きっかけはすごく些細なこと。言った本人は忘れているかもしれないような一言で、私はとなりの席のクラスメイトを意識するようになってしまった。



「君とライナーって、すごくお似合いだと思うな」



 普段なら笑って流せるようなことだけど、ライナーの親友であるベルトルトから言われると少し本気にしてしまう。話したことがあるかないかという程度の間柄だけど、ライナーがいい人だというのはわかるから、なおさら。

 ライナーは頭がいい。小テストの答案用紙を交換して採点をするとき、いつも紙のほとんどを丸が埋めている。突っ走りがちなエレンや感情がすぐ出るジャンや勘違いばかりするコニーをうまくまとめあげて、様々な場面で発生する責任を自ら背負おうとする。背は高い。柔道部らしく体はがっしりしていて、クラスメイトに信頼されている。
 たいして話したこともない私がわかるのはそのくらいのことで、どうしてベルトルトが私とライナーをお似合いだと思ったのかは謎のままだ。ベルトルトって実は不思議ちゃんなのかもしれない。



「では、今日はここまでとする」



 退屈で黒板に書かれたものをノートに写すだけの授業が、先生の言葉によって終わりを告げる。ベルトルトに言われたあの日から授業に集中出来ずにいるせいで、今回のテストはひどいことになりそうだ。
 のろのろとシャーペンをしまう私とは反対に、ライナーはさっさと席を立って教室から出ていった。それを横目で見て、思わず漏れたため息を隠すことなく俯く。こんなに気にするなんて、思春期の馬鹿。私の馬鹿。
 恋愛経験の少なさを嘆いていると、誰かが歩いてきて横で立ち止まった。少し視線をあげただけでは誰かわからない背の高さには、覚えがある。



「……ベルトルト」
「ごめん、少しいいかな」
「うん。何?」
「前に僕が言った話を覚えてる? ライナーとお似合いだって」
「あー……あれね」



 鮮明に覚えているのに、わざと記憶を探るふりをする。さも今思い出したかのように振舞う私を見て、ベルトルトは柔らかく微笑んだ。もしかして私の葛藤なんてお見通しなのかもしれない。



「どう? あれから実感した?」
「実感も何も……ライナーと話したことも少ないのに」
「ライナーは女子の前だと無口になっちゃうから」



 思春期か。思わずツッコミそうになった口を押さえる。ライナーを意識していることを思春期のせいにしている私が、ライナーのことをどうこう言えるはずがない。むしろ、思春期特有の異性を意識する瞬間がライナーにもあればいいと思ってしまっているのに。



「どうして私とライナーがお似合いだと思うの?」
「勘……かな」



 曖昧に笑うベルトルトの手には、最新のケータイが握られている。彼らしいシンプルで飾りもついていないそれを眺めながら、ベルトルトになら言ってもいいかと心のなかの弱い私がつぶやく。私一人では手に余る問題だ。そもそもベルトルトが持ち込まなければ問題にもならなかったことなのだ、彼も協力する義務がある。



「……ライナーに、好きな人っているの?」
「いるよ」
「じゃ……じゃあ、何で私とお似合いだなんて言ったの」



 心臓が痛くなって言葉につまったのは何とかごまかせたと、思う。思いがけない言葉に、つんと鼻の奥が痛くなる。泣きそうな私の顔を見て、ベルトルトは笑った。もしかしてこの人Sなのか。



「だから言ったでしょ、名前とライナーはお似合いだって」



 答えのないなぞなぞのような言葉を歌うように言いながら、ベルトルトはドアに目をやる。そこには、急ぎ足でこちらに来ているライナーがいた。怒りをにじませた顔でずんずんと歩いてくる様に、思わず目を見開く。



「ベルトルト!」
「何だいライナー」
「そこまで言うことはないだろう!」
「親友に聞き込みまでさせておいて、何を言うんだ? このままだと進展がなさそうだから言ったのに」
「……もしかして怒ってるのか?」
「ライナーらしくないからだ」



 ベルトルトの真っ直ぐな視線に、ライナーがたじろぐ。どうしたのかとまわりがざわめき始めたとき、タイミングがいいのか悪いのかチャイムが鳴った。それぞれの席に戻っていく生徒の背中を恨めしく見つめる。私も移動したい。

 しばらくして先生がやってきて、また黒板に書かれたことを書き写す作業が始まった。ベルトルトとライナーの会話は気になっているけど、私が聞けることでもない。でもライナーのことは知りたい。悶々とする私の机の上に、横から何かが投げ込まれた。小さくたたまれているノートの切れ端を開いて、ライナーらしい角ばった文字を目で追う。

「さっきはすまなかった。さすがに気付かれたと思うから、はっきりとさせておく。名前が好きだ」

 ……好きだ? 名前を? 名前って私なんだけど、それってライナーが私を好きってこと?



「……うっそだー……」
「どうしたー、何か間違いでもあったか?」
「あっいえ何でもないですすみません!」



 小さなつぶやきでも、静かな教室には響いたらしい。慌てて先生に謝って、もう一度切れ端に書かれた文字を見て、考えに考えた返事を書く。先生が黒板に書いている隙に投げた紙切れは、すぐに返ってきた。

「ライナーが私を好きってこと?」
「そうだ。名前が俺を意識していないことを知っていたから、ベルトルトに聞いてもらっていた。すまない」
「別にいいよ」
「あとできちんと言うが、今のうちに返事を考えておいてくれないか。俺と付き合ってほしい」



 ライナーを見ないようにしていたのに、思わずその横顔を見てしまった。私の視線に気づいているだろうに、ライナーは何も言わずに前を向いている。その頬はほんのりと染まっていて真剣で緊張していて、胸の奥から気持ちがあふれだしそうになるのを必死にこらえた。

 出来るだけ綺麗な字で、少しでも気持ちが伝わるようにインクで心情を綴る。少しずるい返事かもしれないけど、ベルトルトを使って私の気持ちを操作しようとしていたんだから、これくらい許してよね。
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