ぐりぐりと自分の影を踏みにじる。いつだってどんな動きをしたって文句も言わずについてきてくれた自分の分身である黒い影に、負の感情や駄目な部分がすべて詰まっているというように、力の限り踏む。どうして私はこんなにも出来ない事だらけなんだ。
 にじむ視界を、唇を噛み締めて睨みつける。いくら努力しても練習しても、私の上を軽々と飛び越えていく人を見るのは、もう慣れた。私に出来るのは、弱音を吐かずに泣かずに進むことくらい。凡人にはもう、それくらいしか自尊心を守る術が残されていないのだ。

 でもたまに、立っていることが辛くなる。足元が崩れ落ちていきそうな感覚に怯えて、地面に腰を下ろしてしまう。巨人に踏まれてもびくともしない大地は、私のことなんて気にもしていないだろう。ちっぽけな存在を軽々と支えてくれるダークブラウンに座り込み、抱え込んだ膝に目を当てた。



「……名前か?」



 かけられた声に咄嗟に顔をあげる。気配を感じなかった先には、心配そうな顔をしたライナーがいた。見開いた目から衝撃で涙がこぼれ出て、慌てて下を向く。泣くことがあるなら一人でと決めていたのに。



「隣、いいか」



 控えめに尋ねられた言葉に返事もせず、顔を足に埋める。我慢強く数十秒も返事を待っていたライナーは、それ以上何も聞かずに私の隣に座った。それを拒否するでもなく歓迎するでもなく、ただ黙って自分の世界に没頭する。
 今日の成績も最悪だった。みんな技術や座学など、どこか一つは長所があるのに、私には何一つない。惨めで消えてなくなりたくて、膝に思いきり爪をたてる。何も言わずにただ横にいるライナーが、ようやく口を開いた。



「……前を見るところ」
「……え?」
「我慢強く、努力を怠らない。他者を顧みる面もある。体に一本、すっと真っ直ぐな芯が通っている。立体機動装置を使用する際の速度は平均だが、急所を深く抉ることが出来る」
「ライナー?」
「すべて名前の長所だ」



 言われたことをすぐに飲み込めずに、目を丸くしてライナーを見つめる。自分で言ったことを反芻したのか、ライナーの顔が気恥かしさを帯びていった。それなのに私から目を逸らそうとしないから、自然と見つめ合う形になる。



「……慰めはいいよ。そんな長所があったって、巨人が倒せるかわからない」
「少なくとも、一体は倒せると思うが」
「何でそう思うのよ」



 ライナーは彼らしくない笑顔で、静かに質問に答える意思がないことを示した。今まで味わったことのない沈黙に耐えかねて、ごしごしと目を擦る。たったの一滴とはいえ、涙を人に見られてしまったのは痛手だ。危うい均衡のうえで保っていたちっぽけなプライドが、ぼろぼろと崩れていく音が聞こえてきそうだ。
 また膝に顔を押し付けた私を見て、横から慌てる空気が漂ってきた。そんなに慌てるくらいなら、私を放ってどこかに行けばいいのに。



「だから、みんな名前を心配してんだろ。気付けよ」
「え?」
「いつも名前に愚痴を聞いてもらってる奴、慰めてもらってる奴、メシをもらってる奴……これはサシャだけだが」
「そんな、」
「いるだろ。たくさんいる。そいつらも心配してるぞ、名前だけが落ち込んでいるところを見せないって」
「だっ、て……! それくらいしか、出来ない……!」



 絞り出した弱音は、訓練兵になって初めてのものだった。ライナーは失望することなく、私の一番の暗闇を受け止めてくれる。こちらに伸ばされた手が一瞬とまどい、傷だらけの指が握り締められ、大きな手が頭にふれた。



「ライナー……駄目、頼ってしまう。弱くなってしまう」
「弱くたって、いいだろ。また強くなればいい」



 俺と一緒に、という言葉に耐え切れなくなって涙がこぼれた。弱音を吐き出して、ライナーへの恋が抑えきれずに吹き出していく。こんなことをされたらもっと好きになるに決まってるのに、ライナーはずるい。
 優しくて信頼されていて、成績もいい。たくさんの女の子が狙っているのに、優しいのは私にだけじゃないのに、勘違いしてしまいそうになる。



「あと、これを名前に」



 ライナーのポケットからそうっと差し出された物を受け取る。綺麗な包みを開くと、小さな四角いものが三つほど出てきた。クリーム色をしたそれからは、バターと砂糖のいいにおいが漂ってくる。



「もしかして、これ……クッキー?」
「ああ」
「そんな……! これって高いんでしょ?受け取れないよ!」
「──落ち込んでると、聞いた」
「落ち込んでる? 誰が?」
「少しでも元気が出たらいいと……だから、受け取ってくれ」



 ──まさか、私のために?
 すべてを理解して見上げたライナーとの距離は、思ったよりも近い。どんな試験だろうと冷静にクリアしてしまうライナーの顔が今は焦っているように見えて、光の加減かもしれないけど頬が赤くなっているようにも見えて、どうしようもなく心臓が跳ねる。心臓の音がうるさくて、風の音も聞こえない。



「いつでも俺たちを──俺を、頼ってくれ」



 残された言葉は、期待するにはじゅうぶんすぎるものだ。風のなかにバターと砂糖の甘いにおいが溶け込んで、私を包み込む。胸を満たして流れた涙は、たぶん初めての──。
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