蜜標
 お昼は外で、泉田くんと黒田くんも一緒に食べることが定着しつつあった。いまの時期は外でもそれほど暑くなくて風が気持ちいいから嬉しいんだけど、今日はそれを素直に喜べない。
 理由は先週発覚した、泉田くんのズレてるセンスについて考え込んで寝不足だからだ。なんとしても可憐だなんて名前をつけることは阻止しなきゃいけない。黒田くんが「少なくともインターハイが終わるまで盆栽を買う予定はないらしい」と教えてくれたから楽になったものの、問題が先送りになっただけだ。
 考え込みながら意味もなく動かした指先で、昨日さっちゃんに塗ってもらった薄いピンクのマニキュアが光った。可愛いけど、なんだか爪が呼吸できなくなったみたいに重く感じる。



「名字さん、どうしたんですか? 顔色が優れないようですが」



 泉田くんにそう聞かれても、原因が盆栽につける名前のことだなんて言えるはずがない。笑って寝不足だと言えば、心配そうな顔をされた。



「睡眠は大切です。昼寝しますか?」
「ううん、大丈夫。寝不足っていっても、いつもよりちょっと眠いだけだから」



 教室で隼人と寿一と食べているならともかく、外で泉田くんもいる状況だ。こんな状況で寝れるほど図太くはないぞ。
 まだ心配だと見てくる泉田くんに、眠かったら昼寝すると言ってお弁当を食べ始めることにした。眠いけどお腹が減っているほうがしんどいのが私である。



「じつはボクもすこし寝不足なんです」
「泉田くんも?」
「あの、名字さんのことを、考えていて……」
「えっ盆栽まだ買わないよね? インハイ終わるまで買わないんだよね?」
「? はい……盆栽がどうかしたんですか?」
「いま私のこと考えてたって言ったじゃない」



 まだ盆栽につける名前を考えていないから、いま買われたら可憐だなんて恥ずかしすぎる名前になってしまうかもしれない。ちなみに名前は「春巻き」「オムライス」「チョコ」など好物の名前を候補として挙げてみたけど、隼人に却下された。
 いままで黙っていた荒北が、ベプシを勢いよく飲んで口をぬぐって泉田くんを見た。目つきが悪いから、睨みつけているように見える。



「あれこれ言うのも野暮だから黙ってたけどよォ、泉田、お前本当にこれでいいのか? こんな反応だぞ?」



 荒北の問いに、泉田くんは迷うことはなかった。大きな目をすこし細めて真剣な顔をして、ただ一言「はい」とだけ口にした。まわりがどよめく。



「よく言った泉田。お前になら任せられる」
「新開さん……!」
「困難もたくさんあるだろうが、よろしく頼む。なにかあれば、いつでもオレや新開に言えばいい」
「福富さん!」



 私を挟みつつ私を無視して、泉田くんと隼人と寿一で繰り広げられるミュージカルのような光景を眺めつつお弁当を食べる。よくわからないけど三人の絆が深まったようだ。



「っつーか名字もそんなかで堂々と弁当食うな! お前の話してんだぞ!」
「えっそうなの?」
「おい福ちゃんこいつもう駄目だ! ハッキリ言わねえと伝わんねェぞ!」
「そうだな。泉田、名字には今以上にはっきりとわかりやすく伝えなければならない。頭が悪いわけではないが、抜けているところがある」
「オレと寿一がアドバイスするからな」
「ありがとうございます新開さん、福富さん!」



 私の話をしているのはわかったけど、なんの話をしているのかはわからない。しかもひどい言われようだ。助けを求めて黒田くんを見たけど、うんうんと頷いていた。味方がいない。
 話を終えたらしい泉田くんが私のほうを向き、真面目な顔をした。お箸を置いて、こっちもできるだけ真面目な顔をする。



「名字さん。この際なので、はっきり言わせていただきます」
「はい」
「ボクは名字さんを女の子らしくないとか思ったことは一度もありません。そんなに自分を卑下しないでください」



 そんなことを言われるとは思わなくて、ぽかんとしたまま泉田くんを見る。脳みそが泉田くんの言葉を細かくして飲み込んで理解するまで、泉田くんは辛抱強く待っていてくれた。
 隼人や寿一になにか言われたのかと思ったけど、泉田くんはそうじゃないと首を振った。ボクの気持ちですと、私に伝わるように言う。



「や、でも一人になりたいとか女の子らしくないし……似合わないのわかってて花とか眺めてるし」
「一人になりたいときは誰にだってあります。それだけで女の子らしくないなんて、ありえません。花を眺めるなんて、男ではするほうが少ないと思います」
「でも」
「ボクは花が好きで、名字さんがひとりで花壇にいるのをたまに見かけてました。名字さんは可愛らしい人だと思っていましたし、いまでもそう思っています」



 衝撃的すぎて言葉が耳を素通りしていく。泉田くんが私のコンプレックスのような癖を知っていたこと、それでも女の子だと思っていてくれたこと、いまでもそう思ってくれていること。いろいろなものが詰まって、頭がパンクしそうだ。



「だから、自分をそんなふうに思わないでください。ピンク色の爪も、花が好きなところも、座り方や喋り方ひとつとっても、名字さんは女の子らしい女の子ですし、ボクにとっては素晴らしい女性です」
「……ハイ」



 よくわからないまま返事をして、ようやく泉田くんが私をなぐさめてくれていることがわかった。わかったけど、顔は真っ赤だし頭は動かないしで、気の利いた返事をすることも、お礼を言うこともできない。

 そして気付けばお昼休みどころか今日の授業も終わっていて、自転車部を見に行くことになっていた。まだ頭が沸騰しているのに。



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