日中はあれだけ活気づいて生徒がひしめいていた校舎も、放課後になると途端に閑散とする。楽器の音や運動部の声を聞きながら、やるべきことに集中しようと努力した。
 私の入っている委員会はあまり集まりがないのがいいところだけど、一度集まれば下校時刻ぎりぎりまで帰れないのが欠点だと思う。三年ということですこしだけやることが多いのは、去年の先輩も同じだっただろうから文句は言わない。一年、二年で味をしめて三年もこの委員会に入ったらこうなるのだ。
 ひとり紙の前でうなりながら、教室の窓から外を見た。じっくりひとりで考えたくてここに来たのもあるけど、ここからだと自転車部の練習が見えるのだ。少しだけなんだけど。いまは窓から見えるところに誰もいないのか、自転車部の姿は見えなかった。

 しばらくしてようやく仕事を終え、ふうっと息をはいて背筋を伸ばした。ぽきぽきと音が鳴る。癖のように窓の外を見ると、巻島くんがいるのが見えた。どくりと心臓が跳ねる。
 巻島くんはとなりにいる金城くんと話しながら、ふっとこっちを見た。その直後に金城くんがとなりにいる他の部員に話しかけたところを見ると、休憩時間のようだ。巻島くんが軽く手を上げる。



「……私?」



 慌てて左右を確認するものの、この教室には私しかいない。ほかの教室にいる人に手を振っているのかもしれないと慌てて巻島くんを見ると、口に手を当てて笑っているのが見えた。すっと人差し指でさされて、ようやく私に向けているものだと認識した。
 照れながらちいさく手を振ると、巻島くんが軽く握った手をこちらに向けた。それが嬉しくてぶんぶんと手を振ると、また巻島くんが笑う。
 照れながら嬉しさをこらえきれずに笑うと、巻島くんが誰かに呼ばれたみたいに顔を横に向けた。もう一度私に手を振ってから、巻島くんが見えない位置に行ってしまうのを見送る。

 嬉しさで胸が張り裂けそうだ。にやにやする顔を両手で押さえて、ばたばたと足を動かす。巻島くんとはもうかなり手紙をやり取りしているし、ふつうに話せるようになったし、これはものすごく進展しているんじゃないだろうか。



「……よし! 早く持っていこう!」



 急いで仕上げた紙とかばんを持って教室を出る。もうすぐ下校時間になるし、あのまま教室にいたらまた来るかわからない巻島くんを待っちゃいそうだし。
 委員会の人に見せてから先生に渡して、すこし雑談してから教室をでた。ようやく顔がにやけるのがおさまって、心臓もいつもどおりのはやさで動いている。これなら大丈夫だと正面玄関から出て裏門のほうに自転車を取りに行くと、びゅんっと何かが通った。緑色の髪をなびかせているのは間違いない。



「巻島くん!」



 思わず名前を呼んでしまってから口を閉じる。裏門のきつい坂を登りきった巻島くんは、体を左右に揺らしながら私の前で止まった。巻島くんの息が荒くて、なんだかどきりとする。



「……苗字」
「よっ呼び止めちゃってごめん。びっくりして思わず……」
「いい。今度は特等席で見れたな」



 汗を流しながらにやりと笑う巻島くんを見て、一気にいろんなものが体を駆け巡った。私が部活を見ていたのを知っていた巻島くん。さっき手を振ってくれたこと。ここが部活を見るうえで一番いい場所だと、暗に教えてくれたこと。
 胸がしめつけられて喉が痛んで、うまく息ができない。



「──うん。巻島くん、すごくかっこよかった」
「……そうかヨ」
「私と話してて大丈夫? 部活中なんでしょ?」
「さっき終わって自主練中。苗字はこんな遅くまでどうしたんショ」
「委員会があって。そういえばもう下校時間5分前だもんね」
「ハッ、そんなん守ってらんねえっショ」



 巻島くんは自転車につけたボトルを取って飲み干すと、ヘルメットをとった。綺麗な髪がふわっとなびいて、女の私より綺麗に見える。
 巻島くんは視線をすこし動かして左右を見たあと、なにか言いたそうに鼻の下をこすった。こっちから聞いたほうがいいのか悩みつつ待っていると、数十秒たって薄めのくちびるが開いた。



「今から帰りっショ?」
「うん、自転車で」
「……送る」
「え? いやっいいよ! うっ嬉しいけど巻島くんの迷惑になるから!」
「迷惑だったら自分から言い出したりしないっショ。……嫌ならやめるけど」
「嫌じゃない!」



 両手で握りこぶしを作って力強く即答してしまった私を見て、巻島くんが一瞬止まる。慌ててみたってもう遅くて、どうしようとうろたえる私を見て巻島くんは笑った。クハっという声が、いつもより近くで聞こえる。



「着替えてくる。すこし待ってるっショ」
「う、うん!」



 自転車に乗ってすぐに見えなくなってしまった巻島くんの背中を、じっと見送る。夢みたいだ。手を振ってもらって、一緒に帰れるなんて。

 しばらく実感がわかずにうろうろしていたけど、思いきって自転車部のほうへ行ってみることにした。ちょっと様子をみるくらいなら、大丈夫かもしれない。
 すこし早足で巻島くんのあとを追いかけると、自転車部の部室まであと少しというところで、巻島くんが彼女と話しているのが見えた。
 頭から氷水をかけられたみたいに、一気に体が冷えた。



「やったじゃん巻ちゃん! 一緒に帰るんでしょ、がんばってね」
「うるせえっショ」
「東堂に言っておくね、浮気だって」
「ヤメロ」



 冗談を言い合っている、楽しげな空気。ふたりに気づかれないようにそっと踵を返して、気付けば全速力で走って裏門のところにいた。
 ……そうだ、巻島くんには彼女がいるんだ。なにを浮かれているんだろう。
 でもあの会話はおかしい気がする。彼女なら私と帰ることを応援なんかするはずがない。それでも私は恋人だと揺るぎないのか、それとも東堂さんって人が巻島くんの恋人なのか。
 目の前が真っ暗でうまく呼吸ができない。ヒュッというかすれた音が喉で鳴る。



「──どっちにしろ私は、巻島くんの彼女が怒るほどの存在じゃないんだ」



 ぽつりと口から出た言葉は、私すら知らない、ずっと私が感じていたことだった。


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