その日の夜、恒例となったお茶会で、名前はそわそわと落ち着きがなかった。東堂にお見舞いに来てくれた礼を述べたあと、引き結んでいたくちびるを開く。



「尽八、私……体に戻ってみる。やったことがないからすんなり戻れるかわからないけど、やってみるわ」
「そうか」
「ずっと、ふわふわと空中に浮かんで誰にも気付いてもらえなくて……このままでいるのも体に戻るのも怖かった。ただうずくまって何もしない弱い私を、尽八が見つけてくれた。私の話を信じて、病院まで会いにきてくれた。強い心をもっていると言ってくれた」



 名前のまっすぐな視線を受け止め、東堂は笑った。
 名前はまっすぐで清らかで、あどけない少女のようでありながらも、ふとした瞬間に女を垣間見せる。ひとりで抱え込んで落ち込んでしまったり思い込みが激しいところもあるが、東堂にとってはあばたもえくぼだ。



「お見舞いに来てくれたときに目覚めようとしなかったのは、夢でもう一度尽八に会いたかったから。会って、お礼を言って……」
「どうした?」



 名前の顔がくもったのを見て、東堂が覗き込む。今になって怖気づいたのかと思ったが、そうではないようだ。



「尽八に甘えないように姿を消したはずなのに、知らないうちにまた甘えてしまって、ごめんなさい。これからも、甘えると思う。尽八は──私の味方でいてくれるの?」
「無論だ、そう言ったではないか。いつでも甘えてくれ」



 手を伸ばしてしばしためらってから、東堂は名前にふれた。名前なら嫌がらない、とは思う。けれど「好き」と「嫌いではない」では大きな差があり、拒まないと受け入れるも、また違うものだ。
 迷った東堂が、ゆっくりと名前を抱きしめる。背中に回した腕が服に触れないほどの距離で、緊張でわずかに震えながら。



「次に会うときは、昼間だな」
「……うん」
「オレは信じている。名前はきっと戻れると」
「ありがとう、尽八」
「その時は、また部活を見に来てくれ。待っている……待っているよ」
「待っていて、尽八」



 名前の手が東堂の背に回される。東堂と違いしっかりと抱きしめた腕に、細い背中に回された腕に力がこもった。



・・・



 次の日の二時間目の最中、東堂は急いで教室を飛び出した。学校に電話がかかってきて、名前が目覚めたという知らせがあったのだ。何かあったときのために名前の母に教えていた連絡先が、さっそく使われたらしい。
 乱れた制服のまま走る東堂の頭には、名前のことしかなかった。



「名前!」



 いつもならノックをして名乗り、返事があるまで外で待つ東堂だったが、今日ばかりはそんな悠長なことをしていられなかった。名乗ってから病室のドアをやや乱暴に開け、息を乱してベッドを見る。そこには名前の両親と、ベッドに横たわっている名前がいた。
 母親が父親に東堂のことを説明し、病室に招き入れる。まだ整わない息でベッドに近づいた東堂は、名前の目が開いているのを見た。青白かった頬には赤みがさし、くちびるも色づいている。



「名前……」



 東堂はふらふらと名前の顔を覗き込んだ。開け放たれた窓からあたたかい風が吹き、名前の髪をわずかにくすぐる。



「じ、はち」



 長く動かしていなかった喉は言葉を発するのに手間取ったが、声はでた。自分の名前を呼ばれていると気付いた東堂は、何度も頷いた。
 その呼びかけに答えようとも思ったが、名前がまだ何か言いたそうだったので口を閉じる。名前の声を聞き漏らしたくはなかった。



「じん、ぱち。ありが、と」
「名前……」



 こらえきれなくなった東堂は名前の名前を呼び、にじむ視界を拭おうともせず瞬きをした。自分の両手を、名前の手を握ること以外で使いたくなかった。
 細く、しかし以前よりもあたたかい名前の手を握る。名前は微笑もうとしたがうまくいかず、諦めて声を出すことに専念した。



「だいすき」



 涙があふれて止まらなかった。名前が目覚めた嬉しさか、ようやく夢以外で対面できた喜びかわからないまま、様々な感情がごちゃまぜになって東堂は泣いた。
 疲れたらしい名前が、口を閉じて体を休ませる。指ひとつ動かすのすら時間をかけながら、東堂の手を弱々しく握り返した。言葉はなかったが、視線で言いたいことがわかって東堂は頷いた。



「もちろん、オレも名前が大好きだ。当たり前だろう。オレはずっと、名前を……」



 それ以上は言葉にならなかった。名前は嗚咽して涙を流す東堂に声をかけようとしたが疲れて口がうまく動かず、指にそっと力をこめて気持ちを伝えた。東堂が握り返す。
 東堂を見る名前の目は優しく、慈愛に満ちていた。



return


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -