蜜標
 泉田くんとのなんともいえない空気になったのは金曜日だったので、土日は家に引きこもって頭を悩ませることになった。泉田くんは私を慰めるためにああ言ってくれたのであって、他意はないはずだ。なので、私がこんな真っ赤になって過剰な反応をするのはおかしい。
 そう結論づけたはずなのに、泉田くんのことを考えると胸が高鳴るし顔は赤くなるしで、恋愛に耐性がない私はずいぶんを苦しめられることになった。泉田くんは私がずっと抱えていた重しのようなものを取り除いてくれたけど、だからといっていきなり好きになるのはおかしいと思う。思わせぶりな言葉だけで好きになるのも、やっぱりおかしい。
 何度もそう自分に言い聞かせたのに、ふっと泉田くんのことを思い出してしまう脳みそはきっとお馬鹿になってしまったのだろう。



・・・



 月曜日の昼食は、予想通り東堂がいた。荒北と黒田くんのあいだに座り、ひとり賑やかにしゃべり続けている。インターハイに出るメンバーばかりのなか私がいるのはおかしい気がしたけど、またしても隼人と寿一にいるように言われたので、たぶん私がいたほうがいいんだろう。東堂の相手をするのとか。
 隼人にはそれとなく泉田くんが気になっているので引き離してほしいとお願いしたけど、今日も泉田くんは私の右に座っていた。一緒に昼食を食べるまで慕ってくれている後輩と私を引き合わせたせいで、めんどくさいいざこざが起きるのは嫌だろうと思ったのに。隼人のばか。



「ああそうだ名字ちゃん、名字ちゃんのクラスでオレの写真がほしいという子はいないかね? このあいだ最高傑作が撮れたのだよ」
「うちのクラスにはいないんじゃない?」
「なにを言う! オレはばっちり覚えているぞ!」
「じゃあ自分で渡せばいいじゃない」
「ファンサービスが偏ると、嫉妬の対象となるだろう?」
「すごいねよく考えてるね」
「だろう! ワッハッハ!」



 たまに、東堂くらい明るく生きてみたいと思う。東堂にも悩みはあるんだろうけども。
 話を聞き流しながらお弁当を食べていると、泉田くんがお箸を置いて体をすこしこっちに向けた。なんでもない行為のはずなのに、心臓が跳ねる。



「名字さん、質問してもいいですか?」
「は、ハイ……なんでしょう」
「福富さんたちから聞いて知ってはいるんですが……恋人はいないんですよね?」
「いないけど、いきなりどうしたの?」
「東堂さんとも友達だと」
「友達っていうか一方的にいろいろ聞かされてるだけだよ」



 泉田くんが真剣な顔をするので、お箸を置いてきちんと答える。そういえば泉田くんに恋人はいるのかな。聞きたいけど、聞くのが怖いような気持ちだ。



「新開さん!」
「ああ、いけ泉田!」
「えっなに?」
「名字さん、ご飯を食べたあとすこし時間はありますか? お話したいことがあるんです」
「わかった」



 頷いたのはいいものの、泉田くんが何を話すのかが気になって仕方ない。隼人はこそこそと泉田くんと話しているので、寿一に聞くことにした。小声で寿一の耳に口をよせる。



「泉田くん、もしかして怒ってるのかな? 寿一、なにか知ってる?」
「心配するようなことは何もない。落ち着いてその時に備えればいい」
「その時ってなによ」



 寿一は答えてくれず、荒北も黒田くんも、一番話してくれそうな東堂までなにも教えてはくれなかった。こっちは泉田くんに「過剰な反応をされるのは迷惑です」と言われるかと不安なのに、みんな薄情だ。

 そのあとお弁当を早めに食べ終わった私と泉田くんは、なぜか応援されながら人気のない場所に移動した。なにを言われるか怖くて、心臓がどくどくとうるさい。



「わざわざお時間をとらせてすみません。──名字さん、好きです。ボクと付き合ってください!」



 ……なんと。聞き間違いじゃないかと何度も尋ねたけど、泉田くんはそのたびに好きだと言った。最後には、恋愛感情として好きだと付け加えられた。



「うっ……嬉しいけど駄目!」
「駄目……ですか……」
「だって私、泉田くんのこと好きになったばっかりだし! こんな中途半端な気持ちで付き合うのって、失礼だと思うから……さすがに」



 尻すぼみになりながらなんとか言った言葉は、泉田くんにしっかり伝わったようだ。落ち込んでいる顔から一転、驚きから信じられないような笑顔に変わる。
 一歩、私より大きな歩幅で近付いてきた体が止まる。見上げないと顔を見ることもできない泉田くんは、お目々ぱっちりで睫毛ふさふさだったけど、立派な男の人だった。



「ボクも、名字さんのことをよく知らないです。新開さんや福富さんには、どうやっても負ける」
「そ、そうかな」
「だけど、これから知っていけばいい。名字さんも、ボクも。だから、ボクのことが好きなら、どうか頷いてください。これからもっと名字さんに好きになってもらえるよう、努力しますから」



 真剣な言葉が、ひとつひとつ心に沁みていく。泉田くんも私も、まだ恋の入口に立ったばっかりなんだ。これからが本番なんだ。
 そう思うと心が軽くなって笑った。泉田くんは、私の不安や心配をなくしてしまう達人のようだ。



「も、もちろん部活がありますから、ふつうの恋人のようにデートしたりだとか、そういうのは頻繁にできないと思いますが」
「うん、いいよ」
「はい?」
「泉田くんを好きになったばかりの私でよければ、付き合ってください」



 大きな目がさらに大きくなって、頬が紅潮していく。私も嬉しいけど恥ずかしくなって、真っ赤になって笑った。



「ありがとうございます、名字さん!」
「こちらこそ、ありがとう」



 まずは何をしよう。隼人と寿一に報告して、大事な後輩を好きになったことを謝って、恋人になったことを噛み締めて。だけどまずは差し伸べられた手を握るところから。
 はじめて握った泉田くんの手は大きくて手のひらがかたくて、ふれるだけで幸せのメーターが振り切れてしまう魔法の手だった。



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