巨人と戦えるようになるには、過酷になっていく訓練を乗り越えていかねばならない。毎日ついていくのに必死で、訓練が終わったあとはへとへとで動けなくなるのが当たり前になっていた。
 ようやく一日の訓練が終わったものから地面に座り込んで必死に息を整えるが、若い体はすぐに体力を取り戻す。すこしばかり動けるようになった肉体が訴えるのは空腹だ。名前も疲れきった体とからっぽになった胃袋を抱えて、よろよろと食堂まで歩こうと足を踏み出した。



「……最悪」



 ぽつりと口から漏れた言葉は、誰にも聞かれることはなかった。服のなかで胸にまいていた布がゆるむ気配がして、名前は顔をしかめる。最近の訓練のハードさに、安物の布が耐えきれなくなってきているのだ。何度目かになる感覚に、名前は食堂よりさきに自室へと行くことにした。自室とはいっても、104期生の女が全員つめこまれた、寝るだけの部屋だったけれど。

 部屋には名前しかいなかった。素早く服を脱ぎ、胸をつぶしていた布を取る。一般的なものよりかなり大きい胸は、名前にとっては邪魔でしかなかった。立体機動のベルトはきついし、安定しなくなる。巨人を倒すのに胸は必要ない。もしこの胸に需要があるとすれば、体を売る仕事くらいだ。
 名前にとって不要なものとされた脂肪は、立体機動を安定させるために布でつぶされていた。いつもなら風呂上りに本来の姿になるが、食事のあとにお風呂に入るからいいだろう。名前はそう結論付け、急いで食堂へと向かった。食事の時間は、そう長くはないのだ。

 食堂に入ると、案の定席はもう埋まっていた。あいているのは、エレンとサシャのいるテーブルのみ。エレンはしょっちゅうジャンと喧嘩しているし、サシャは隙あらば人のご飯をもらってもいいかと聞いてくる。名前は夕飯を取りためいきをついて、そのテーブルへと足を進めた。同じテーブルにライナーがいるから、いざとなったら責任感の強い彼が止めてくれるだろう。



「ここ、座っても?」
「ああ、いいぞ」



 ライナーとミカサの間の椅子をひいて問いかける。ライナーが代表として返事をしたあとに目を見開いた。何気なく見た名前の胸が、いつも見ているものよりかなり大きかったからだ。ベルトルトとアルミンもそれに気付き、瞠目したあと慌てて目をそらす。さすがにまじまじと見るのは失礼だ。
 パンを食べ始める名前を、斜め前に座ったエレンがじっと見つめた。巨人にしか興味のない彼も、同期の異変に気付くこともあるのだ。ごくたまにだけれど。



「名前、胸どうしたんだよ。腫れてねえか?」



 ライナーとアルミンが吹き出した。何も口に含んでいなかったベルトルトは、かろうじて失態を演じることは避けられたが、手に力が入りすぎてパンが潰れた。エレンが発言したことでミカサの視線が名前へと向く。しかしエレンにしか興味を持っていなかったミカサには、名前の違いがいまいちわからなかった。
 テーブル中の視線を受け止めながら、名前はなんでもないように言う。



「普段は胸をつぶしてるから。別に腫れてないよ」
「そうか。どうしてつぶしてるんだ?」



 アルミンの頭には、一瞬で様々な案が思い浮かんだ。性に興味がない純粋な質問は、エレンに与えられた特権だ。しかしそれを聞いているものは、性に興味がないとは思えない。現に周辺の男は聞き耳をたてている。



「邪魔なのよ。立体機動のベルトが安定しないし、胸があるから巨人を倒せるなら別だけどね」
「あいつらは人間を食べることにしか興味がねえからな……食いごたえのあるほうに行くかもしれない」
「食べごたえあるかな……巨人って生殖器ないし、胸なんて気にしないんじゃないの?」
「生殖器と胸って関係あるのか?」
「これって、子供をうんで育てるためのものでしょ? 人間と違う子孫の残し方をするなら、興味を持たないんじゃない?」



