「……なんで角煮?」
「な、なんでだろう……」
ぴったりしたユニフォームを着た荒北くんは、すこし不思議そうな顔をした。そう言われると不思議になってきて、作った張本人だというのに頼りない返事をする。
自転車の大会にはたくさん部員が参加するのか、同じユニフォームを着た子がたくさんいた。すこし離れたところから、ちくちくと刺さる視線が痛い。荒北くんは背を向けてるから気づいてないだろうけど。
タッパーを開けて豚の角煮のにおいを嗅いだ荒北くんは「まぁまぁじゃナァイ?」と言ってふたを閉めた。
思えば、自分以外の人に料理なんて作ったことがないから友達に相談したところからズレてきたんだと思う。友達の友達に聞いてもらって、最初は唐揚げとかハンバーグとかふつうのメニューが出ていた。だけど冷めてもサクサクの唐揚げなんて難易度の高いものは作れないし、差し入れでハンバーグはすこし違う気がする。
数人で話し合ってくれた結果、どこからか「豚の角煮は間違いない」という話になり、私もそれなら冷めてもおいしいと思ってしまったのだ。そして数回練習をして今にいたる。
「やっぱり返して! あとでマックとか行こう!」
「やだね。オレが食う」
「で、でも」
「オレがいいって言ってんだからよこせ。……今日、晩メシのあとに食うから」
「無理しないでいいからね?」
「腹減るんだヨ」
荒北くんは袋に包まれたタッパーをかばんに入れ、なにか言いたそうに私を見た。大会前で緊張しているのかもしれない。じっと待つ私の耳に届いたのは、すこしやわらかな声だった。
「今日はアシストだから、何位かわかんねェけど」
「うん」
「ペダル回すから。ゴールにいろよ」
「うん。見てる」
荒北くんは満足そうに笑って、同じユニフォームの集団にまぎれてしまった。それを見送ってから、さらに刺さるようになった視線から逃れるためにその場をあとにする。自転車の大会を見るのははじめてだし、なぜか私まで緊張してきた。
これを荒北くんが知ったら、きっとハンッて顔をして笑うんだろうな。そう考えるとすこしだけ気が紛れて、かなり早いけどスタート地点に行っておくことにした。
・・・
結果だけ見ると、荒北くんは二位だった。一位は同じ箱学の人で、ほんとうに僅差で放送があるまでどっちが勝ったかわからなかった。
なんと声をかけていいかわからずゴール付近をうろうろしていると、しばらくして荒北くんがやってきた。汗がもう引いている。
「あ、荒北くん」
「なんで名字サンがそんな顔すンだよ」
「だって……」
「今日はアシストだったからな」
「……次の試合、また見に行きたいな」
「一位じゃなくてもォ?」
「荒北くんを見に行ってるから、何位でもいいよ。あ、もちろん一位が一番だけど!」
慌てて付け足した言葉に、荒北くんが乱暴に頭をなでてくる。犬にするようにぐしゃぐしゃになった髪のまま荒北くんを見上げると、やっぱりすこし悔しそうな顔をしていた。
「タッパー、返すから」
「捨ててもいいよ」
「返す」
「うん」
「だから、アドレス」
ユニフォームの後ろから取り出された携帯と荒北くんの顔を交互に見て、ようやく意味がわかる。男の人に直接アドレスを聞かれたのは初めてで、理解するのに時間がかかってしまった。
焦りすぎたせいでよけいに時間がかかりながら携帯を取り出し、アドレス帳を開く。赤外線な、という言葉に頷いて、荒北くんのアドレスが送られてくるのを待った。
「来たよ。こっちも赤外線する?」
「メール送ってくれ」
「ちょっと待ってね」
目の前に本人がいるのにメールを送るのも変な感じだ。すこし迷ってから、自分の名前と電話番号に短い文を添える。お疲れ様、のあとにどの絵文字を入れていいかわからず、悩んだすえひよこの絵文字を入れた。
送信しました、の文字が画面にでてすぐ、荒北くんの携帯が震える。メールを読んだらしい荒北くんは、そのまま携帯をいじってアドレスを登録してくれた。
「なんで電話番号まで書いてんだヨ」
「登録してねって意味だけど」
「……なんでひよこ?」
「……絵文字に迷って」
「つけなきゃいいだろ」
荒北くんは、次々とゴールしてくる選手を横目で見て携帯を閉じた。またわしゃわしゃと髪を乱されて、必死に整えている姿を見て笑われた。ひどい。
「そろそろ戻るわ」
「うん、気をつけてね」
「そっちもな」
荒北くんの後ろ姿を見て私も帰ろうかと思ったところで、大変なことに気付く。荒北くんがゴールしてから買っておいたベプシを渡すのを忘れていた。
数メートル先にいる荒北くんの名前を呼ぶと、思ったより大きな声がでて自分でもびっくりした。
「荒北くん! これ、お疲れ様!」
放り投げられたペットボトルはすこし右にずれて、荒北くんは驚きながらも見事にキャッチした。まだ驚いた顔のまま私を見てくるのがなんだか可愛くて、笑いながら手を振る。荒北くんはすこししてから、笑って背を向けた。ひらりと振られる手にはペットボトル。
レース後に荒北くんの自然な笑顔を見たのはこれが初めてだったと気付いたのはすこしあとだったけど、それほど気にせず帰ることができた。きっと、悪態をつきながらも自然体でチームメイトと一緒にいる荒北くんの姿を見たからだと思う。
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