「もし、すみません」



 か細く高い声をかけられて振り返ったのは、まだ日が高い頃だった。未だあちらこちらで煙があがっていて、みな憔悴しきった顔で食事の配給に並んでいる。ウォール・マリアが巨人に襲われてからというもの、あちこちで巨人の動きが活発になっていた。ここも例外ではなく、巨人の口内に入ることを逃れた者は思ったより少ない。
 目の前の少女もそうだろうと、まさに着の身着のまま逃げてきたであろう姿に向き直った。少女は先程よりはしっかりとした声で、もう一度すみませんと言った。何故こんな謙虚になる必要があるかはわからないが、ひとまず先を促す。少女は震える手で自分の手をつつみながら、しっかりとした視線で問うた。



「コニーという兵士をご存知ですか」
「いや、知らないな」
「今年卒業したばかりのような、おそらく巨人と戦うのに慣れていない方なのですが」



 食事の配給に見向きもせず尋ねてくるということは、コニーという奴と知り合いなのかと思ったが、少女はそうではないと首を振った。ただお礼を言いたいと、それだけのためにお尋ねしてすみませんと、少女はまた謝る。どうも俺が悪いことをしているような気分になって、ちょうどそばを通りかかった奴を捕まえてコニーという名に心当たりがあるか尋ねた。これで首を振られたら終わりにしようと思ったのに、運がいいのか悪いのか、偶然にもコニーを知っている奴を引き当ててしまったらしい。
 しばらくして連れてこられた奴は、これまた運良く仕事がなかったのだろう。少女の言う通りまだ幼さが残っている少年は、驚いた顔をして少女に駆け寄った。そのあと慌てて俺に敬礼をする。いつもなら怒るところだが、まあこの際見逃してやろう。
 ひらひらと手を振ると、意味がわかったのか少年はあからさまにほうっとした顔をした。それを心配そうな顔をして見ていた少女が、少年の笑顔でようやく少し肩の力を抜く。



「あの、覚えていらっしゃるかはわかりませんが、今日は本当にありがとうございました」
「いや……生きててよかった」
「あなたも」



 少女の顔がほころぶ。泣きそうで不安そうな顔から一転、あたりに花が咲き乱れる。コニーは言葉につまって、赤くなった顔をそらした。なんだ、まだ女の経験がないのか。からかってやろうかとも思ったが、面識がない子供をからかうのはそこまで面白くないし、そもそも逢瀬の真っ最中だ。
 盗み聞きしているわけではないが勝手に耳に入ってくる会話を拾いつつ、あたりに漂う焦燥や絶望を吸い上げる。この空気のなか、よくあんな空気を醸し出せるもんだ。



「あの、お怪我は?」
「ああ、たいしたことはない」
「そんな……! すみません、あの時腰が抜けたばかりに……」
「……巨人を初めて見たんだろ?」
「……はい」
「初めて見た時は、大体そんなもんだろ」



 どうやら不器用なりに慰めているらしい。不器用すぎて気付かれないかもしれないそれを、少女は両手でそうっとすくい上げて、はにかんだように笑った。また花が一輪、染まる頬。
 砂糖菓子のような空気をしばらく味わったあと、少女は思い出したようにポケットを探った。取り出されたのは小さな布で、少年も不思議そうに覗き込む。少女はそれを半ば強引に、立体機動装置を操る荒れた手に握らせた。



「これは、我が家に伝わるお守りというものです」
「お守り?」
「これを持っていたから、祖先はこの壁のなかに逃げ切ることが出来たと聞いています。これに生き延びることを願えば、叶えてくれると。どうぞ、これをあなた様に」
「お、俺に!? 大事なもんなんだろ、いいって!」
「私はただの逃げ惑う民、あなたは巨人と戦う術を知っている兵士。どちらが危険かは、わかりきっていることです」



 少女は決して譲らない。布を押し返そうとする手を何度も拒み、強い視線で訴えかけた。命の恩人であるあなた様に受け取っていただきたいのですと、何度も同じ台詞を繰り返して、少年は諦めたように布切れを握る。それを見て笑う少女は、よく見れば少年よりも幼かった。



「私はじゅうぶんにお守りの加護を受けました。どうぞ、お守りを肌身離さず持っていてください。きっと巨人から守ってくれるでしょう」
「だけどよ……」
「お願いします。あなた様は私の英雄です。英雄がいなくなったら、私の世界は巨人に支配されて死ぬのを待つだけのものになってしまう」



 少女の懇願はあまりにも真摯で、離れて見ている俺の胸にも突き刺さった。それを目の前で見ている少年には、どれほど深く食い込んだだろう。一見しただけで取り除けないとわかるほど奥深くに入り込んだそれに、少年は観念して布切れを受け取った。少女の顔がぱあっと明るくなる。また赤面した少年は、ようやく少女に名を聞いた。それから自分も名乗り、たどたどしく布切れのお礼を言う。

 そこまで見て、ようやく顔を背けた。どんな状況でも、どんな場所でも、花は咲く。でなければ人類は子孫など作ることもなく滅びてしまっていただろう。こんな世界だからこそ、明日死ぬかもしれないからこそ、恋は咲いて腹に命が宿る。どうかそれが明るい道であれと、珍しく素直に青い少年の恋路を応援した。
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