私の通う大学と箱根学園はそこそこ近く、箱学からこの大学へ来たという人も珍しくはない。自転車部にはたくさん部員がいるらしいし、頑張って探せば誰か一人くらい自転車部のOBがいるかもしれない。友達に助けてもらってなんとか探せないかと頑張っていたところ「友達のサークルの先輩の知り合い」という、私とはなんの関係もない人が箱学自転車部OBだということがわかった。
 立川さんという先輩は、レギュラーでもなかったし卒業してから一度も差し入れに行っていないけど、と申し訳なさそうに言っていた。その人にひったくりの件を伝えて、どうしてもお礼がしたいのだと言うと、笑いながら頷いてくれた。いい人だ。



「じゃあ、明日くらいでいいか? ついでだから、オレも何か差し入れを買ってくよ」
「いえ、お礼なので私が出します。立川さんは車を出してくれるだけでじゅぶんすぎますよ」
「さすがにそれじゃ情けないさ」



 困ったように笑いながらも譲らない立川さんに、渋々折れる。運動部の差し入れになにがいいかもわからない私に、立川さんは一緒に買い物に行って、そのまま差し入れに行こうと提案してくれた。とてもいい人だ。



・・・



 ひったくりにあってから一週間、ようやくお礼ができる。あの日見た自転車がかっこよかったから通学用にママチャリも買ってしまったし、あの男の子はなかなか深く私の心に根付いているようだ。

 車で箱根学園の校内に入って駐車場にとめて、用意してあった台車に飲み物を積み込む。なかには補給食もあって、なかなか値が張った。だけどあの日してもらったことに比べたら、本当にささやかすぎるお礼だ。
 立川さんとふたり、台車を押しながら自転車部の部室へと行く。立川さんが近くにいた部員に話しかけると、しばらくして金髪の男の子がでてきた。なんだか怖そうな顔をしている。



「福富か、久しぶりだな。とはいっても、オレのことなんか忘れてるか」
「いえ。今日は差し入れありがとうございます」
「オレは半分しか出してないんだよ。半分は彼女が」



 表情が変わらないまま、フクトミという子がこっちを向く。慌てて頭をさげて、私のことを探る視線にどう答えようかと頭を回転させた。
 あの男の子は、ひったくりのことを騒がれるのは嫌いだろう。だけどこのままじゃ、私はなんの関係もない高校の部活に差し入れをした、変質者ということになる。



「ここの部員さんに、大変お世話になったことがあって。せめてものお礼に、差し入れに来たんだ」
「そうなんですか。その部員の名前は?」



 フクトミくんの質問に答える前に、部員が集まったと後輩らしき子が報告に来た。次々と台車からおろされていく荷物に、質問に答えなくてすみそうだとほっとする。そそくさとそこから離れて、運んでいる子に補給食の入っているダンボールを教えた。
 みんなが喜んで口々にお礼を言ってくれるのは、なんだかくすぐったい。いちいち首を振っていると、後輩くんたちが避けて道が空いた。どうやらレギュラーの人が来たらしい。



「福ちゃん、差し入れって……アァ?」
「あっ!」
「荒北さん」



 誰かが恩人の名前を呼ぶ。走っていたのだろう、汗をふきながら来たのは、あの日ひったくりからバッグを取り戻してくれた男の子だった。アラキタと呼ばれた子は、まだ信じられないように私を見ている。



「アラキタくん! アラキタくんって言うんだね!」
「てめっ、なんでここに!」
「箱根学園ってジャージ着てたから、頑張ってOBの人探して、それで私も自転車買って、あっそうだアラキタくんは何が好き!?」
「チャリじゃなくてバスで帰れ! 礼なんかいらねえっつってんだろ!」
「本当にありがとう、見つけられてよかった! あのダンボールひと箱は、アラキタくんにあげるつもりで買ってきたんだ」
「そんなにいらねェよ! っつーか人の話を聞け!」
「そっかあ、アラキタくんはレギュラーだったんだね。すっごく速かったもの。アラキタくんが好きなものを教えてくれないなら、ほかの人に聞くね」



 一番近くにいたフクトミくんに聞くと、よくベプシを飲んでいると教えてくれた。うしろでアラキタくんが騒いでいるのは無視だ。
 差し入れはスポーツドリンクがほとんどで、炭酸飲料は買っていない。さっそく近くの自販機で買ってこようとすると、がっちり腕を掴まれた。アラキタくんだ。



「いらねェっつってんだろボケナス! 話聞け!」
「あのねアラキタくん、ずっと言おうと思ってたんだけど、私はナスじゃないよ。ナスも好きだけどみかんのほうが好きだから、そう言ってくれないかな」
「ボケ……みかん?」
「そうそう。だけどみかんってボケてないよね? だからみかんって呼んでくれれば」
「違ェよ! ナスとかみかんとか、どうでもいいんだよ! なんでここに……っつーか、たいしたことしてねェんだから、礼なんざいらねえよ」
「たいしたことをしたんだよ、アラキタくんは。本当に、本当にありがとう。もっとアラキタくんが喜ぶものを持ってきたかったんだけど、なにも知らなくて」



 深々とお辞儀をすると、アラキタくんは戸惑ったように口を閉じてそっぽを向いた。
 立川さんのほうを見れば、驚いたように私を見ていた。気がつけば注目を浴びていたようで、たくさんの人と目が合う。



「立川さんすみません、すこし待っててくださいね。ベプシ買ってきます!」
「だァから、いらねェっつってんだろ!」
「大丈夫アラキタくん、私に任せて!」
「任せらんねえよ! だいたいどこ行くつもりだ、自販機はそっちにねェよ!」
「こっちね、ありがとうアラキタくん!」
「そっちにもねェよ!」



return

×