蜜標
 花は好きだ。名前は全然わからないけど、ぼうっとしてるときに綺麗な花があったり視界がカラフルになると、なんとなくほっとするから。
 花壇の隅っこに腰かけて、昼休みに元気にサッカーをする生徒を眺めながらあたたかい風を感じる。もうじき春といえる季節も終わって、さらにインターハイが近付いてくるんだろう。寿一にも隼人にも、平等に。

 隼人がひとりでウサ吉に会いにいったり、寿一がひとりでロードに乗ったり、そういうのと同じように私にもひとりになりたい時がある。群れるのが好きな女子のなかで、ひとりでいることが苦じゃないのだ。だから中学になって色づいてきた女子のなかで浮きつつあったし、それでも合わせようとしなかったからどんどん浮いていった。
 私だって、そこまで女の子らしくないわけじゃない。可愛いものは好きだし、マニキュアだって塗ったりするし、髪型だって気にする。だけどどこか女の子じゃないのだ。どこが、とはっきりとは言えないけど。
 こうして2、3週間に一度はぼうっとすることが「女の子らしさ」から遠ざかっている原因だとしたら、一生男が思い浮かべるふわふわした女の子にはなれない気がする。

 見たことはあるけど名前は知らない白い花をなでてから立ち上がった。そろそろ教室へ戻らないといけない時間だ。



「次は移動教室だぞ。名前、忘れてただろ」
「あっそうだった」



 もう人が半分ほどいなくなっている教室で、隼人は律儀に待っていてくれた。机のなかから音楽の教科書を探り当てて、時計を見てから教室を出る。ゆっくり歩いても間に合う時間だ。



「寿一は?」
「自分の教室に帰った。次は小テストがあるから復習しておくんだと」
「寿一なら復習しなくても出来そうなのに」



 音楽室は上の階にあるので、階段をのぼらないといけない。すぐに疲れてくる私と違って隼人はすいすいとのぼっていくので、手首を引っ張ってのぼるのを手伝ってもらった。水揚げされる魚みたいな図だ。
 すこし息切れしながら音楽室へたどり着いて、適当な席に座る。音楽の先生はゆるいので、好きな席に座っていいのが嬉しい。隼人は私の右隣に座って、眠そうな目をさらに細めた。



「名前、今日部活見に来るか?」
「今日はさっちゃんと買い物に行くから無理かな」



 私は毎日部活を頑張っている隼人や寿一と違って帰宅部なので、よく自転車部の見学をしてから帰っていた。すこし遠い場所から頑張っているみんなの姿を見て、相変わらずスパルタだなーと思いながらたまに休憩時間にジュースを差し入れたりする。
 そのあとは帰ってゲームをしたり再放送のドラマを見たり、友達と買い物に行ったりする。たまに遊びに行く程度の女友達なら、私にもちゃんといるのだ。



「明日は来てくれるか?」
「いいけど、隼人がそんなこと言うなんて珍しいね。なにかあった?」
「別に、名前が見てるほうが気合入るだろ?」
「いままでそんな様子は微塵もなかったけどね」



 先生が音楽室に入ってきて、話はそこで終わる。たしか今日はこのあいだの続きのビデオを見る予定だったはずだ。横で隼人は、すでに睡眠体勢に入りつつあった。



・・・



 音楽の授業が終わって階段をおりていると、隼人が急に進路を変えた。なんでも、部活の後輩に今日の練習のことを伝えに行くらしい。私はさきに教室に帰ってようとしたけど、隼人のお願いによって一緒に行くことになった。
 二年の教室で立ち止まった隼人が、クラスの子に泉田くんを呼んでくれるように頼む。泉田くんというのは、隼人を慕っている後輩だ。よく隼人と一緒に練習しているから、名前まで覚えてしまった。



「新開さん! ……と、名字さん!」
「泉田くん、こんにちは。私はあっちに行ってるから」



 こっちが驚くほどのリアクションをした泉田くんは、あわあわと隼人と私を見比べたあと、がばっと頭をさげてきた。私は自転車部じゃないんだからお辞儀をしなくてもいいのに。
 すこし離れたところにいこうとした途端、隼人に腕をつかまれる。二の腕を掴んだまま、なんでもないように泉田くんに話しかける隼人は笑顔だ。



「今日、いつものメニュー後に軽く50kmほど走ろうと思ってるんだが、泉田もどうだ?」
「ご一緒させていただけるんですか? ありがとうございます!」
「オレも相手がいると張り合いが出るしな」



 冬に見たときはかなりぽっちゃりしていた泉田くんは、いつのまに減量したのか筋肉もりもりになっていた。ぱっちりお目々とばっちり睫毛は、いまでも健在だ。



「残念ながら、名前は明日来るんだ。でも、いつもどおり真面目に練習するのが泉田だろ?」
「もちろんです! 今日も勝つつもりでいきます!」
「その意気だ」



 隼人がウインクをする。教室のなかから、わずかに悲鳴のような声が聞こえた。私の二の腕を掴んだままのウインクなのに。
 そのまま話を終えた泉田くんは、また私にまでお辞儀をしてくれた。ようやく腕を離してくれた隼人と並んで帰る途中、ちらっとうしろを見るとまだ泉田くんがいて目があったから、とりあえず手を振っておいた。あわあわとする泉田くんは、すこし可愛い。



「で、名前。どうだった?」
「なにが?」
「まあ予想通りだな」
「なにが?」



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