ふっと目を開けた東堂は、あたりを見回した。真っ白な世界に浮かんでいて、地面はないのに歩ける。しばらく歩いて、周囲が見渡す限りの白であることを確認した東堂は、これを夢だと結論づけた。夜、ベッドに入った記憶がある。
 さてこれからどうしようと考えていると、景色が一変した。白一色の世界から鮮やかな色とりどりの世界へ、蛹が蝶になったような艶やかさ。
 目を丸くした東堂は、さきほどまで誰もいなかった世界に、華奢な少女が座っているのを見た。空色のワンピースにたっぷりついたフリル、襟元につけられた白いレース。青いワンピースというところしか似ているところはなかったのに、この世界の不思議さやカラフルさと相まって、どこか不思議の国を探索するアリスが思い浮かんだ。

 数秒迷ったすえ、東堂が声をかける。着ているのは寝間着のジャージではあるが、芝居がかったお辞儀を添えて。



「はじめまして。隣に座っても?」



 細かな模様の入ったアンティークの白いテーブルとお揃いの椅子に座った少女は、驚いて東堂を見つめた。大きな目をさらに大きくして、ぱちぱちと瞬きをする。



「ここは私の夢なのに……あなたはどこから入ってきたの?」
「気づいたらここにいたんだ。勝手に入り込んですまない」
「いいの、退屈していたところだから。座って、何が好き?」



 少女の向かいの椅子に座った東堂は、勧められるまま紅茶とお菓子をほおばった。少女の目がきらきらと輝いて自分の一挙一動を見ているものだから、すこしばかり居心地が悪い。



「そうだ、キミの名前はなんだね? 夢のなかとはいえせっかく会えたんだ、自己紹介をしようではないか」
「それはいい考えね! 私は名字名前。あなたは?」
「東堂尽八だ」
「じんぱち」



 明らかにひらがなで発音された自分の名前を漢字で説明しようと、東堂がうなる。目の前の少女──名前は小柄でいかにも発達途中ですという体つきで、どう説明したら伝わるかよくわからなかったのだ。おそらく中学生、もしくはよく発達した小学生か。東堂はその頃の自分を思い浮かべるが、何がわかって何がわからなかったなど細かいことは思い出せなかった。
 名前も東堂と同じように考え込んだあと、ぽんと手を叩く。



「黒板を出せばいいんだわ!」



 直後、名前の背後に現れた黒板に、東堂はぽかんと存在感たっぷりなそれを見つめた。だが、すぐにこれは夢だと思い出す。夢であれば突拍子もないことが起こるのが普通であり、場面がころころと切り替わるものだ。
 チョークを握り、黒板に大きく自分の名前を書く。名前が東堂の名前を、しっかり漢字を確認してつぶやいた。



「私の名前はね、こう書くの」



 東堂の名前より低い位置に、小さめの文字で名字名前と書かれた白い線を見て、東堂が笑う。



「うむ、よい名前だ! これからは名前と呼ばせてもらおう」
「私は尽八と呼ぶわ」



 嬉しそうに名前が笑って、東堂もつられて微笑む。子供が無邪気に喜んでいるような笑顔には、つい笑いかけてしまいたくなるものだ。
 名前はスキップするように飛び跳ねながら、次々に新しいものを出していった。ふわふわのクッション、空中に浮かぶケーキ、可愛らしい透かし模様が入っているランプ。



「先ほども黒板を出していたが……夢ならばオレにも出せるだろうか」
「もう出してるじゃない。ほら、カチューシャ」



 ハッとして頭に手をやる。そこにはカチューシャがあって、いつからつけていたのかわからないほど馴染んでいた。ここに来た時にはカチューシャをつけていなかったことを思い出して、東堂は両手を前に突き出した。こうしたほうが出やすい気がしたのである。



「いでよ! カチューシャ!」



 もう一つカチューシャを出してどうするんだというツッコミをする人物は、ここにはいない。
 なにも起こらない両手を見つめて、東堂が不満そうに唇をとがらせる。名前は軽やかにもどってきて、東堂の前に着地した。



「コツがあるの。私も、最初は出すのにすごく時間がかかったもの。馴染んでいる小さなものからやるといいのよ」
「ふむ」
「目を閉じて、それを思い浮かべて。さわったときの感触、におい、頬ずりしたら冷たい? 裏側はどうなってるのかしら。……じゅうぶん想像できたら、そっと目を開けて。そこにはもう、あるはずよ」



 言われたとおりそっと目を開けると、手にはカチューシャが握られていた。驚く東堂の横で、名前がぴょんぴょんと跳ねる。



「一度で出来るなんてすごいわ! 才能があるのね!」
「ふっ……ワッハッハ、そうだろう! 登れるうえにトークも切れる、くわえてこの美形!」



 びしっとポーズを決めた数秒後、ぽかんと見つめてくる視線に気付き、東堂は名前の目を見つめ返した。よく考えれば出会ったばかりなのだから、自分がロードバイクに乗ることも登りが得意なことも知らないし、女子を惹きつける華麗なトークも披露しきっていない。美形なのは見てわかるだろうが。
 自分が有名なことを知っている東堂は、名前の反応が新鮮に思えた。新しく出したカチューシャをうやうやしく名前に差し出し、ウインクをする。ジャージなのが惜しいところだが、まあジャージでもオレの輝きは変わらないだろう。



「よければ名前もカチューシャをしてみないかね? きっと似合う」
「いいの?」
「無論だ」



 名前の細くやわらかな髪に、そっとカチューシャを添える。名前が鏡を出して嬉しそうに笑うのを見て、東堂は似合っていると褒め称えた。



「私、もっと尽八のこと知りたいわ。まだ出せるものは少ないけど、私の好きなケーキとお茶だけはいくらでも出せるのよ」
「では、ティータイムとしようか」



 歩いて椅子に座ろうとした東堂は、ふと思いついてジャンプをしてみた。加減がわからずに勢いよく上がってしまった東堂を見た名前は驚いたが、すぐに笑い転げる。賑やかなティータイムの始まりだった。



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