 名前とエレンの、どこかずれた会話は止まることがない。ライナーは進まない食事を放棄し、手を握りしめた。名前の胸が見れたことは衝撃ではあったが、嬉しい誤算だった。だがそれは出来れば自分ひとりが知っていたいものである。大勢の男が今晩のおかずにするようなことは、決して許されるものではない。たとえライナーの今晩のおかずが決定したとしてもだ。
 一心不乱に食べていたサシャが、何かを思い出したように手を止めた。口のよこにパンのかすをつけながら、とんでもないことを口にする。



「ほら名前、昨日言ったじゃないですか。巨人は興味示さないかもしれませんが、人間の男なら興味あるかもしれませんよ」
「でも、男が興味あるのって小さい胸なんでしょ? やっぱりこんなの、邪魔なだけよ」
「人によって違うんじゃないですか?」
「そうかもね。食事と一緒で、サシャみたいに胃に入ればなんでもいいって人もいるし」
「名前の胸なんて食べませんよ! さすがにおいしくない……おいしくない、ですよね?」
「ちょっとサシャ、目が本気だからこっち見ないで」



 ベルトルトの脳裏に、一瞬で新しい世界が広がった。すこし動くだけで揺れるたわわな胸を、サシャが愛おしそうになでている。まるで久々に食べられる肉を愛でるように。恥じらいに頬を染めた名前の胸にサシャが口を寄せ──。



「……ライナー、僕、新しい扉を開いてしまったかもしれない」
「偶然だな、俺もだ」



 その偶然が食堂じゅうにあふれていたが、本人たちは気付かなかった。サシャの言うとおり、顔にしろ体型にしろ性格にしろ、個人によって好みが違うのは当然のことだ。
 名前は食事を終え、となりに座るライナーに少しだけ近寄った。狭い食堂に押し込まれた体は、わずかな距離を縮めるだけで、思春期の少年にとっては心臓が跳ねる近さになる。



「ライナーはすこしだけ大きな胸って嫌い?」



 予想もしていなかった質問に、ライナーの頭が真っ白になる。答えにつまる姿を見て、名前のまゆが悲しそうに寄せられた。好きな女のそんな顔を見て、ライナーの頭から羞恥というものが吹き飛ぶ。好きだ、と言った言葉は、ある意味名前への告白そのものだ。
 目を丸くしたあとに嬉しそうに笑った名前は、ライナーの腕に抱きついた。筋肉のついた太い腕なのに、名前の胸にかかれば、谷間にうずもれてしまう。



「嬉しい! ユミルが言うにはね、押し倒して胸でも揉ませれば向こうから襲ってくるだろうって。ライナーはそんなことしないわよね?」
「あ、当たり前だ」
「じゃあ、ライナーから押し倒してくれるのを待ってるわ」
「……は?」
「だって、さすがに初めて肌にふれる異性が巨人だなんて嫌だもの」



 名前は嬉しそうにライナーの腕を抱えこみながら、はっと外を見た。この暗さからいって、そろそろ食事が終わる時間だ。食堂も、気付けばずいぶんと人が減っていた。
 胸を巻く布が切れたため、また新しく作っておかなければならないことを思い出し、名前は席を立つ。綺麗な風呂場も、早いもの勝ちなのだ。



「じゃあライナー、また明日。愛してるわ」



 さらりと愛の告白をし、名前は食堂をあとにする。残されたのは、真っ赤な顔をして愛を伝えそびれたライナーだった。

 その日名前は、思春期の男子に多大な影響を及ぼした。新たな扉を開いたベルトルト、巨人の新たな一面を考えたエレン、名前をまともに見れなくなってしまったアルミン、巨人プレイというものを思いついたジャン。思春期は、男女かぎらず想像が豊かになるものである。
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