私とライナーのあまり代わり映えのしない日常にも、たまにアクシデントがおこる。例えばそう、今このとき。

 朝、授業が始まる5分前に教室に入って、ベルトルトの横に座った。アニが来るのはもう少しあとで、ライナーは用事があると私より早く家を出た。教科書を取り出していると、悪そうな顔をしたコニーに呼ばれる。手招きされて口に人差し指をあてるコニーの言うとおりに教室の窓から下をのぞくと、そこにはライナーと見知らぬ女の子がいた。
 人気のない場所で向かい合っているとは、これいかに。まさかライナーが家を早く出た用事とはこれか。手の中でみしりと窓が音をたて、慌てて手を離した。



「大丈夫だ、いまスネークを送っている」



 コニーの言葉に首をかしげると、電話が鳴った。サシャからのそれに一瞬出ようか迷うが、コニー出るように言われて通話ボタンを押す。いつのまにか野次馬が集まっているなか、ライナーと女の子はまだこちらには気付かずにいる。その少し離れた茂みのなかにサシャがいるのを見つけて、慌てて携帯を耳にあてた。



「サシャ! もしかしてライナーの後ろにいるのって……」
「私です! いまからスピーカーにして二人の会話を拾うので、静かにしていてくださいね」
「……何で釣られたの?」
「クリームパンです」
「安っ」



 面白がったユミルが教室中に威圧を飛ばし、室内が一気に静まり返る。携帯が勝手にスピーカーにされ、文句を言う前に女の子の話し声が聞こえてきて黙った。今さっきまで沈黙していたらしい女の子は、意を決したというように顔をあげてライナーを見つめる。



「わっ、わたし、先輩のことが好きです!」
「気持ちは嬉しいが、俺には彼女がいる」
「知ってます! でも……あんな人より、私のほうが先輩を好きです! 料理だって毎日作るし、洗濯も掃除もします! 成績もいいです! 先輩を支えてあげられます!」



 じっとりとした視線が肌に突き刺さる。わ……私だって、洗濯とか掃除してるよ。大雑把だけど、してるし。
 目を泳がせる私の耳が、ライナーが息を吸い込むわずかな音を拾い上げた。これは、大事なことを言おうとするときのライナーの癖だ。ぴりりと緊張する私の変化を感じ取ったのか、みんなが息を潜めてライナーの言葉を待つ。



「おーい、授業はじめるぞー」



 教授の声に、反射的に携帯の電源ボタンを連打して通話を切る。のんびりと教室に入ってきた教授は、みんなの殺気のこもった視線を受け止めてたじろいだ。
 教授……さすがにいまのタイミングはないよ。恨みがたっぷりこもった視線を教授に向けて、窓の下を見る。そこには立ち去るライナーと、それを見ている女の子と、クリームパンを食べているサシャしかいなかった。



・・・



「ねえ名前、今日合コン行こうよ!」
「ええ? 嫌だよ」
「人数足りないらしくて、私も無理やり駆り出されて……お願い!」



 あのあとライナーは数分遅れて教室に入ってきて、何事もなく授業が終わった。聞きたいけど聞けないジレンマに焼かれながら、目の前で何度も頼み込んでくるミーナを見つめる。この様子だと、ミーナも渋々合コンに行くのだろう。どうしようとライナーを見ると、会話を聞いていたライナーが何でもないように言った。



「行ってもいいんじゃないか? 俺も今日は用事がある」



 ライナーの言葉に、体が固まるのがわかった。誰かに告白された日の夜に限って、用事がある。もしかしてという疑惑がぐるぐると頭のなかを巡って、乾いた唇を開けた。じゃあ行こっかな、という冗談めいた本気に、ライナーは黙って頷く。ライナーの馬鹿。私だって、あの子に負けないくらいライナーが好きなのに。

