そんな都合のいい話があるなんて、巻島くんが私を追いかけてくれたなんて、夢でもみてるみたいでしゃくりあげる。
乾いてぱりぱりになった頬はまだ巻島くんの手がふれていて、包み込んでくれているみたいだ。
「落ち着いたか?」
「……うん。あの、ごめんなさい……昨日いきなり泣いて逃げて、そういうの好きじゃないって知ってて手紙書いたり、話しかけたり……」
「全部嫌じゃねえっショ。嫌だったらやめてる。……いきなり泣いて逃げるのだけは勘弁だけど」
「……ごめんなさい」
俯こうとするけど、巻島くんの大きな手がそれをさせてくれない。顔を持ち上げるようにされて、巻島くんと目が合った。
今更だけどすごく恥ずかしいことをしたし言ったし、もしかして私の気持ちがバレているかもしれない。もしそうだったら、また巻島くんから逃げるしかなくなってしまう。
巻島くんは私の目に涙がたまっていないことを確認して、ポケットから携帯を取り出した。スライドさせてボタンをいじった巻島くんは、画面を見せてきた。そこには東堂尽八という名前と、呼び出し中の文字。
スピーカーにした携帯から、男の子の元気な声が聞こえてきた。
「どうしたんだ巻ちゃん、巻ちゃんから電話してくるなんて珍しいじゃないか!」
「東堂、ちょっと聞きたいことがあるんだけどよォ」
「なんだね、なんでも聞きたまえ!」
「お前って男だよな?」
「……どうしたんだ巻ちゃん、頭でも打ったか?」
「いいから答えるっショ」
「では聞かせてやろう! 登れるうえにトークも切れる」
スピーカーじゃなくなったのに、まだ何か話している声が聞こえる。巻島くんはそれを放置してただ一言「わかったか?」と聞いてきた。反射的に頷くと、東堂くんにまた電話すると言って通話を切った。向こうが一方的に話してる最中だった気がするけど、気のせいかもしれない。
巻島くんはまた携帯をいじって、今度は巻島くんの彼女だと誤解していた人に電話をかけはじめた。心臓が嫌な音をたてて跳ねる。
「巻ちゃん?」
「おう。ちょっと聞くが、お前は東堂と付き合ってんだよな?」
「当たり前じゃん、どうしたの巻ちゃん。あっもしかして苗字さんにフラレた?」
「切るぞ」
巻島くんは携帯をポケットにしまって、じっと私を見てきた。
……東堂という人は男で、巻島くんの彼女だと思っていた人は、東堂くんの彼女だった。私の誤解を解くために、巻島くんがわざわざ電話をかけて証明してくれた。
「ま、巻島くん」
「なんショ」
「あ、ありがとう……?」
「そんなハテナつけながらお礼言うなっショ」
クハっと笑う巻島くんは怒らずにいてくれた。沈黙が心地いいようで恥ずかしい。ちらっと巻島くんを見ると目が合って、慌てて下を向く。なんだか恥ずかしい。
もう私の気持ちがバレているのか確かめたいけど、それをしたらおしまいだ。ぐるぐるといろんなものが頭を駆け巡って、どうしたらいいかわからない。ぎゅっと目をつぶると、予鈴の音が響いた。びくりと体が跳ねる。
「あっ……お昼ご飯、食べ損ねちゃった……」
「クハッ、そうだな」
「えっ巻島くんも? そ、そういえば昼休みになってすぐ来たよね。ど、どうしよう、運動部なのに!」
「あとで食えばいいっショ」
立ち上がった巻島くんに手を差し出されて、ためらってからそっと手を重ねた。力強く引っ張られて、あっさりと立ち上がる。そのまま歩きだそうとしたけど、手の先が曲げた巻島くんの指に引っかかって、不自然にとまった。
離したほうがいいのか悩んでいる私に構わず、巻島くんはずんずんと歩いていく。指の先だけつながった手は、下駄箱まで離れることはなかった。
・・・
放課後、部活が終わった巻島くんと私は、暗くなった道を歩いていた。昨日と同じようで同じじゃない。今度は逃げ出さないようにとママチャリは巻島くんがしっかりガードしてるし、かばんもかごの中だ。
人通りの少ない住宅街のなかを通りながら、巻島くんがぽつりと独り言のようにこぼす。
「……二年のとき、となりの席になったっショ。苗字はもう覚えてねえかもしれないけど、その時、オレの髪を綺麗だっつったんだよ。すごい色だとか染めてるだとかじゃなくて、綺麗だって」
「お、覚えてるよ。だってすごく綺麗だったから」
「教科書忘れたときは普通に見せてくれたし、なんか……フツーに話せた」
夕日はもう沈んでいて、空は藍色と紺色の中間の色をしていた。風が吹くとすこしだけ寒くて、巻島くんの髪がなびいて綺麗だった。巻島くんと目が合う。
「そのときから苗字が好きだった。恋人に……彼女に、なってクダサイ」
「──私、私も、巻島くんが好きです。彼女にしてください」
嬉しくて嬉しくて、涙がでた。今日はよく泣く日だとどこかで冷静に考えながらも、涙はとまらない。
巻島くんは自転車を置いて私を抱きしめた。一瞬、心臓と息が止まる。
「──すげえ嬉しい」
「わ、わた、わたしも」
「噛みすぎっショ」
「だ、だって……」
「あー……悪い。テンション上がりすぎた」
「あっいいの! いいの……嬉しいから」
離れようとしていた巻島くんの動きが止まる。巻島くんに抱きしめられて口から心臓が出そうだけど、嬉しいものは嬉しい。
目の前の服から巻島くんのにおいがして、これ以上泣かないようにくちびるを噛み締めた。勇気をだして、そっと巻島くんの制服のすそを握る。
「まき、巻島くん。巻島くんは、私の彼氏になったの?」
「そうだな」
「──嬉しい」
幸せのため息と一緒にこぼれた言葉は、隠しようがない本心だ。
抱きしめられている腕に力がこもって、窒息しそうだと思った。巻島くんで窒息死するなら、それも悪くない。
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