予約していた店に入ったオレたちは、とりあえず飲み物と適当な料理を注文して話に花を咲かせた。久しぶりに会うと話が尽きず、まずは滅多に会うことのない巻島さんに話が集中した。その横で苗字さんはにこにこと笑っている。
落ち着いたらしい苗字さんに運ばれてきた飲み物を渡すと、優しい笑顔で「ありがとう手嶋くん」とお礼を言ってくれた。いい人だ。
しばらく巻島さんの話を聞いたあと、みんな好き好きに話し始めた。オレと青八木は田所さんの話を聞いていたけど、苗字さんに近い位置に座ったこともあり、気になってたまに様子を窺っていた。いつもは小野田と苗字さんで「巻島さんかっこいい!」というなんとも気の抜ける会話をするんだけど、今日は違った。さきほど今泉に助けられたように思っているらしい苗字さんは、すこし離れたところにいる今泉と話していた。巻島さんが心なしか不機嫌そうだ。
「今泉くん、気遣いができて優しくてかっこよかったらモテるでしょう? 大丈夫?」
「いや……あんま大丈夫じゃないっす」
「だと思った」
おかしそうに笑う苗字さんの横で、巻島さんは小野田と話している。巻島さんがたまに視線だけ苗字さんに向けるのを、本人は気づいていないみたいだ。
巻島さんが注文してきたものが運ばれてきて、とりあえず近くのテーブルに置く。二人が食べようとしているあいだに小野田を呼んで今泉の横に座らせ、メニューを渡した。よし、これで巻島さんと苗字さんが話せる時間ができたはずだ。
「裕介くん、これおいしいね」
「味濃いっショ。それより名前」
「ん?」
「今日おかしいけど、何があった」
苗字さんの手から料理がぼとりと落ちた。運良くお皿の上に落下したそれに安堵してお皿を置いた苗字さんは、くちびるを噛んで巻島さんをまっすぐ見上げる。
「裕介くん。毎朝、いや毎食……ん? 一日一度くらい、私の作った味噌汁を飲みませんか!」
「は? そりゃ……飲めるなら飲むけど」
「そ、そっか!」
「料理、上達したもんな。卵焼きという名のスクランブルエッグが出てきたときは驚いたっショ」
「あ、あれは少しだけど卵焼きの塊があったし……そもそも卵を焼いてたらぜんぶ卵焼きだと思うの!」
「じゃああの失敗したオムライスも卵焼きか」
「……裕介くんのいじわる」
「悪ィ悪ィ」
巻島さんがすねた苗字さんの頭をなでて、楽しそうに笑う。それはいい。それはいいんだが……当初の目的からズレてないか?
このまま流されてしまいそうな苗字さんに必死にアイコンタクトを送るが、オレは青八木相手じゃないと通じないらしい。がっくりしつつ、どうやってさりげなく伝えようか考えていると、苗字さんがハッとしたように顔を上げた。どうやらズレていることに気づいたらしい。
「裕介くん!」
「なんショ」
「私、毎日裕介くんのパンツ洗うから!」
「ブッ!」
「それでお味噌汁作って、でき、できるなら、パンも作る!」
「それって……」
巻島さんの顔がみるみるうちに赤くなっていく。苗字さんの顔も真っ赤だ。ようやく意思疎通ができたらしい二人はしばらくお互いの顔を見ていたけど、さきに巻島さんが口元を押さえて顔をそらした。
「なんでそうなったっショ……誰に何を言われた?」
「そういうわけじゃないけど……友達が、外国には美人がたくさんいるから、私なんかじゃ」
「それで?」
「裕介くんが私のこと好きじゃなくなっていってるの知ってたから、プロポーズしたらどん引きされて……それで早く別れることになったら裕介くんが早く自由に、」
「はい死刑」
巻島さんが苗字さんの両頬を思いきり引っ張る。苗字さんは驚いて痛いと抗議していたけど、抵抗はせずにされるがままになっていた。
巻島さんがため息をついて手を離す。
「名前はどうしてそう思い込みが激しいショ」
「……だって、このあいだ巻島くんに思いきってどれくらい私のこと好きかメールで聞いたら、まあまあって返事がきたし……」
「そ、それは、アレだ。察しろ」
「察したからこうなったんじゃない」
「そうじゃなくて、形に残るもんで言うなんて恥ずかしいだろ。名前はあの手紙ですらまだ持ってるっつーのに」
「捨てるわけないよ」
「だから嫌だったんだよ……」
巻島さんはため息をついてから、苗字さんの目がだんだんと潤んでいくのを見てぎょっとした。慌てて頭をなでて、ぎこちなく話し始める。
「就職先、決まったんだろ?」
「……うん」
「卒論ももう終わりそうだと」
「うん」
「じゃあ、すこし長いこといられるだろ。こっち来て、オレの家で花嫁修業でもしてればいいっショ」
「……ん?」
「オレもまだ学生だしな。三年後くらいに考えればいいっショ。焦りすぎだ」
ぽん、と背中を叩かれて、苗字さんが頷く。いつの間にか全員で見守っていたらしいふたりの恋が一段落したところで、田所さんが豪快にビールを飲み干した。
ある意味、ここからが本当の飲み会になるのだろう。田所さんと鳴子がからかう気満々なのを見て、いつもは宥めたりするのだけど、今日ばかりは二人と一緒に巻島さんたちの馴れ初めでも聞こうという気持ちになる。これくらいは、きっと許されるはずだ。
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