「そこであのババアなんて言ったと思う? あなたももう年なんだから物覚えが悪くなっていることを自覚しなさいだって! ちょっとライナー、聞いてるの!?」
「ああ、聞いている」
「確かにもう若くはないけど、あんたよりは若いっつーの! あのクソババア!」



 可愛らしい女の子なら口が裂けても言わないような台詞を次々と吐き出して、どす黒いものがたまっていた場所にビールを注ぎ込む。アルコールは消毒作用があるというし、こんな嫌な感情はさっさと出してビールで満たすべし。
 ライナーが作ってくれたつまみをばくばくと食べながら、愚痴を怒りとともに発散する。そんな私の姿に引くこともなく……いや実際には引いてるのかもしれないけど、顔には出さずに静かに聞いてくれるライナーに抱きつく。



「今日もよく頑張ったな。お疲れさん」
「……ライナーのほうが頑張ってるでしょ。知ってる」
「名前ほどじゃない」



 ライナーだって忙しくて疲れ果てているはずだ。家にまで仕事を持ち帰っているのは、真面目で責任を感じる性格だから。期待されて、期待以上の結果を残すから。そのためには、そのぶん頑張らなくちゃいけない。
 正直に言うとそこまで仕事に捧げなくてもいいと思うけど、男は仕事で自信やらプライドやら矜持を実感するらしいので、女が口を出してはいけない領域なのだと思うことにしている。



「名前はよく頑張っている。少し休め」



 もう一度、嘘じゃないというように囁かれた言葉が染み込んで、体から力が抜ける。宥めるように背中をなでられ、大きな手があたたかいことに安心した。
 学生のころからライナーを知っているけど、どんなに時間がたってもライナーはライナーのままだ。それがどうしようもなく嬉しくて帰ってくる場所はここだと思えて、にじむ視界に気付かないふりをした。多分ここで泣いてしまったら、一生懸命気を張ってきたものがぷつりと切れてしまう。



「──名前」
「何?」



 ライナーが珍しく口ごもるのを、抱きしめられながら聞く。向かい合ってぴったりとくっついているから、ライナーの表情を窺い知ることは出来ない。
 がっしりとした胸に顔をうずめて、そうっと視線だけで状況を把握することに努めた。こういうときのライナーは、顔を見られることを嫌う。



「そんなに嫌なら……永久就職しないか?」
「あの会社に? 死んでも嫌よ」
「違う。──俺のところに」



 私はきっと、ぽかんとした間抜けな顔をしていたんじゃないかと思う。状況が飲み込めずにライナーを見上げる私と、ほんのり顔を赤くしながら緊張しきっているライナーの視線が交わる。沈黙のまま数秒、からからに乾いた喉にようやく空気が通った気がした。



「……ライナー、それ古くない?」
「……それはどうでもいいだろう」
「結婚しようってこと?」
「端的に言えばな」
「端的もなにも、はっきり言ったらいいじゃない」



 照れ隠しのようにお互いしゃべり続けるのを、お互い指摘せずに沈黙を言葉で埋める。ライナーは少し緊張のとれた顔で、私はだんだんと赤くなってきた顔で。ジャージでビールを片手に持っている恋人にプロポーズするなんて、ライナーはジョークがわかってきたのかもしれない。

 ライナーの言葉が本気なのかわからず、久しぶりにうるさいくらい血液を送り出す心臓を落ち着かせようと努力する。もしこれが本当にジョークだったら、さすがに立ち直れないかもしれない。私の視線を受け止め、ライナーはすうっと静かに息を吸い込んだ。



「名前、結婚してくれないか」



 真剣な声が鼓膜を震わせて、返事をしようとした唇がふさがれた。私が返事をする間も与えずに、ライナーにしては性急なキスが口内を荒らす。首に手を回して必死に応えて、閉じた目から何かが溢れだそうとするのを必死に抑えた。
 濡れた唇が離れて、一ミリしか離れていないような場所でライナーが酸素を補給する。キスで色づいた唇が、やけに色っぽい。



「これじゃ、返事出来ないよ」
「……すまん」
「結婚しようって言われたとき、嬉しさも勿論あるけど、あのクソババアに一泡吹かせてやれるって思った性悪女でも結婚したいの?」
「当たり前だ」



 何を当然のことを聞いているんだと言わんばかりの返答に、じんわりと胸のあたりが熱くなる。どうしてライナーはこんな私を愛してくれるんだろう。どうしてこんなにも一途でいてくれるんだろう。わからない。わからないけど、この愛に私も応えたい。一途でありたい。



「ライナー、結婚、しよっか」



 あまり表情が変わらないライナーの顔が、明るく熱を帯びていく。顔をくしゃくしゃにして笑うところは、滅多に見られないお宝映像だ。その顔を目に焼き付けようとするのに、抱きしめられて天井しか見えなくなる。もしかして、出来ちゃった結婚になるのかな。
 ぼんやりとした頭で考えながら、もう一度本当にいいのかと尋ねてくるライナーを抱きしめ返す。それはこっちの台詞だよ。
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