「ライナー! どうしよう!」



 自分の名前を呼ばれたことと、聞きなれた声に反応して、ライナーは顔をあげた。肩で息をしている名前の姿を瞳に映し、驚いて腰を浮かす。
 勢いがつきすぎて頭を天井に打ち付け悶絶しているあいだに、名前は機敏な小動物を思わせる動きではしごをのぼった。



「ライナー、大変なの。聞いて」
「名前……ここは女人禁制だぞ」



 男の訓練兵が押し込まれて眠る部屋は、彼らにとって唯一自分の空間がある場所だ。もちろんそれは女の訓練兵にも言えることであり、名前もそれを知っていたが、いまの彼女にはそんなことを気にしている余裕はなかった。
 大きな瞳が揺れていまにも潤みそうなのを見て、ライナーは名前の頭に手を乗せる。ベルトルトも、心配そうに細い背中をなでた。



「ここにいるのはまずい。外に出よう、聞いてやるから」
「教官なら大丈夫よ。珍しく酔いつぶれて寝ていたから」



 そういう問題ではない。シャツとスカートという質素な格好をしているが、名前は女なのだ。やわらかな曲線をえがくシャツのなかを想像しない男はいないし、スカートも長いとはいえはしごをのぼるのは危険だ。
 幼い外見に似合った、いつまでも無邪気な性格の名前に、ライナーとベルトルトはそれをどう伝えるか悩む。そのわずかな隙に、名前はこれ以上待てないというように話し始めた。



「ついにきてしまったの。おしるしが」
「おしるし?」



 聞きなれない言葉にライナーが首をかしげる。一瞬開拓地に移れと言われたのかと思ったが、そうではないらしい。
 じれったそうに肩まである髪を揺らして、名前は声を抑えることなく告げた。



「女には月に一度くるでしょう! ついに子供をうめる体になってしまったの!」



 ぶふぉっとあちこちで何かを吹き出す音が聞こえた。何かが気管に入ってむせる音や驚きの声が部屋に広がっていく。
 もちろんライナーも例外ではない。声を出そうとした瞬間に思いきりむせて、しばらく襲いくる咳への対応に追われることになった。



「名前……ここで言うことじゃないだろう……」
「だって驚いたんだもの! 教官に聞いてもどうしたらいいか教えてくれないし!」
「……聞いたのか? 教官に?」
「トイレから出たらちょうど教官と会って。医務室へ行けって言われたから従ったけど」



 教官が珍しく酔いつぶれている原因が薄々わかった者は、みな気づいていないふりをした。いくら鬼のような教官とはいえ、これは同情するしかない。
 名前は小鳥のように首をかしげる。あらためて性に疎いと知らされた面々は、次にライナーへの対応に興味を示した。衝撃から立ち直ったものは、すでにライナーをからかう絶好のネタだとして認識している。



「それで名前は動揺しているんだな。わかった、ひとまず部屋を出よう」
「子供をうんでしまうと、兵士になれないでしょ? どうしよう、ライナーと兵士になるために頑張ってきたのに」



 涙ぐむ名前を見て、ライナーは慌てて服の袖でこぼれる前のしずくをふきとった。綺麗な目に涙をためるのは、何度も見ている光景とはいえ、心臓に悪いものがある。
 名前を部屋から連れ出そうとしていることなど頭から吹き飛んで、ライナーは目の前の少女をなだめることに全力を尽くした。落ち着くようにゆっくりと優しく言葉をかけるライナーの手は、名前の厚みのない肩におかれていた。



「子供ができないように工夫すればいい」
「そんなこと、できるの?」
「ああ、心配ない」
「そっか……」



 安心したように頬を染めた名前は、スカートから伸びた足を崩した。清らかな森にすむ小鳥のような雰囲気から一転、初恋に恥じらう一輪の花のような空気を漂わせる名前に、誰かがごくりと喉をならした。
 まだ子供だと思っていた少女が、女の色気をまとって知らぬ間に誘惑してきたような感覚。ライナーは肌でそれを感じ取り、名前を部屋から連れ出すという当初の目的を思い出した。



「名前、安心したか? 部屋まで送ろう」
「うん。よかった、まだ子供は早いものね」
「まだ訓練兵だしな」
「でも私、ライナーとえっちなことするの好きよ」



 心臓がどきりと跳ねたが、それに気付かないふりをして、ライナーは表情を崩さなかった。
 名前を女だと認識してしまった者に見せつけるいい機会だ。名前を女として見るのは自分だけでいい。



「腹は痛くないか? 体調を崩すと聞いたことがあるぞ」
「そんなので休んでたら開拓地に送られちゃう。痛かったら薬を飲むから」
「無理するなよ」



 まだ出ていないお腹をいたわるようにさするライナーの手に手を重ねて、名前は微笑んだ。
 今度は聖母のような一面を垣間見せ、男は一生わからない苦しみをわかちあおうとするライナーの頭をなでる。



「大丈夫よライナー。でも、もし辛かったら助けてね。私はずっと、ライナーを一番頼りにしているんだもの」
「ああ」



 男をその気にさせる言葉に、ライナーは目に強い光を宿して頷く。わずかな時間で、無邪気で子供のようだった名前の様々な一面を見て、まだ若い訓練兵は圧倒された。それが魅力だと知るのは、熟れる前の青い果実には無理な話だ。
 ライナーは細心の注意を払って名前をはしごからおろし、腰に手をまわして部屋を出ていく。ベルトルトにとっては故郷で見慣れた光景だったが、ここではそうもいかない。
 しばらく帰ってこないライナーの代わりに自分が質問攻めにされるのだろうと、ベルトルトは読んでいた本にしおりを挟んで置いた。
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