そのあとすぐに来た巻島くんは、私を見て心配してくれた。よほどひどい顔をしていたに違いない。思ったより自然にでた笑顔で「お腹がすいた」とごまかすと、巻島くんは安心したように笑ってくれた。
巻島くんが私のママチャリを押してくれて、ふたりで歩く。自転車で来る距離だから家まで30分以上歩かなきゃいけないのに、巻島くんは文句を言わなかった。
「部活をちょっと見たけど、本当に赤い髪の子がいるんだね。驚いちゃった」
「鳴子っていうんショ。なかなか速い」
「それは将来有望だねえ」
最初のぎこちない頃ではありえないほど会話が続いているのに、なんだか現実じゃないみたいだ。足は地面を蹴っているはずなのに、どこかふわふわする。
交差点でどっちに行くか聞いてきた巻島くんをじっと見つめて、鼻がつんとするのを感じた。巻島くんに送ってもらって嬉しいのに、たくさん話せるのが楽しみだったはずなのに、全然嬉しくない。
ぼろっと涙が出て、巻島くんがぎょっとするのが滲んで見えた。
「……ごめん。ごめんね巻島くん。ごめん」
自転車のハンドルを持って、勢いよく乗る。私の名前を呼ぶ巻島くんの声が聞こえた気がしたけど、振り返らずにペダルを踏んだ。
あのまま一緒にいると、きっと私は泣き喚いてしまっていた。巻島くんが好きだって、迷惑なのはわかってるのに言ってしまったかもしれない。苦しくて悲しくて逃げることしか考えられない私は、ちっぽけで弱虫でどうしようもなく卑怯な存在だった。
・・・
翌朝、すこし目がはれたままギリギリに登校して、休み時間がくるたびに急いで教室を出た。学校を休もうかとも思ったけど、そうしてしまうと巻島くんともう二度と話せない気がして来てしまった。こうして逃げているのと休んでいるのがどう違うかは、自分でもわからなかったけど。
昼休みになって、私はようやく教室から飛び出すのをやめた。いつも友達と教室でお弁当を食べているというのもあるし、よく考えれば巻島くんが私を探しているだなんて思えなかったのだ。
いきなり泣いて逃げて、さぞ怒ったに違いない。私の顔なんて見たくないと思っているかもしれない。そう考えるとじんわりと涙が出てきたけど、あまりにも自業自得すぎた。
かばんからお弁当をだして机のうえに置いて、ぼうっと窓の外を眺める。──巻島くんは、謝ったら許してくれるだろうか。
「苗字!」
昼休み特有のざわついた教室のなか、聞きなれた声が聞こえる。はっとしてドアを見ると、巻島くんがずんずんと歩いてくるところだった。
──なんで巻島くんがここに。ほかの教室に入るなんて、このクラスに入ってくることなんてなかったのに、いつも廊下で待ってたのに、どうして教室の中に。
体が凍りついているあいだに、巻島くんは近付いてくる。巻島くんの緑色の髪は有名で、クラスメイトたちが何事かと巻島くんを見ていた。どうしたらいいかわからずに、反射的に立ち上がって逃げ出した。机のあいだをすり抜けて廊下へ飛び出す。
「苗字! 待つっショ!」
「ご、ごめんなさい!」
わけもわからずに謝りながら廊下を走る。巻島くんが追ってくる。必死に走って上履きのまま外へ飛び出して、人気のない方向へと走った。
足ががくがくして息を吸い込むたびにきりきりと肺が痛む。校舎裏の角を曲がったところで、校舎にもたれてずるずると座り込んだ。木が影になっていて静かで、スカートの下は地面だけど気にする余裕はなかった。
「苗字!」
「ま、きし、まくん」
まさかまだ追いかけてきてるなんて。座り込んだ私は動けそうになく、息が整わないまま巻島くんを見上げた。巻島くんも息が上がっていて、綺麗な髪は走ったせいでぐちゃぐちゃになっていた。
……あ。上履きのまま追いかけてきてくれてる。
「昨日といい今日といい……オレ、何かしたっショ?」
「……怒って、ないの?」
「なんで怒るんショ。気付かないうちに何かしたかと思って、すげー不安なのに」
その言葉に鼻がツンとして、ぼろっと涙が溢れ出た。巻島くんはまたぎょっとして、わたわたと制服のポケットをあさって、ハンカチをだして顔に当ててくれた。
「……ハンカチ、使ってないから」
「ごめん、なさ……ごめんなさい」
「謝られるようなこと、されてねえけど」
「わ、私、知ってたの……! 巻島くんに彼女が、いること。そっそれなのに手紙書いたり、一緒に帰ったり、彼女さんが私のことなんか気にしてないのをいいことに、ごっ、ごめんね……!」
「ハァッ!?」
「ご、ごめ……」
「ちが……! 彼女なんかいねえっショ!」
「で、でも……よく一緒に歩いてる綺麗な人とか、東堂さんとか……」
巻島くんの動きが止まった。遠くから生徒たちが騒ぐのが聞こえてくるなか、しゃくりあげる声が響く。
巻島くんがおそるおそる口にした名前はまさしく巻島くんの彼女だと噂されている子のもので、痛む心臓を押さえながらなんとか頷いた。大きなため息が降ってくる。
「……東堂は男っショ」
「……え?」
「東堂尽八。箱根にある学校に通っている自転車競技部の一人。オレの彼女って勘違いしてるヤツは、東堂の彼女」
「え」
「オレに彼女なんかいないっショ。いたことねえし」
「で、でもキスしてるの見た人がいるって……!」
「そんなもん嘘だ」
あまりに巻島くんがきっぱり言うので、それが真実としてじわじわと体中に浸透していく。
またぼろぼろと出た涙を、巻島くんはやさしく拭いてくれた。
「ほ、本当……?」
「本当だ」
「嘘じゃない?」
「苗字に嘘なんかつかねえっショ」
「ほんとのほんと?」
「ほんとのほんと」
いちいち優しく答えてくれる巻島くんの手は、いつのまにかハンカチじゃなくて私の頬に移動していた。涙で濡れて冷えている頬を、あたためるように包み込んでくれる。
走ったあとに泣いてきっとひどい顔をしているのに、巻島くんは笑わずにいてくれた。ずっと、涙をふいてくれながら。
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