頭の隅で思ったのは、これを聞いた彼女がどんな顔をするかということだった。驚いて、泣いて、怒って、裏切られたと恨むかもしれない。もしくは、ありふれた安っぽい物語のように、悲劇のヒロインになって泣きながら衰弱して死ぬかもしれない。
 そこまで考えて、ふっと笑いがこぼれた。名前はそんな女じゃない。そんなことをしないからこそ、俺は名前に惚れたのだ。



・・・



「すまん、少しいいか。急用だ」



 自分で自分の行動に驚いたが、ふたりの驚きはそれ以上だった。一秒先には自分の恋を告げていたであろう男と、それを待ち構えている女。ふたりが結ばれるかは10秒先にはわかることで、どちらに転ぶか想像できなかったから間に割って入った。
 知らぬ間に名前を背中にかばうような形になって、声をかけて驚いたあとの顔は見ることが出来なかった。それでいいと思ったが、たぶん俺は怖かっただけだ。残念そうな顔をする片思いの相手がそこにいることが。



「教官が、明日の訓練を本当に受けるか聞きたいそうだ。名前の体力では危険だと」
「え、あ……じゃあ、すぐに行ったほうがいいね」
「ああ」
「その……ごめん。私、行くね」



 名前が申し訳なさそうに謝るのに、男は慌てて首を振った。名前が謝るのが告白を断ったようにも聞こえて、ついに自分に都合のいい解釈をするようになったのかと少し落ち込む。歩き出した名前を大股で追って、教官がいる場所を教えようと隣を歩いた。
 立ち尽くす男の影が暗闇にまぎれて見えなくなったところで、自分が情けなくなって歩みを止める。名前が不思議そうに俺を見た。



「ライナー?」
「……すまん。いまのは嘘なんだ」
「教官に呼ばれてるって話?」
「ああ」
「知ってる。だって私、明日の訓練は参加しないもん」



 名前がいたずらっぽく笑うのを、ぽかんと見つめる。名前はくすくすと笑ったあと、申し訳なさそうな顔をして来た道を振り返った。今もそこで落ち込んでいるであろう訓練兵の心情は、察するに余りあるものがある。
 名前は風に髪を揺らしながら、ゆっくりと瞬きをした。それから俺に謝る。あそこを抜け出す口実として俺を使ってしまったことを気にしているらしいが、謝らなければいけないのは俺のほうだ。恋人が出来る瞬間を邪魔したのかもしれないのだから。



「名前は、あいつが好きじゃないのか?」
「好きだけど、それは友達として、同じ兵士として。恋人としてじゃない」



 好きという単語が名前の口から出てきたことに心臓が嫌な音をたてたが、そのあとの言葉を聞いて少し落ち着いた。名前はまっすぐな目をして自分の歩いてきた道を見つめ、それから前を向いて歩き出す。そのまっすぐで凛としたところが、どうしようもなく心をくすぐった。



「そうだ、ライナーに言いたいことがあるんだけど」
「何だ?」
「あんまりああいうこと、しないほうがいいと思うよ」
「……すまん」
「私は助かったけど、その──勘違いする子がいるかもしれないし」



 暗闇でも隠せない頬の赤みは、月と星によって照らされる。明るい太陽の下よりも、静かな月明かりのなかで見る名前のほうが綺麗に思えた。いつ見ても柄にもなく可愛いだとか綺麗だとか思うが、星のしたでは自分にしか見せない顔があるようで、ほのかな優越感を抱く。あの訓練兵には見せない顔を、俺はいま見ているのだ。



「──勘違いしても、いいと思うぞ」
「え?」
「だから、その……告白されるのを阻止したかったんだ。どうしてもそんな場面を見たくなかった」
「ライナー」
「嫌だったら忘れてくれ」



 顔に熱が集まるのを感じた。顔を隠したいが隠せるものもなく、黙って名前の信じられないような視線を受け止める。これじゃ告白する権利を横取りしたようなものなのに、罪悪感はほとんど感じなかった。名前が俯いて俺の服のすそを掴んで、風にかき消されてしまうような声を聞いたから。



「じゃあ……勘違いする、から……ライナーも私の気持ちを、勘違いしてくれる?」
「勘違いだなんて思いたくない。名前の口からはっきり聞かせてくれ」
「ずるい」



 拗ねたように唇をとがらせる名前は上目遣いで俺を見て、そうっと目を閉じた。こちらに顔を向けて目を閉じているということは、つまり、そういうことでいいんだろうか。
 情けなく震える腕を叱咤して、折れそうな名前の肩を掴む。じれったくなるほどゆっくりと、ぎりぎりまで名前の顔を目に焼き付けてから閉じた視界の先で、キスが拒まれることはなかった。

 それから事情を知ってる奴にはずいぶんと呆れられ、心配され、馬鹿にもされた。特にアニには。大丈夫だと、今でも故郷に帰ることが第一だと、そう言いながらもどこか自分に言い聞かせているような気がした。たったひとりの人類にここまで心が動かされるなんて、思ってもいなかった。



・・・



 もし時が戻って何でも出来るなら、俺は名前を好きになる自分を止めはしないし、付き合うことも阻止しない。ただ、あの瞬間あの場所にいてくれたらと思う。そうしたら、エレンごと名前をさらっていけたのに。
 子供じみた妄想だが、これでも本気でやれるかもしれないと思っていた。故郷へ帰って、名前と幸せな家庭を築いて、子供と孫にかこまれて死ぬ。いまでも諦めきれない。名前がついてきてくれるか聞くのは怖いが、 今ごろ尋問されている名前は怒っていることだろう。私も連れていけだとか、どうして話さなかったとか、ライナーの馬鹿だとか。

 これだけは本気だった。俺の故郷に名前も一緒に帰る。まぶたの裏に浮かぶ未来の光景には、いまでも名前の姿がある。もう伝える術はないけれど。
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -