蜜標
 吐く息は白い。マフラーに顔をうずめてもまだ寒くて、はやく教室につくために自然と早足になる。
 もうすぐバレンタインで世間はハートやチョコで溢れていた。だけど高校三年生の私たちにはあまり関係なくて、必死に勉強してセンター試験や一般入試を終え、ようやく一息つけたというところだ。あとは結果を待つのみで、もし全部落ちていたらと思うと震えるけど、誰でも入れるというところを念のため受けているので大丈夫だと思う……たぶん。

 なんだかとても久しぶりに学校へ行く気がして、寒いけどすこしだけ心が弾む。隼人はウサ吉に会うため、寿一は部活の室内練習場に行くために学校へ行くと言っていた。私は特に用事はないんだけど、合格発表までの気晴らしとあわよくば泉田くんに会えたらなあ、という淡い期待で一緒に歩いている。



「あっ、福チャン」



 部室へ行く道すがら荒北と会い、四人で並んで歩く。荒北は寒いと悪態をつきながらポケットに手を突っ込んで歩いて、寿一に危ないと言われていた。四人でいるのも久しぶりな気がして、自然と笑ってしまう。私だけ寮じゃないから、どうしても淋しくなるときがあるのだ。

 部室前まで来ると、ちょうど部活の休憩中だったのか、泉田くんが出てきた。いきなりの登場に挙動不審になってしまう。泉田くんはみんなに挨拶をしたあと、私にもお辞儀をしてくれた。慌てて私もお辞儀をする。



「なんだ、おめさん達まだ初々しいな」
「えっそう? 初々しいなんて単語、私に似合わないよ」
「そういう問題なのか?」



 寿一にそう聞かれたけど、そういう問題じゃなかったらどういう問題なんだろう。
 寿一と顔を見合わせて数秒、隼人がマフラーを少しだけ下げてウインクをした。ちなみに隼人はとても綺麗なウインクが出来る。寿一は両目をつむるか目つきが悪くなるというのに。



「名前、今年は泉田にバレンタイン渡すんだろ?」
「えっ泉田くん、チョコ欲しいの?」
「えっ」



 泉田くんが驚いた顔をして私を見るので、私まで驚いてしまった。泉田くんが甘いものを食べているのを見たことがないから、てっきり嫌いなんだと思っていたのに。



「もちろん、ほしいですよ」
「そうなの!?」
「よければ頂けますか?」
「あっ、うん」



 まさか泉田くんがチョコを欲するなんて思わなくて、驚いた顔のまま頷いてしまった。横で荒北が呆れた顔をしているのは無視だ。



「名前のお母さん、毎年チョコ作れって言うんだろ? 泉田にあげられるし、一石二鳥だな」
「なに言ってるの隼人、作らないよ」
「えっ」
「私がいくら頑張って作っても、チョコ専門店が一年の社運をかけて作ったチョコに敵うはずないじゃない。材料と作る人が違うんだもん。せっかくだから、泉田くんにはおいしいの食べてもらいたいし」



 そんなに高いのは買えないけど、少ししか入ってないのに千円くらいするやつとかは買えるだろう。
 しかし私の言葉に頷いてくれる人はおらず、返ってきたのは沈黙だけだった。隼人が無言で空を仰いでいるということは、よっぽどのことを言ってしまったのかもしれない。場の空気に耐えかねたのか、まさかの荒北が取り繕うように口を開く。



「あー、でもサ、作れるんだろ? 作ればいいんじゃねーの?」
「作れるけど、おいしいかは……あ、荒北、去年のチョコおいしかった?」
「は?」
「荒北にあげたの、作ったやつなんだけど」
「ハァ!?」



 なんという反応だ。荒北はちらっと泉田くんを見たあと、慌てて詰め寄ってきた。ポケットから出された手は、上下に動いている。



「オレだけじゃねえだろ!? 福チャンと新開にもあげたんだろ!?」
「荒北にだけだよ。お母さんは寿一がお気に入りだから、寿一にあげなさいって作らされたの。でも寿一も隼人もたくさんもらってたから、一つももらってない荒北にあげようと思って」
「そりゃあんがとヨ!」



 感謝なんて微塵もしていない様子で、むしろ逆ギレしながら荒北が叫んだ。渡すときにいちおう言ったと思うんだけど……一年前の記憶だから曖昧だけど。
 いままで黙っていた寿一がひとつ咳払いをし、私を泉田くんのほうへ押し出した。泉田くんは笑顔だ。



「……泉田。名字はこのとおりだが、付き合っているのは泉田だし、好いているのも泉田だけだ。見捨てないでやってくれ」
「もちろんです」



 にっこり笑う泉田くんは頷いて、一歩近付いてきた。近さに照れて下を向いてしまったけど、泉田くんは構わずもう一歩踏み出す。



「名前さん」
「は、はい」
「ボクのためにチョコを作ってくれますか? 売っているチョコもおいしいでしょうけど、名前さんの作るチョコが一番おいしいと思います。恋人が、ボクのために、時間をかけて考えながら一生懸命作ってくれるんですから」
「でも、おいしくないかもしれないしお菓子作ったことあんまりないし、その……まずいかもしれないし」
「大丈夫です。きっとおいしいですよ」



 泉田くんは笑顔のままで、私は真っ赤だ。おろおろと寿一や隼人に助けを求めたけど助けてくれなかったので、意を決して頷く。きちんと練習すればそれなりのものが出来る、はず。



「それと、そろそろボクを名前で呼んでくれてもいいんじゃないですか? ほら」
「えっ!?」
「塔一郎です、言ってみてください」



 笑顔の泉田くんがなんだか怖くて、すこし体を引いたけどあんまり意味はなかった。よくわからないけど、隼人が空を仰いで寿一が私のフォローをして荒北が場の空気を読んだくらいだから、何かしてしまったんだろう。



「と、塔一郎くん」
「はい。チョコ、楽しみにしてますね」
「……頑張ります」



 その後泉田くんの笑顔によるゴリ押しで、私は部活見学をしていくことになった。後ろで荒北がぼそっと「……泉田って怒らせると結構怖えーんだな」と言っていたのに隼人が頷いていたので私も話に加わりたかったけど、泉田くんによって引き離されてしまった。寿一が後ろで見送ってくれたのは嬉しいけど、誰か詳しく一連の流れを説明してくれないかな。



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