 その日はミーナとアニに慰められながら授業を終え、ミーナの家に向かった。合コン用の服を貸してくれるというミーナの言葉はありがたいけど、正直に言うと私に似合う服はない気がする。可愛らしいレースがついたワンピースを借りて、つけまつげと化粧で顔を変えて、それでも鏡のなかの私は浮かない顔をしていた。
 私と同じく人数合わせで呼ばれたサシャは、食べ放題という言葉に釣られたに違いない。早くもご飯のことを考えている顔には、男じゃなくてご飯をあさりに行くと書いてあった。



「はじめまして、名前です」



 ミーナの手前、出来るだけ愛想よく自己紹介をする。目の前に並ぶ男の顔に差はあれど、ライナーのほうが何倍もかっこいい。早くもご飯を食べているサシャと、愛想笑いをしている私とミーナ、ノリノリなミーナの友達。合コンらしいのはごく一部という現状に、心のなかでため息をついた。サシャ、せめて骨付き肉を食べるのは最後にしておいたほうがいいんじゃないかな。

 ご飯を食べるのもそこそこに、おいしくないお酒を喉に流し込んだ。居酒屋のご飯は確かにおいしいけど、ライナーの作ってくれたほうがおいしい。そこで自分で作ろうと思えないから、ライナーもあの子に告白されようと思ったのかもしれない。からあげを一口食べて飲み込むと、今度はポテトサラダを攻略しているサシャが思い出したように顔をあげた。



「名前、そういえばあの電話途中で切ったんですよね?」
「ああ……うん」
「全然気付きませんでした。ライナーの言葉、聞きました?」
「ええと、聞いてないんだよね」



 何で気まずい気持ちになるんだろう。ライナーが告白されていた場面が頭に焼きついて離れない。せめて合コンに行くのを止めてくれたらなんて、ライナーの優しさを踏みにじるように文句を考えた。ライナーの愛を知っているのに、すぐに揺らぐのは自分が弱いからだ。



「ライナー、言ってましたよ。家事や勉強が出来るから好きになったんじゃない、そのままの名前が好きだから告白したんだって。俺が色々なことを名前にしてあげたいから、勝手に家事とか掃除をしてるんだって」
「──それ、本当?」
「はい。それからもう一度告白を断って、それでも渋る女の子に、名前が世界で一番好きだってトドメさしてました」
「……ライナー」



 口から漏れたのは、愛しい恋人の名前。サシャはオムライスを口いっぱいに頬張りながら、時計を見てごくりと口のなかのものを飲み込む。合コンが始まって30分しか経ってないけど、男の子と話してもないけど、帰りたい。帰ってライナーを抱きしめたい。



「ここの場所教えましたから、そろそろ来てると思いますよ」
「来てる? 誰が?」
「ライナーが」



 サシャの勘はよくあたる。もしかしたら私が信じたいだけかもしれないけど、ミーナたちに謝ってサシャに何か奢ると約束して、店を飛び出した。いつもより高いヒールがアスファルトを蹴って、店の前で立っているライナーに抱きついた。驚いて慌てるライナーにキスをして、胸に顔をうずめる。



「サシャから聞いたのか?」
「うん。待たせてごめんね」
「いや……名前は怒っていないのか? 合コンに行けばいいと言いながら、勝手に迎えに来た俺に」
「怒ってないよ。悲しかっただけ」
「……すまん」
「用事は? 終わったの?」
「ああ」



 ライナーが取り出したのは、私が行きたがっていた遊園地のチケット。来月で付き合って一年だろうという言葉に、じわじわと胸が侵食されていくのを感じた。ライナー以外好きになれなくなったら、責任をとってくれるんだろうか。ああでも、ライナーなら本当に責任をとってしまいそうで怖い。だって期待しちゃうもの。
 抱きしめてキスをして、離さないでいて。いつもなら恥ずかしくて口に出せないようなことをすんなりと言ってしまえるのは、お互いの気持ちを確認しあったからだと思う。それから一緒に帰って、一緒にお風呂に入って、抱きしめ合って眠った。愛が深まりながららせん状に落ちていく、私とライナーの日常。
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