「だからあ、微妙に上司と気が合わないの! 会話の途中に変な沈黙あるし! そりゃわたしが出来る子だったら話が違ったかもしれないけど、残念ながらわたしは出来ない子なの!」
「きみの家に来るのは3回目だけど、もうそれ10回以上聞いたよ。それにしても、このオデンという食べ物はおいしいね! カラシというのがよく合うし、冷える冬に体の芯からあたたまる。ネリモノの素晴らしさといったらもう!」
「そりゃ仕事出来ないけど! 上司がそう言ったらパートの人もそう思うじゃん! 接客業なんてくそみたいな客が来てストレスたまるのに、そんな扱いされるなんて店に火をつけてやろうか!」
「ねえアツカンおかわり」
「そこにあるから好きにあっためてください」
こたつから出たくないハンジさんはしばらく渋っていたけど、体をふるわせながらこたつから出た。スリッパを引っかける仕草がやけに慣れている。
来た日にさんざんいじって、もはや珍しくなくなったらしいコンロで火をつけ、水を入れたお鍋に日本酒を入れたとっくりを沈める。はんてんで着膨れしている姿は、もはや日本人だ。
「ハンジさん、まだ帰らなくていいの?」
「まだ飲み足りないからね。それに、名前もまだ愚痴を言い足りないだろう? きっとまだ帰れないよ」
ハンジさんが視線で示す先には、質素な部屋がある。目的さえ果たせればいいという簡素な机とベッド、小さなタンス。向こうの窓にも月が出ていて、四季と時間がわたしの世界と同じ速度で動いているのがわかる。
「んん……ええと、どこまで話したっけ……そう、何かすると違うってことだけ言いに来て、何をすればいいのか、どこがよかったのかわからないままだから、ほんと上司との相性って大事……」
「熱燗できたよー」
「ありがとうございます……おいしい……こんにゃくもおいしい……」
「好きなだけたまごを食べられるなんてここは楽園だね。巨人もいないし」
「ほんと、ハンジさんがここにいたら熱烈な巨人アンチで阪神ファンでしょうね……」
まぶたがとろとろと落ちてきて、慌てて戻っていく。お腹がほどよく満たされて、言いたいことを我慢せず言って、お酒はおいしい。
「だからあ、同期はさっさとやめちゃったの。もしかしたらそれが正解かもしれないけど、まさかわたし以外全員やめるなんて、思ってもみないじゃないですかあ……」
「うんうん、そうだねえ」
「ほかのお店は同期でわいわいやって楽しそうなのに、わたしだけひとり……仕事はできないし……地元じゃないから、休みの日に遊び行く友達も近くにいなくて……ほんと、おでんは大根が最強……」
「大根は本当においしいね」
「大根は正義」
ハンジさんがおでんを食べ尽くして、熱燗を流し込んだ。頬が赤くなって、いい感じに酔っているハンジさんが笑う。ハンジさんは笑い上戸で、わたしは泣き上戸だ。
「そろそろいい時間だね。私は帰るから、ちゃんとドアを閉めるんだよ。きみが閉めないとつながったままになっちゃうからね」
「うん、お見送りする……」
「ほら、ちゃんと立って。ドアを閉めたら、どこでも好きに寝て風邪をひけばいいさ」
「5日後は早番なんですけど、ハンジさんは?」
「うーん、どうだろう。夜に一回覗いてみてよ」
「ん、りょーかい。おやすみなさい、ハンジさん」
「おやすみ名前。いい夢を」
玄関のドアを閉じて、もう一度開ける。そこはもうハンジさんの部屋じゃなくて、いつものアパートの廊下だった。冬の冷たさを含んだ風がふいて、急いでドアをしめる。
おでんが入っていた土鍋を水につけて、卓上コンロを片付ける。歯磨きをして電気を消してベッドにもぐりこむと、もういつも寝る時間だった。
いつもベッドに入ると、ハンジさんはわたしが作り出した脳内の人物のように思えてしまう。でも、暗闇に慣れた目がハンジさんが脱ぎ散らかしたはんてんを見つけると、やっぱり夢でも幻聴でもなかったと思うのだ。
とろんと落ちるまぶたを、今度は止めはしない。夢を見る一歩前でハンジさんの高い鼻を思いだして、やっぱり日本人じゃないなあと羨むと同時に、一ミリでもいいから分けてほしいと願うのだった。