま、勇気を持った自分より、弱気な自分のほうが表に出てしまっているだけだ」



 ぱちぱちと瞬きした目から、涙がこぼれ落ちる。けれどそれ以上は落ちてこず、目は潤んだまま涙を作り出すのをやめていた。



「名前は強さをもう持っている。隠れてしまっているだけで、きちんと存在しているよ」
「でも、でも……もし持っていたとしても、きっとちっぽけな勇気だわ」
「ちっぽけでいいではないか、これから育てていけばいい。大丈夫だ、オレがいる。誰に何を言われようと、オレだけは名前の味方だ。絶対に、なにがあっても」
「尽八……」
「オレがいる。たいしたことは出来んかもしれないが、励ますくらいならいつでもするぞ。涙をぬぐうのも」



 濡れた頬をなで、東堂は笑った。また泣き出しそうな名前の目尻をなで、濡れたせいで冷たい頬に熱を分け与える。



「名前のいる病院を教えてくれ。名前に、会いにいくよ」
「……遠いわ」
「構わんよ。やっと夢のなか以外で名前に会えるんだ。こんなに嬉しいことはない」



 名前はすこし迷ったあと、わずかに震えるくちびるを動かして病院の場所と名前、病室の番号を告げた。何度も復唱して覚える東堂をじっと見つめて、そっとすがるように頬を寄せる。



「待ってるわ……待ってる。尽八、ありがとう」



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