「おい、お前。名は」



 そう声をかけられたのは、眠たくなるようなあたたかい昼下がりのことだった。後ろを向いて目に入った知らない顔に、一瞬とまどう。しかし、私に声をかけたらしい目つきの悪い男のうしろにエルヴィン団長がいて、慌てて敬礼をした。
 緊張しきった私を見て、エルヴィン団長が目つきの悪い男を宥めるように優しく言葉を紡ぐ。そんなに威圧しては彼女が可愛そうだという言葉に頷きたかったが、それどころじゃなかった。エルヴィン団長が呼んだ名前は、人類最強と言われている男のもの。リヴァイ兵長、倒した巨人は数知れず。



「っ、名前です!」



 慌てて裏返った声で名前を告げて、ファミリーネームを言っていないことに気付く。もう一度名乗ろうとしたが、リヴァイ兵長が私の名前を転がすように口にして満足したような顔をしたから、言うのをやめた。下手に言って機嫌が悪くなったら困る。



「おい名前、趣味はなんだ」
「はっ! ええと、昼寝です!」
「悪くねえ」



 何だこれは。リヴァイ兵長の後ろにはエルヴィン団長以外にももう一人いて、長い髪を後ろで結んでいる姿には見覚えがある。必死に笑いをこらえているその人は、変人と名高いハンジ分隊長ではないか。何故こんな廊下でえらい方々と趣味の話をしているんだという私の疑問に答える人はいなく、ただひたすらリヴァイ兵長の質問が続く。



「掃除は出来るか」
「人並みです!」
「書類は」
「苦手です!」



 緊張のあまり偽ることが出来なかった私の本心を聞いて、ハンジ分隊長がこらえきれなくなったように吹き出す。リヴァイ兵長は死んだ牛のような目をしながら、怒ることも笑うこともしなかった。ただ私の情報を聞いて分析しているような内面の読み取れない顔に、冷や汗が吹き出す。エルヴィン団長も止めることなく微笑みながらこのやり取りを見ているから、この状況が悪いものではないと信じたい。



「わかった。舐めろ」
「はっ! ……はっ?」



 突き出された人差し指は、どう見てもリヴァイ兵長のもの。もしかしてこれは何かの試練か。ここで舐めたら首の後ろが削がれる気がする。どうしようもなくそんな気がする。
 固まる私を見て、リヴァイ兵長の眉間にシワが寄った。そんな顔をされても兵長の指を舐める意味がわからないし正直に言うと舐めたくないです。そう言えるものならどんなにいいかと内心嘆く私を見て、リヴァイ兵長が薄い唇を開いた。



「所属は」
「駐屯兵だむぐっ!」



 なんという巧妙な罠だ。返事をするために開いた口のなかに、人類一素早い男の指が入り込む。思わず押し返そうと動いた舌が兵長の指をなぞった。死罪かよくて独房行きかと青ざめる私に、リヴァイ兵長がもう一度命令をする。舐めろ。
 もう抗うことも出来ずに、黙っておずおずと舌を動かした。ゆっくりとした動きにじれったくなったのか、リヴァイ兵長が指を前後に動かす。突然の動きに、思わず声が出た。



「んうっ……!」
「悪くねえ」



 何がだ! 指で口内の隅々まで探ろうとするような動きに、どうしたらいいかわからず目に涙が浮かぶ。吐き出したいけど、そんなことをしたら削がれる。絶対にうなじを刈り取られる。
 その一心でえづくのをこらえ、代償として目に涙がたまっていく悪循環に、リヴァイ兵長はようやく満足したように指を引き抜いた。ハンカチで綺麗に指をぬぐい、死んだ馬のような目で私を見る。



「俺のところで教育をしなおす。掃除と書類作成が主な仕事だ。おって報告する」
「はっ……」



 さすがにこれに威勢良く返事は出来ない。駐屯兵の私が調査兵団に入るというのか。ははは、笑えない。
 さっさと去っていくリヴァイ兵長に続いて、急ぐでもなく歩き出しながら、エルヴィン団長が優しく笑う。ぽんと肩に手を置かれて、私では抗うことの出来ない波に飲み込まれたと悟った。しょせん私は一般兵士、権力には逆らえない。



「すまないが、調査兵団に入ってもらうことになるだろう。とはいっても、おそらく壁の外へ出ることはない。詳しいことはまだわからないが、悪いようにはしないさ」



 じゅうぶん悪いようになってます。愛想笑いを浮かべながら敬礼をすると、エルヴィン団長は優しいように見えて内に冷酷なものを抱えている笑みを向けて、廊下を歩いていった。それを見送って、まだ笑いながらそこに立っているハンジ分隊長に向き直る。



「ひーっ! あのリヴァイが!」
「あの、ハンジ分隊長」
「君、一昨日あたりに花を抱えていただろう?」
「え? あ、はい。花束を買ったので」
「それを見て、リヴァイが! あのリヴァイが! 一目惚れしたらしくてね。君一人を探すためにあちこち回って偶然を装ってここで声をかけて」
「おいクソメガネ」



 静かな怒りを隠すことなくにじませた声は、今さっき去ったはずのリヴァイ兵長のものだった。今さっきまでお腹を抱えていたハンジ分隊長の笑いがぴたりとやみ、顔がみるみるうちに青ざめていく。
 人の心を勝手に暴露した後ろめたさと、人類最強から漂ってくる殺気のなかで、ハンジ分隊長はすっと背筋を伸ばして私たちに背を向けて歩き始めた。早足から徐々に全力疾走へと切り替えたハンジ分隊長は、あっというまに見えなくなってしまう。それを放置し、リヴァイ兵長は舌打ちをしてまた去っていってしまった。

 私に何も言わなかったということは、たぶんあれはハンジ分隊長の冗談だったんだろう。ということは、リヴァイ兵長のしたで働くこというのも、調査兵団ジョークに違いない。それか白昼夢を見ただけだ。そうだ、これは夢なんだ。最近忙しかったし、きちんと休まないと脳みそがおかしくなっちゃうんだ。

 休むために仕事を頑張っている私にリヴァイ班への異動が突きつけられたのは、翌日だった。
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